支部・クラス会
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支部・クラス会だより“北から南から” 同窓会報第445号より
新潟県支部総会を開催して
8月25日12時から新潟市の老舗ホテルの中華レストラン「シーエン」で、新潟県支部総会を開催いたしました。コロナ流行以後初めての開催であり、猛暑も加わって出席者がいるかどうかで心配いたしましたが、4名の出席がありました。また、同窓会本部からは渋谷哲男同窓会会長、大学からは医学部長で大学院泌尿器科学教授の近藤幸尋先生が来県いただき、大学や同窓会の活動などのお話を伺いました。コロナ感染縮小で各地で同窓会が開かれるようになったこと、八重洲の健診センターのこと、借金返済が終了し、新たに医療健康科学部看護学科の創設や、将来の校舎・病院の拡大にむけて努力していることなど、母校が発展していることをお聞きして安心いたしました。また卒業生は、全員国家試験を受験し、全国6位の優秀な成績を残していることを知り、後輩たちの努力に敬意を表しました。懐かしい話も多くありました。相撲部が廃部の危機に瀕した時に、附属病院前の薬局(虎薬局?・我々の時代は中華料理タイガー)の奥に地元の方のご協力で「土俵」が作られ、廃部を免れたとのことでした。当時の部員の顔が浮かびました。皆さんお元気でしょうか。そんなお話を聞いているうちに予定の2時間が過ぎてしまいました。出席者は、富井亜佐子(旧姓青木H14卒)、古川真一(H14卒)、草間昭夫(S58卒)と佐藤雅久(S52卒)の4名です(敬称略、順不動)。写真は、話が弾んで取り忘れてしまいました。すみませんでした。
新潟県支部長 佐藤雅久(S52卒)
橘桜会愛知岐阜合同支部総会開催の報告
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令和6年8月25日日曜日11時から昨年と同じ名古屋マリオットアソシアホテル16階サルビアの間にて、合同支部総会を無事開催できました。愛知県支部より平良支部長以下25人、岐阜県支部より今年から支部長に就任された宇野支部長以下4人、東京から本部より猪口理事、五十嵐健人理事が出席くださり、大学から弦間学長に出席していただけました。
予定通り11時から合同支部総会が始まりました。この一年に岐阜県支部で逝去された会員が見えましたので出席の会員一同で黙祷を捧げました。続きまして今年は愛知県支部、岐阜県支部の順で支部総会に入り支部長挨拶、会計報告、庶務報告、役員改選の承認をいただき、来賓挨拶に移りました。今回は誠に残念なことに同窓会本部より渋谷会長が、日程の都合により出席いただけなかったので会長のあいさつの代行も含め猪口理事が懸案の同窓会の一般社団法人化のことについて目的そのメリット、デメリットについて詳細な説明がありまた待望の同窓会一般社団法人橘桜会の新しいエンブレムの紹介がありました。続きまして弦間学長が最近の入学状況、国試の合格実績に加え都合により急遽欠席された坂本理事長に代わり法人の現状財務状況の劇的改善について、そして再来年4月に迫った本学の開学150周年式典のことについて案内がありました。最後になりましたが地方支部の活性化の為に本部よりこの地区を担当していただくことになった五十嵐健人理事から地区担当の役目についてご紹介いただきました。
引き続き同じ会場で校歌斉唱、引き続き岐阜支部の中根前支部長の乾杯の発声で懇親会が始まりました。恒例の学術講演会ですが先日、日本医師会副会長に就任されました、本学昭和53年卒業小児科の釜萢敏先生にご多忙の中講師をお引き受けいただき「新型コロナウイルス感染症の経験と今後について」と題し2019年年末に得体のしれない肺炎が中国の武漢で確認されたというニュースから始まり、翌年の横浜のダイヤモンドプリンセス号で船内での乗客に感染者が見つかったことで現実のものとなりいまだ収束の兆しのない今回の新型コロナウイルス感染症日本全国での対応の経験をもとに次の未知の感染症に対しての対応も含めわかりやすく講演していただきました。旧知の友と久々に顔を合わせ話に花が咲き盛り上がりあっという間に終演の13時が過ぎ恒例の集合写真撮影を行い今年の合同支部総会が終わりました。集合写真は昨年と同じように出席会員の方のアドレスにメールで送りました。
文責 愛知県支部 庶務 棚橋淳(昭和61年卒)
埼玉県支部総会
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令和6年7月27日、パレスホテル大宮で、同窓会長 渋谷哲男先生、日本医科大学学長弦間昭彦先生、日本医師会副会長 釜萢敏先生、埼玉県医師会事務局、埼玉県保健医療部の方々を来賓にお迎えし、支部会員、地域枠学生ら計50名が出席して、今年度の総会が開催されました。
総会に先立ち、物故会員の先生への黙祷を行いました。
