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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第414号より|日本医科大学同窓会 橘桜会

支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第414号より

平成5年卒クラス総会

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―卒後25周年記念―

平成31年2月17日、東京ドームホテルにおいて平成5年卒の卒後25周年記念同窓会が開催されました。来賓に理事長の坂本篤裕先生、学長の弦間昭彦先生、同窓会長の渋谷哲男先生をお迎えし、総勢55名がこの会に参加いたしました。

最初に坂本理事長よりお祝いの言葉を頂戴いたしました。さらに新しくなった付属病院の現状と、武蔵小杉病院・多摩永山病院の今後の展望などもお話しいただき、大学全体の改革が進んでいることを強く実感いたしました。また弦間学長からも心温まるお言葉とともに、本学の現状につきお話しいただきました。特に、昨年度からの学費値下げや後期試験導入などの入試改革により本医大に優秀な人材が多く集まっているということを、スライドを交えて解説していただきました。さらに渋谷同窓会長からもこの会のお祝いのお言葉を頂戴し、乾杯の御発声をいただきました。

ほとんどの先生が久しぶりに再会するにも関わらず、終始和気あいあいとした雰囲気で交流を深め、あっという間に時間が過ぎました。さすがに25年が経過すると、学生時代と全く同じというわけにはいかず、私も含め頭部や体重に変化が見られる先生など様々ですが、みなさん非常に元気に活躍している様子で感激いたしました。会の後半には二次会に参加できない先生方から現状報告をしていただき、最後の写真撮影となりました。

二次会は銀座のパーティルームに場所を移して行われましたが、ほとんどの先生方が参加されました。日曜の明るい時間帯ではありましたが、大変盛り上がった会でした。

最後に、この会の開催にあたり場所や日程、連絡など多くの労をとっていただいた血液内科の山口博樹先生にこの場を借りてお礼申し上げます。

(田原 重志 記)

五輪会総会

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―卒後55周年記念―

令和元年5月11日、帝国ホテル東京にて開催。定刻に集合、記念撮影。幹事の事務報告(現会員数、年会費納入者、物故者など)があり、昨年の総会後に亡くなられた前田君、西尾君、堀家君夫人のご冥福を祈り黙祷を捧げる。

山下君(常務理事)の司会で開宴。同窓会を代表してご出席賜った馬渕理事のご挨拶、クラス最年長、堀家君の音頭で乾杯の後、洋食のフルコースを楽しんだ。美食家が多く肉料理は不評。国産牛を和牛に変更すべきであった、と反省。食事の合間に芦澤君、海老原君、西脇君、野原君、宮田君、保井さんの近況報告があった。場所をインペリアルラウンジに移しての二次会はほぼ全員が参加。馬渕理事は同級生の故馬渕原一君の長男で彼の乳幼児期を知っている人も多く、時を忘れて思い出を語りあった。お祝いには、大学周辺を思い出してもらいたく、老舗「一炉庵」の和菓子を用意したが、好評であった。

来年は、福田(俊)君のお世話により長崎での開催を予定している。

参加者:芦澤、石津夫妻、海老原、大屋、小川、小澤父娘、加藤夫妻、桑原夫妻、佐中夫妻、滝田、田畑夫妻、塚田、土屋夫妻、長澤、西脇、野原、福田(俊)、堀家、松下夫妻、箕田、光田夫妻、宮田、保井、山下夫妻、山本、吉岡。

(長澤 記)

無二会(昭38)

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幹事役を引き受けた私は、1月23日今なお老体に鞭打って診療をしている学友や既に引退し趣味に余生を過ごす同窓の61名に次のような案内状を送った。

平成もあとわずかで終止符を打とうとしています。新しい元号になると昭和初期に生まれ国民学校へ通っていた我々は、手帳の年齢早見表から明治が消えてしまったように間もなく若者から忘れ去られてしまうでしょう。

今日は、日本医科大学を卒業して56年、傘寿を過ぎた無二会の皆さんにぜひ湖国で会ってもらいたいと思い案内状をしたためています。よく考えてみると80才を過ぎ、薬の飲み友達は増えましたが、体力を使う遊び友達は減る一方です。いま無二会の皆さんに会っておかないと、いつ川の向うからお呼びが掛かるか分からないし、会っていても友の顔が分からなくなっているかもしれないと思う今日この頃です。以下省略。

こんな書き出しで始まった案内から4か月後の令和元年5月18日夕方、京都駅八条口へ続々となつかしい顔が集まってきた。その夜の宴会は、前もって編纂しておいた昭和32年から38年までの市川や千駄木時代の懐かしい写真集や50名から寄せられた近況文を見ながら思い出話に時は流れた。また、そこではいま床にあり病魔と闘っている友の近況報告も忘れられてはいなかった。宴会の後、夫人を含むしゃべり足りない面々はラウンジで、はたまた布団の中で雑談、あるいはベランダにある露天風呂につかり夜景を眺めながら琵琶湖畔の宿の初日は過ぎた。