初めに、羽鳥雅之埼玉県支部長よりご挨拶をいただきました。羽鳥支部長からは、ご来賓の先生、学生の出席への御礼が述べられ、日本医師連盟の推薦で来年の参議院選挙比例代表で立候補する釜萢先生、特別講演を賜る日本医科大学先端医学研究所 細胞生物学部門大学院教授 岩井佳子先生の紹介がされました。
同窓会長渋谷哲男先生よりご挨拶を頂戴し、同窓会が法人化された件、地方の同窓会支部会活性化に注力をしている件、などの近況報告がなされ、釜萢先生の紹介と激励のお言葉を頂戴しました。
日本医科大学学長 弦間先生から、学校法人日本医科大学の財務状況、看護学科新設、健診事業の強化、学生教育への取り組み、医師国家試験の結果など近況報告を頂戴しました。
続いて、釜萢先生より、「人口減少・少子高齢化が進む中で、日本が誇る優れた医療や介護の体制を長続きさせるために、全力で取り組んでまいりたい」、我が国の医療情勢と今後の課題と政策に関する力強いご挨拶をいただきました。続いて特別講演にうつりました。座長を横山広行先生(昭和62年卒)が務められ、ご略歴が紹介された後、岩井先生より、キャリア形成、研究との出会い、オプシーボの開発の苦労、ノーベル医学生理学賞受賞に関するエピソードなど素晴らしいご講演を頂戴しました。
総会の後、全員での写真撮影に引き続いて、懇親会が行われました。
支部副会長関山達也先生(昭和52年卒)が懇親会の司会進行を務められました。野中達也先生(昭和45年卒)の乾杯のご挨拶の後、丸木雄一先生(昭和55年卒)より埼玉県保健医療部参事本多様、医療人材課・課長千野様のご紹介がなされました。全員の会員の先生方、学生会員の近況報告等、自己紹介がありました。ご来賓の先生、会員の先生、学生会員は、遅くまで和気藹々と意見交換をされていました。平井真実先生(昭和51年卒)が、「釜萢先生が来夏の参議院議員比例代表選挙における日本医師連盟の組織内候補として擁立され、自民党の正式な公認を得たため、同窓生の皆様どうかよろしくお願いいたします。」と、ご挨拶された後に、澁谷純一先生(昭和61年卒)より閉会のお言葉を頂戴し、懇親会は滞りなく終了しました。
埼玉県支部総会は毎年、理事長、学長、同窓会長、学内の特別講演会講師の先生、地域枠や県在住や県内の高校出身学生をお招きし、出席会員も幅広い年代の先生方が参加され、旧交を深めることができるアットホームな雰囲気です。来年度は、令和7年7月26日土曜日17時より、同じくパレスホテル大宮にて開催予定です。埼玉県内にお住まいやご勤務の先生方はもちろん、埼玉にゆかりのある先生方のお越しを心よりお待ち申し上げております。
(立麻典子 福島正人 記)
第59回山形県支部総会を開催して
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去る令和6年7月6日、清野精彦同窓会副会長、近藤幸尋医学部長、特別講演の演者として浅井邦也第一内科教授をお招きし、山形県東根市よし田川別館にて第59回日本医科大学同窓会橘桜会山形県支部総会が開催されました。令和2年以降コロナ渦で集まることができず、実に5年ぶりの開催です。総勢16名の参加となりました。まずはじめにこの1年の間にお亡くなりになられました3名の先生方を偲びまして黙祷を捧げさせていただきました。その後、報告と協議を行い、協議の後に、この一年間の同窓の先生方のご活躍について、支部長として報告し、また多くの同窓の先生方が勤務されました、北村山公立病院開院62年(1962年開院)の歴史と現状について説明いたしました。
続きまして清野先生からは大学同窓会の法人化、150周年祭の開催の予定などについてお話を伺いました。また近藤先生からは日本医科大学の教育機関としての役割、将来医師になってから重要な探究心を学生のうちから育成する学ぶ環境について説明がありました。大学教育は大きく変わりつつあると実感したところです。今年の新入生に東北地区の学生がいなかったことを伺い、是非とも入学試験を北海道東北地区で行っていただきたいと思った次第です。
浅井教授からは心不全の最新の薬物療法についてご講演を賜り、今後の心不全パンデミックに備えるポイントについてお話を伺いました。
今回の総会には、実に久しぶりに参加されました先生や初めて参加された先生もいらっしゃり、その後の懇親会では大学本部から参加していただきました先生方を囲んで大いに話が盛り上がりました。東北の地から日本医科大学のさらなる発展を期待する気持ちを抱くためにも、また支部会員の親睦を図るためにも同窓会の開催は改めて意義深いものだと感じました。
(文責 國本健太)
出席者 敬称略
今周二、板垣晋一、宮下正夫、鎌塚栄一郎、金村應文、藤田信輔、福岡猛、奥山裕、國本健太、篁武郎、加藤圭介、竹之内研二、中嶋信人 -
支部・クラス会だより“北から南から” 同窓会報第444号より
足立支部総会を開催して
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足立支部総会を5年ぶりに令和6年7月13日に東天紅上野本店で開催しました。目澤支部長の開会挨拶後、活動報告や会計報告を行い承認されました。
その後渋谷哲男同窓会長よりご挨拶をいただいきました。同窓会は法人化され、役員の改正があったとのことでした。地方では会員が減ってきていて同窓会を開けないところもあるといったお話をいただきました。次に近藤幸尋医学部長よりご挨拶をいただきました。理事長、学長が出席できず二人からの伝言として、640億の借金が0となり、2026年に新しい医療健康科学部看護学科、八重洲駅前に健診センターを開設予定とのことです。国家試験は126名(新卒)が受験し125名合格。全国6位の成績であり教育の賜物です。入試はグローバル特別選抜や地域枠選抜もあり、優秀な学生を採るようにしているといったお話しをいただきました。
続いて飯野晴彦先生の乾杯の発声で懇親会が始まり、中華料理に舌鼓を打ちつつ先生方の近況報告を行いました。最後に渡辺寧先生の閉会の挨拶でお開きとなりました。
出席者:大学より:渋谷哲男同窓会長、近藤幸尋医学部長
足立区:飯野晴彦(元腎内教授)、渡辺寧(S52)、朝日良一(S54)、田中邦夫(S55)、目澤朗憲(S55)、岡田憲明(S60)、輪嶋善一郎(S60)、谷口泰之(S61)、三宅一昌(S61)、沖野哲也(H7)、小泉岐博(H7)、岡田哲也(H15)、秋元福太郎(H27)(敬称略)
53会同級会
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2024年7月6日土曜日午後6時より帝国ホテル昭和53年卒業を中心とした同級会が挙行されました。例年は1週間後で連休始めの土曜日でしたが家族サービスをされる方もあるため1週間早めて行われました。例年幹事をしていただいている坪井成美先生の司会の元、昨年1年間で亡くなった羽鳥信郎先生と大西守先生のご冥福を祈り黙とうがあり、乾杯の後、各々の近況報告が行われました。残念ながら今回出席できなかった釜萢敏先生から途中電話参加があり、来年の7月の参議院選に日本医師連盟の推薦をもらって立候補する決意を固めたとのメッセージが入りました。「日本の医療は優れていてそれでいて医療現場に負担が大きくかかり大変なので少しでも良くするために全力を尽くしたい、そのためには是非自分の名前を投票用紙に書いて欲しい」との依頼があり、大いに盛り上がりました。53会の出席者は予定では27名でしたが新幹線が止まったりで2名欠席で予定外の参加が1名で一次会は26名で、来年も7月5日の土曜日に行われることを決め一次会を終わりにしました。二次会は最上階の17階でラウンジではなく個室で行われました。一次会が行われていた隣の部屋で全国私立医科大学同窓会連絡会東部会に参加されていた日本医大同窓会副会長の前田美穂先生が二次会に参加され大いに盛り上がりました。今回の集合写真希望者は去年同様日本医大同窓会までアドレスをお知らせください。
文責 星野光治
前列右から3人目北多摩支部総会を開催して
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日本医科大学同窓会北多摩支部総会は渋谷哲男同窓会長と弦間昭彦学長のご臨席を賜りまして、令和6年6月22日に吉祥寺エクセルホテル東急にて35名の会員が集まり開催されました。
予備評議員に伊藤理津子先生(平成5年卒)と藤田進彦先生(平成5年卒)が、評議員に柏木哲也先生(平成3年卒)が承認され、同時に役員会で支部長に柏木哲也先生(平成3年卒)が選任されたことが報告されました。引き続き渋谷同窓会長より同窓会の現状についてお話があり、弦間学長からは大学の現状と今後についてのお話がありました。渥美敬先生(昭和51年卒)の乾杯挨拶のあと、和やかな雰囲気のもと懇親会が開催されました。途中、松村英幸先生(昭和51年卒)叙勲のご挨拶、各基幹病院の先生方より連携のお話があり、盛会のもと来年の開催を誓って閉会となりました。今回は昭和45年卒の渋谷同窓会長から令和2年卒の吉井はるか先生まで幅広い世代の先生方にお集まりいただきましたが、諸先生方がそれぞれの分野でご活躍されていることと、このような伝統ある大学に学べたことを誇りに思うとともに、私も北多摩地区で地域の皆様の健康を守るためにさらなる研鑽を積んでいこうと心に誓いました。
平成5年卒 田中功一
北支部総会報告
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令和六年六月八日(土)に北支部総会が池袋東武百貨店バンケットホールにて開催されました。前回は令和元年でしたので、丸5年ぶりの対面での総会となりました。
同窓会本部からは渋谷哲男会長、大学からは弦間昭彦学長、そして関連病院として令和あらかわ病院野村務院長の各先生方をお招きし、創立150周年記念の事、同窓会の法人化の事、さらに学校法人としての施設等の拡充並びに大学としての学事等全てにおいて順調に発展されているという力強いお話を拝聴させて頂く事ができました。