2日目の19日の観光は、今はなき学友西川僚一君の故郷である近江八幡市の水郷巡りと時代劇のロケ地などでお馴染の八幡堀をガイドさんの名案内で約2時間散策した。また、昼食は高価ゆえに腹いっぱいとはいかないがワインや地酒で近江牛を味わった。1年後輩の保井(田中)亮子さんも加わり、瀬底(大竹)洋子さんらと数十年ぶりの会食を楽しんだ。

このように短い再会であったが、たいへん楽しい時の流れに身をゆだねることが出来た。それぞれの年齢は異なり兄貴もいれば弟もいる。大病院の院長もいれば医大の名誉教授もいる。しかし、土産物も買い、京都駅までのバスの中で別れが近づいてくると「おい、○○君(あるいは○○と呼び捨て)、次回も元気で会えるといいなぁ。身体をいたわり無理するなょ」。もちろん、いま床にある学友への見舞いも忘れずに行ってくれよと託して、それぞれが新幹線で西へ東へと消えていった。

(岡村喜明 記)

よろこぶ会

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―(昭和46入学から52卒までのクラス会)―

令和元年6月1日、ロイヤルパインズホテル浦和において開催されました。

参加者は30名で、まず初めに「脳卒中治療の進歩と対策基本法」について、浦和高校出身で成田リハビリテーション病院長の小林士郎君に講演していただき、脳卒中における初期治療の重要さを改めて認識させられました。また、小林君は千葉北総病院開院当初より脳神経外科部長として同院に赴任され、今日のように発展するまでの様々なエピソード、苦労話についても熱く語られ、大変有意義で興味深い講演でした。

懇親会では埼玉県医師会副会長の利根川洋二君の発声で乾杯したのち、箕輪龍雄君、桑原哲夫君の参加する生バンドをバックにバイオリン演奏のもと全員で校歌斉唱を行い、フレンチディナーを楽しみました。また、吉田雄一郎君のボーカル、井出道也君のキーボードの弾き語りも披露され、プロ顔負けの上手なことには大変驚かされ、とても盛り上がりました。話も尽きず、2次会はホテル19階のラウンジにおいて、さらに旧交を温めました。翌、6月2日は浦和ゴルフ倶楽部で24名参加によるゴルフコンペを行い、正田弘一君が優勝、曽我龍紀君が準優勝でした。

昨年は東京湾の屋形船、今年は埼玉でクラス会を行いましたので、来年度は、関西方面で開催する事をお願いし閉会となりました。

参加者、荒木重平、井出道也、井原徹太、岩崎孝一、小川泰史、小畑清一郎、賀屋茂、北島米夫、北見彰、桑原哲夫、小林士郎、坂西良彦、佐藤健、佐藤雅久、関山達也、高山守正、武井裕、谷本光保、鄭廣模、利根川洋二、二宮宣文、葉山修陽、平井道子、堀越晴男、箕輪龍雄、矢島純、吉田雄一郎、吉森勝、若林武雄、渡辺寧、他ゴルフ参加、飯塚和弘、正田弘一、曽我龍紀、中田誠介、野津原崇、藤沢裕志

(文責、関山達也)

昭和45年卒クラス会の記録

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法人理事 黒川 顕

昨日梅雨入りした東京だが本日6月8日はまずまずの空模様で、会場の京王プラザホテル44階から東京スカイツリーがくっきり見えた。幹事の中島信子さんの開会の辞に続き、この1年に亡くなられた3君に黙祷を捧げた。そして同窓会長の渋谷君による乾杯の発声から宴席が始まった。

フランス料理に舌鼓を打ち、それぞれ好みの飲み物を飲みつつ行った近況報告の一部を紹介したい。私は法人の昨年度の決算で収支は大きく黒字になり、借入金は順調に減少してきたこと、来年は入学式に卒後50年の我々が招待されるので出席しようと述べた。平岡君は前立腺核出術の機器改良に情熱を注ぎ続けていること、土岐君は息子のクリニックで上部消化管内視鏡などをして給料を貰っていること、岩久君は3人の子供が医師で活躍中だが自分は一人で頑張っていること、庄野君は趣味のゴルフでボールがどこへ飛んだか見えず探すのに苦労していると皆を笑わせた。向島君は健診結果に気をよくして秋田から駆け付けたこと、森田君は院長候補が育つまで院長に返り咲いたこと、渋谷君は同窓会長や院長としての業務で多忙を極めていること、和歌山からの味八木君は午後休診日にもゴルフに励んでいること、平間君は長年の地域社会での禁煙運動が実ったこと、吉野君は電カルが導入されたが自分は口述で秘書がすべて打ってくれるとご満悦だった。トリの中島さんは来年も幹事をして下さるとのことで、感謝の大きな拍手が起こった。