直前までご予定頂いておりました坂本篤裕理事長が、ご都合によりご来訪頂けなかった事は誠に残念ではありましたが、弦間学長先生、野村院長先生には2次会にまでお付き合い頂きまして、長時間にわたり支部の会員の先生方と親しく懇談して頂き、大変盛況な会となりました。
北支部会員もその75%が70代となり、50代以下の会員は数名というのが現状で、若い世代の先生方への訴求力を含め、支部の活性化が喫緊の課題となっております。
幸い今年度は、3名の新会員の先生方を支部にお迎えさせて頂く事ができましたが、今後は同窓会本部の法人化にともない、北支部も支部長を栗山から奥田武志先生に交代する事となりました。
若返った新体制で更なる発展を遂げて頂ける事と期待しております。
日本医科大学そして同窓諸先生方の益々の御発展、御活躍を心よりお祈り申し上げます。
(栗山純一記)
参加者(敬称略)吉田光順(S46)、加藤隆司(S50)、滝澤優子(S50)、坂口文雄(S53)、金子清志(S55)、栗山純一(S58)、奥田武志(S63)、小平祐造(H1)、小原澤英彰(H5)、西城由之(H16)、中田亮輔(H18)
世田谷支部総会
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令和6年6月1日、日本医科大学武蔵小杉病院5階大講堂にて、世田谷支部総会が開催されました。今回は、世田谷区と多摩川を挟んで隣接する川崎市中原区の新しい日本医科大学武蔵小杉病院の見学を兼ねて会員12名が参加しました。
まずは、西支部長のご挨拶と谷合病院長のご挨拶に続き、熊川副支部長の司会で、物故会員の報告と黙祷後、会計報告、事業計画の報告がなされました。協議事項として、今年度、世田谷支部の会員数が100名を超えたことにより、支部評議員と副評議員を1名ずつ増員する必要が生じたため、新しい支部評議員と副評議員を選出し、全会一致で承認されました。総会終了後、ご参集された武蔵小杉病院各診療科先生のご紹介・ご挨拶をいただきました。引き続き、谷合院長のご案内で、新病院の見学が行われました。天候にも恵まれ、360度見渡せる屋上のヘリポートからは、東京タワー、スカイツリーも確認できました。谷合院長は、数年後には世田谷区と川崎市の間に架けられる等々力大橋(丸子橋と二子橋の中間点)が開通されると、世田谷区と武蔵小杉病院は更に近く、交通の便が良くなると紹介されていました。これにより、益々武蔵小杉病院との医療連携が深まるものと確信いたしました。また8階では、コンシェルジュ付きの非常に広く豪華なVIP室が同窓生には割引が効くという魅力的なお話もありました。病院見学後は、5階大講堂横で総会懇親会が開催されました。西支部長のご挨拶の後、志賀先生の乾杯のご発声に続いて、出席された会員の近況報告が行われ、旧交を温めました。コロナ禍明けの4年ぶりの開催でしたが、同窓である武蔵小杉病院の先生方との交流もあり、会話も弾み、盛会でした。最後に、熊川副支部長の中締めの挨拶で再会を誓い散会となりました。出席者(敬称略)は、志賀幸雄(S48)、香川隆男(S50)、西恵吾(S54)、禰津直久(S55)、永井雄一(S59)、本田治久(S60)、北俊典(S61)、熊川美代子(S63)、南野光彦(S63)、永嶋裕司(H5)、望月弘嗣(H6)、武雅樹(H24)。
(文責 南野光彦)
中国・四国合同支部総会の発足を祝して
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2024年5月26日、日本医科大学同窓会「中国・四国合同支部総会」が発足し、岡山市内(会場:ホテルグランヴィア岡山)で開催されました。御来賓の渋谷哲男同窓会長(昭和45年卒)、弦間昭彦学長(昭和58年卒)、釜萢聡日本医師会常任理事(昭和53年卒:来夏参議院選挙自民党公認候補者)の3名と同窓生26名(岡山支部11名・広島支部6名・山口支部4名・鳥取支部1名・徳島支部2名・香川支部1名・高知支部1名)の総勢29名が参集いたしました。
参加者一同の写真撮影の後、渋谷同窓会長、弦間学長の御挨拶、校歌斉唱に続き、釜萢日本医師会常任理事の乾杯のご発声の後、祝宴が始まりました。参加者全員より近況や想い出話のスピーチがなされ、とても和やかな雰囲気に包まれたのが印象的でした。参加者の最年長は、岡山支部の國富慎一郎先生(昭和36年卒)でありましたが、楽しく参加していただき、花を添えていただきました。次回の開催は、広島支部の本多元陽先生(昭和54年卒)が快くお引き受けくださり、一同感謝の意を表し、閉会のお言葉も頂戴いたしました。
開催の準備に関しては、岡山支部の大森裕也先生(平成8年卒)、中村毅先生(平成12年卒:祖父から親子3代日本医大の同窓生)、安藤友孝先生(平成18年卒)が幹事として実務を司っていただき開催に繋げることができました。発足する初めての会合でもあり、我々幹事一同不安な気持ちで当日を迎えたことを記憶しています。ところが、いざ会合が始まるとすぐにアットホームな雰囲気の歓談となり、心配は吹き飛びました。初対面であっても年齢を隔てていても、日本医大の同窓生というだけでこれだけ打ち解けるものだとつくづく感じた次第です。
校歌の歌詞に「殉公克己一路わが 医学の心理 もとめつつ」というフレーズがあります。「己の欲望や邪念にうちかって命を捨てて公のために尽くすことをモットーに一筋に医学の心理を求める」という意ですが、医学や医療を通じた社会奉仕の精神が世代を超えて脈々と伝授されていることに先人の先生方に敬意を表すると共に、誇りを感じる時間ともなりました。無事に発足の会合が行われたことにつきまして、ご参加の皆様、同窓会事務局の御支援、会場の準備に携わられた方々、全ての関係各位に感謝を申し上げご報告とさせていただきます。
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支部・クラス会だより“北から南から” 同窓会報第443号より
クラス会報告(昭和45年卒業)
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令和6年4月21日(日)京王プラザホテル「南園」にて渋谷哲男同窓会長をお迎えして開催。同級生全員が78歳以上の為、日曜日の昼に開催しました。
まず、同級生の渋谷同窓会会長から、日本医科大学が黒字になった事などが報告されました。返信葉書より、同級生2/3は現役続行中、1/3は引退かほぼ引退、病気療養中数人でした。
出席の方々は当然元気で、全員近況報告。山口県から赤川さん、静岡富士宮市から田中さん、茨城県から平間さん、群馬県から土岐さんが出席。少人数の為、いろいろ話もはずみ、あっという間に時間が過ぎました。
皆高齢になったので今後クラス会を続けるか否か相談しましたが、何となくこのまま継続となりました。来年元気ならまたクラス会を企画いたしますから、多くの同級生のご出席をお願い致します。
出席者:赤川・宇佐美・黒川顯・渋谷・田中・土岐・徳永・平岡・吉野・森田・中島(12名)
(文責 中島信子)
互一会を開催して
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令和6年4月6日(土)午後6時半より東京上野公園「韻松亭」にて参加者38名で互一会が開催されました。
互一会の皆さんの日頃の善行が奏功し東京の桜は満開。「鐘は上野か浅草か」の上野の鐘の音が満開の夜空に響く様の中、韻松亭の会席料理を楽しみました。会は石川辰雄君の進行のもと進められ校歌斉唱そして大学同窓会副会長清野精彦君から大学の近況報告として法人財務がプラスに転じていること、その他入学試験、国試合格者数等々の話がありました。昨年亡くなられた古谷正博君に全員で黙禱を捧げ、次いで岡由紀子さんによる乾杯の音頭にて会が始まりました。まず昨秋瑞宝双光章を受章した中村隆君へのお祝いの言葉と花束の贈呈がなされ、その後会食、歓談となりました。途中現役芸大音楽科学生さんによる美しく清らかな歌声の余興もあり、出席者の近況報告に移ると話題の中心はもっぱらそれぞれが悩む疾病の話。70歳過ぎての年相応の悩みが出そろいました。最初は顔と名前が一致せず戸惑うこともありましたが徐々に40数年前の面影がよみがえり雑談に花が咲く楽しいひと時でした。次回幹事は冨川伸二君、節子さんご夫婦と井口俊君、清野精彦君、中村隆君にお願いし、また次回も元気な姿でこの会への出席を祈念して散会となりました。
文責:高橋正人 清野精彦
群馬支部総会の報告
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群馬支部総会は、2024年3月17日メトロポリタン高崎にて開催され、今回大島正行先生(S62)が初参加されました。
有賀副支部長の司会により、正木支部長、御来賓の渋谷哲男同窓会長、坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長よりご挨拶を頂きました。
渋谷先生からは、同窓会支部の活動を活性化させるために本部からの支援を積極的に行っていくこと、内閣府発行の「野口英世アフリカ賞」のパンフレットに済生学舎(現日本医科大学)の文字を追加していただくことができたことなどのお話がありました。
坂本先生からは、法人として最も大切な財政基盤が安定してきたこと、八重洲検診ステーション開設など医療施設の拡充、医療健康科学部看護学科の新設など総合医療系学校法人への発展、日本医科大学創立150周年事業などのお話がありました。
弦間先生は、ヒューマニティを重視しながら、ICT、VR、AIなど新しいテクノロジーを活用しての医学教育システム、個別化層別化教育の発展などについてお話があり、その成果が最近の医師国家試験の合格率にも反映されているように感じました。