デザートまでおいしくいただいた後、来年の再会を祈念し散会した。

足立支部総会

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令和元年6月8日に上野伊豆滎本店にて足立支部総会を開催しました。目澤支部長の開会挨拶後、活動報告や会計報告を行い承認され、その後懇親会に移りました。内山同窓会副会長の挨拶では、今年は同窓会名簿を発行し、同窓会紙をカラー化し、今後名簿のWeb化を考慮中とのことでした。女性医師のプロデュースする健康セミナーの予定等のお話しをいただいた。弦間学長の挨拶では、武蔵小杉病院を着工する。前期後期入試試験をはじめ、学費を安くし、国際認証も取り、偏差値も上がり、世界大学ランキングによると日本の私立医大中でトップなど評価が上がっている。今後AI開発など教育にさらに力を入れていくとのことでした。呼吸ケアクリニックの日野所長の挨拶では、呼吸器ケアクリニックは今回リニューアルされ、就労者に受診し易い体制を整えている。喘息や咳喘息の診療に必要な呼吸器検査を効率よく出来るようにし、特発性間質性肺炎の抗線維化薬、肺癌の維持化学療法などにも力を入れていくとのことでした。岡田先生に乾杯の発声をいただき、伊豆榮の鰻料理に舌鼓を打ちつつ各々の近況報告を行いました。最後に渡辺先生の閉会の挨拶でお開きとなりました。

出席者:
大学より:内山喜一郎同窓副会長、弦間昭彦学長、日野光紀呼吸ケアクリニック所長
足立区:飯野晴彦(元腎内教授)、渡辺寧(S52)、朝日良一(S54)、田中邦夫(S55)、目澤朗憲(S55)、岡田憲明(S60)、駒場祐一(S60)、谷口泰之(S61)、三宅一昌(S61)佐野哲孝(東医卒 救命センターで勤務)、長田祐二(H3)、榊原桂太郎(H8)、岡田哲也(H15)

練馬支部総会

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練馬支部は現在35名の同窓が在籍しており、昭和50年代からあまり大きな変化はありません。そのころから年に2回の総会と忘年会を続けております。令和元年第1回の総会が6月15日、池袋東武百貨店、湖南料理 華湘にて開催されました。今回は同窓会から渋谷哲男会長と北濱博之理事にご出席をいただきました。川満正夫幹事の発声で開会し、まず支部長の私から5月に開催された同窓会評議員会総会の報告をした後、同窓会長の渋谷先生から同窓会の現状と将来、また大学の様子などについてお話いただきました。当日最年長の安藤賢治先生の乾杯で開宴となりました。特別料理に舌鼓を打ちながら、他大学と比較しながらの白熱した議論は、お酒の勢いもありいつものように口角泡を飛ばしての大激論になって、あっという間にお開きとなりました。当日の出席者は以下のとおりです(卒業年)。

安藤賢治(S30)木村好秀(S32)山本鼎(S39)鈴木浩之(S44)本多一義(S47)山田修(S47)木内博之(S47)鈴木次夫(S47)浅野哲雄(S49)井口俊(S51)小山寿雄(S52)川満正夫(S54)神野悟(S56)忽滑谷直孝(S59)菅隼人(H1)

(文責 鈴木次夫)

北支部同窓会総会を開催して

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北区支部長 加藤 隆司

梅雨空の下、六月二十二日(土)に、池袋東武デパートのスパイス14階のバンケットホールで、北支部総会を開催しました。大学からは、渋谷哲男同窓会長、坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長、汲田伸一郎付属病院長を、お迎えして 小室陽一先生の乾杯の発声で、大いに旧交を温めました。また呼吸器ケアクリニックをリニューアルした日野光紀先生と、北保健所の所長になられた前田秀雄先生から御挨拶がありました。

理事長からは、新病院全面開院以後、順調に患者も増加し上々の経営状態であり、借財も予定より早く返済できそうであるとの事でした。また最上階の、コンシェルジュ付きのVIPルームの紹介もありました。学長からは、昨今の入試騒ぎにも、巻き込まれる事もなく、世界的な大学ランキングも上位にランクされ、偏差値も往年の輝かしい時に回復し、他大学との提携も入れたイノベーションを、実践しているとの事でした。

その後、出席者それぞれにお話を頂き、和気相々の中、吉田光順先生の中締めの挨拶で、お開きになりました。御出席の皆様は、小室陽一(S29)、皆川彰(S35)、髙木繁(S39)、吉田光順(S46)、五十嶋一成(S48)、加藤隆司(S50)、坂口文雄(S53)、金子清志(S55)、栗山純一(S58)、代田利明(S58)、奥田武志(S63)、大久保隆志(H1)、小平祐造(H1)、石井新哉(H4)でした。

(文責 加藤隆司)