講演会は、救急救命科横堀將司先生に「日本医大と救急医療」との題目で、これまで取り組んできた災害医療、新型コロナ感染症患者の受け入れ、東京都の救急医療などについてご講演して頂き、日本の救急医療の先頭を走っている母校を誇らしく思いました。
懇親会は、戸塚一彦先生の乾杯のご発声により始って、日本医師会常任理事釜萢敏先生、京都から遠路をいとわず駆けつけてくれました日本医科大学名誉教授小澤一史先生、消化器内科学・大学院教授岩切勝彦先生、解剖学・神経内分泌分野大学院教授石井寛高先生からご挨拶を頂きました。小澤先生(慈恵医大)、横堀先生(群馬大学)、石井先生(東京大学)の御三方は他大学のご出身でありながら、日本医科大学に対する深い愛が感じられるご挨拶を頂き、支部会員もその思いに感銘を受け、皆一同で日本医科大学のさらなる発展を祈念しつつ親睦を深める会となりました。
(文責 織田)
出席者(卒業年)敬称略
戸塚一彦(S51)、正田正一(S52)、角田隆(S52)、茂木克彦(S52)、堀越晴男(S52)、若林武雄(S52)、釜萢敏(S53)、角田守(S53)、星野光治(S53)、正木高(S54)、有賀長規(S55)、織田利光(S58)、大島正行(S62)
特別会員;小澤一史、岩切勝彦(S61)、横堀將司、石井寛高、福島正人(H11)
葛飾支部総会
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令和6年2月10日(土)、渋谷哲男同窓会会長、弦間昭彦学長、汲田伸一郎付属病院院長をお招きし、東京ドームホテルにて日本医科大学同窓会葛飾支部総会が開催されました。今回は8年ぶりの開催ということで、総勢22名の参加となりました。
畑三恵子先生(S53)の開会の挨拶に始まり、石川辰雄支部長(S51)からは今回のコロナ対応で地域のために平成立石病院が頑張っていたことや地域医療を支えるためにこれまで以上に同窓生の繋がりや助け合いが大切であることなどお話されました。その後会計報告があり、全員で校歌斉唱を行いました。
来賓としてご出席された渋谷同窓会会長からは、日本医大のコロナ対応での頑張りを誇らしく思うとのお言葉を頂き、今後も同窓会の結束を深めていくことが母校の発展に繋がるとのお話を頂きました。弦間学長からは、現在の日本医大の学生はかなり優秀であることや他大学との連携、大学のイメージアップ戦略やブランディングの話など非常に興味深い話をお聞きいたしました。また、汲田院長からは附属病院の現状と今後の出先機関としてのクリニックの話などをお聞きいたしました。
ご来賓の先生方のお話の後、松沢勲先生(S51)の乾杯のご発生により懇親会は始まり、しばしご歓談の後、参加された先生方の近況報告がなされました。8年ぶりの開催ということで、各先生も色々とお話ししたいことがたくさんあったかと思われますが限られた時間の中での報告となりました。久しぶりの再会となった先生方もいて、旧交を温める良い機会となりました。
楽しい時間はあっという間で、玉井健介先生(S52)の閉会の挨拶で会は終了となりました。短い時間ではありましたが参加された先生方にとっては非常に有意義な時間を過ごすことができ、来年以降の開催を約束し散会となりました。
(参加者 敬称略)
石川辰雄(S51)、松沢勲(S51)、玉井健介(S52)、畑三恵子(S53)、杉澤裕(S57)、猪口正孝(S59)、猪口直美(S59)、加藤さき子(S59)、長谷川修(S60)、岩原信一郎(S60)、林瑞成(S63)、野中玲子(H1)、金田和容(H2)、金田琴恵(H2)、大澤秀一(H3)、古川哲也(H3)、中島美知子(H4)、高橋啓(H7)、熊坂栄(H15)
(文責 大澤秀一)
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支部・クラス会だより“北から南から” 同窓会報第442号より
九州・沖縄支部総会を開催して
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日本医科大学同窓会九州・沖縄合同支部総会は弦間昭彦学長、柏木哲也常任理事、進士誠一理事をお迎えして令和5年11月25日にホテルニュー長崎で開催されました。九州医師会医学会が長崎市を主会場に開催されており多くの先生方が集えるこの日を選び準備してまいりました。開催はまず弦間学長が日本医科大学の現状と将来展望の講演からスタートしました。御三家の名に恥じない優秀な学生の確保と教育について、更に新型コロナ感染症に対する大学病院の実績を熱く講演されました。次に柏木常任理事、進士理事が日本医科大学同窓会の現状と広報活動等につき説明されました。続いて、長崎県支部長代理である天野力太先生から、九州・沖縄支部の会員高齢化と新規入会員の少数化による会員数の著名な現象が報告されました。
親睦会が始まりますと、一気に盛り上がりました。弦間学長も各テーブルを回り熱く話をして頂きました。このままでは、九州支部消滅の不安が直訴されましたが、学長からは「日本医大は全国区である」との強いお言葉を頂き九州・沖縄地区からも優秀な人材を日本医大に入学できるよう意を強くしたところです。次回、熊本での再会を約束して閉会となりました。
【参加者】
熊本県 永野淳二(昭37)
大分県 長 益悦(昭41)
鹿児島県 池田琢哉(昭46)
宮崎県 金田太郎(昭48・8)
佐賀県 野口 清(昭51)
長崎県 大野孝生(昭51)、天野力太(昭53)、有高知樹(昭53)、山下直博(昭54)、山野邉滋晴(昭57)、大沢 肇(平3)
福岡県 秋田章二(昭56)、清澤崇晃(昭56)
熊本県 浦田謙二(昭58)、上野博史(昭58)
学 長 弦間昭彦(昭58)
同窓会常任理事 柏木哲也(平3)
同窓会理事 進士誠一(平10)日本医科大学スキー部創設50周年記念式典開催の報告
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昭和41年(1966年)、鴇田典夫、渡部英之、大関正知、秋田聡明、浜本紘先生らがスキー部を創設してから今年で50年余を迎えることとなり、この間、約160名もの多くの部員が在籍しました。時代によっては、多くの苦境や困難、廃部の危機に直面する時期もありましたが、多くの仲間、OBの諸先生のご尽力のおかげで、ここまで部活動を継続することができました。
そこで、創部50年という節目に、スキー部創設50周年記念事業を行うことになりました。記念事業は、スキー部ホームページの開設、記念誌の発刊(日本医科大学図書館へ寄贈)、そして、この度の記念祝賀会で構成されております。ホームページ、記念誌共に、OB諸先生および現役部員が、自分や他の時代の過去を振り返って日本医科大学スキー部の歴史を思い起こし懐かしめる内容になっております。
現在、大学カリキュラムの変更、気候温暖化などに伴いスキー部の活動はますます厳しさを増しております。しかし、スキー部での活動は、体力や技能の向上を図る目的以外に、異年齢との交流の中で、部員同士やOBとの人間関係の構築、責任感、連帯感の涵養に資するなど、将来医師として必要な資質を養成する場としての教育的意義は大変大きいと考えます。
同窓会の皆様には、この度、スキー部の活動をご報告させていただく機会を頂戴しましたことに感謝申し上げるとともに、今後ともスキー部の活動に一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。
日本医科大学スキー部OB会 会長 中西一浩(昭61)
日本医科大学巣鴨会
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日本医科大学同窓の先生方におかれましては益々ご健勝のことと拝察申しあげます。
本日は、日本医科大学巣鴨会についてご紹介をさせていただきます。
私共の母校巣鴨学園は、東京は池袋にある男子中高一貫校です。1910年の創立以来100年を超える歴史があります。
日本医科大学におきましては、記録を遡れる限り昭和60年の卒業生以降ほぼ毎年新入生をむかえ、現在では100人を超える同窓がおります。
巣鴨会は、平成4年卒業、第一内科所属の小野卓哉先生が音頭をお取りになられ、平成17年に第一回巣鴨会設立準備会が開催されました。その後、正式に巣鴨会として設立、平成25年以降は私が会長を務めさせていただき、令和元年(2019年)までは毎年開催されておりました。この間、巣鴨卒業で他大学を卒業後日本医大の医局に入局された先生や、近隣で薬局を開業されている先生など幅広くご参加いただくようになり、大変盛会のうちに開催してまいりました。
令和2年以降、コロナ禍のため開催中止を余儀なくされましたが、令和5年には4年ぶりの開催にこぎつけることができました。掲載写真はその時の写真になります。コロナの流行が繰り返し生じるなか、大学の行事を鑑みつつ決行されたため、例年の参加を楽しみにしていらっしゃる多くの同窓生にご参加いただけなかったのが残念でしたが、少しずつ元の形に戻るようにしていきたいと考えております。
現在の巣鴨会は、昭和62年卒業の石橋励先生を中心に沢山の学生の参加を得、和気あいあいとした雰囲気の中、開催されております。我々が巣鴨でお世話になった先生たちの現在を若い先生から聞いて昔話に花を咲かせたり、学生は普段なかなか聞けない医者の実生活について話を聞けたり、学年・立場の垣根なく本当に楽しい会が開催されています。この会をきっかけに、益々巣鴨の絆を深めていきたいと思います。
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第441号より
長野県支部総会
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師走とは思えない暖かな12月16日(土)に、4年ぶりとなる長野県支部総会が催されました。かつて長野県支部は、信濃の国の枕詞に因み「みすゞ会」と呼ばれていたそうです。長きに渡り同窓生に引き継がれてきたこの会を再び開くことができました。田中昌彦先生や高木清先生が是非美味しいものを食べようと、ふぐ料理の「一喜宇」を手配して下さいました。
来賓として、渋谷哲男同窓会長、清野精彦同窓会副会長と弦間昭彦学長が年末のお忙しいなか出席して下さいました。校歌斉唱の後、渋谷会長から現在の同窓会の課題として法人化と大学創立150周年の説明がありました。次に弦間学長から、学生教育の成果や今後の大学の展望についてスライドを使ったお話があり力強い躍動を覚えました。その後、この4年間にご逝去された先生方に黙祷を捧げ支部総会は終了となりました。
飯島紘栄先生の乾杯の音頭で懇親会が始まり、各々の近況を報告しつつ盃を重ねました。ふぐちりとひれ酒の酔いも手伝い、千駄木での想い出話が尽きないままお開きの時間となりました。清野副会長からまたの再会を期してのお言葉をいただき散会となりました。
尚、準備をしていただきました高木清先生はご都合により参加できませんでした。改めて感謝申し上げます。
(小口直彦 記)
(参加者 敬称略)
飯島紘栄(S41)、中川真(S44)、池田正憲(S47)、岡野和弘(S48)、沖浜裕司(S51)、山口裕通(S56)、野村忠利(S58)、田中昌彦(S59)、小口直彦(S61)、小野靖(H1)、小野和美(H1)
日本医科大学駒東会
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日本医科大学駒東会を、11月25日に帝国ホテル「舞の間」にて開催いたしましたのでご報告をさせていただきます。
日本医科大学駒東会(日医駒東会)は、駒場東邦高校出身で日本医科大学の卒業生、教職員および学生の133名によって構成されております。
日本医大昭和41年卒で高校1回生の南嘉輝先生を最年長として、各学年に会員がおり、2009年からは定期的に開催されていましたが、コロナ禍により2019年以降の開催は残念ながら見送られておりました。
今回は、長きにわたり幹事役をお務めいただいている千葉北総病院消化器外科病院教授の渡辺昌則先生(22回生)の再びのご尽力により5年ぶりの開催となりました。私を含め5年生以下の現役学生にとっては初参加となりましたが、先輩方が温かく迎えてくださり、同窓の良さをあらためて感じることができました。
開会は南和文先生(10回生)のご挨拶と、日医駒東会の歴史や同窓の先生方のご活躍に関するお話で始まり、一気に会場が盛り上がりました。ご来賓の挨拶として駒場東邦中・高校長の小家一彦先生より、母校の近況報告を頂きました。
耳鼻咽喉科学大学院教授大久保公裕先生(19回生)からは、大学の近況報告と学生への激励のお言葉を頂き、身の引き締まる思いでした。前精神医学大学院教授で現在名誉教授と大学理事の要職にあられる大久保善朗先生(15回生)、前東京医科歯科大学救急災害医学分野教授で本年4月より国立病院機構災害医療センター院長の大友康裕先生(19回生)のお二人からは、大学に残って研究や診療を続けることの醍醐味を伺いました。また数学者としてご活躍の東京理科大学副学長・元本学数学科助教授秋山仁先生(6回生)は、本会設立当時のお話と日本医大卒業生の各方面でのご活躍を称賛されました。
岩瀬和泉先生(11回生)より乾杯のご発声をいただき、歓談となりました。引き続き恩師とOBの先生方からはご挨拶を、学生は自己紹介で盛り上がり時間を忘れる中、西恵吾先生(11回生)より中締めのご挨拶をいただきました。
最後は参加者全員で円陣を組んで駒東校歌を、帝国ホテルでは少々はばかられる大きな声で斉唱し、お開きとなりました。
現在はそれぞれ別の世界でご活躍されている、中学から大学までの12年間同窓の皆様と、上下の分け隔てもなくお話をできる機会はとても貴重な時間でした。これからもこの集まりを通して培った中学、高校そして日本医大への母校愛を以って、益々頑張っていきたいと強く感じる日医駒東会でした。
参加者(敬称略)
秋山仁、南和文、岩瀬和泉、西恵吾、大久保善朗、中村洋、大久保公裕、大友康裕、渡辺昌則、小原邦彦、松下晃、佐々木孝、廣本敦之、細矢慶、藪野雄大、菊池友太、田邊智英、原田潤一郎、春名孝洋、渥美裕太、三澤一仁、坂本裕輔、井上諒祐、笠谷峻、中村広一、間光司、伊東謙、山形怜史、山田功太、金俊野、八木智也、栗原一瑛、中里正貴、宮田隆宏、森藤大介、新谷雄太郎、榊原脩太郎、名取啓、髙田慎太郎、瀬尾柚貴、池田悠太、小池弘一郎、大野健吾、渡邉晋ノ介、太田昌明
4年 髙田慎太郎
平成2年卒業生クラス会
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令和5年11月25日(土)、帝国ホテル「雅・錦の間」に於いて、平成2年卒業生クラス会が開催されました。平成26年1月30日の卒後25周年記念クラス会ではオリンピック・イヤーの定期的な同窓会開催を決めたのですが、コロナ禍で延期になっていました。9年ぶり4回目のクラス会に、北は北海道から南は福岡まで全国から46名のクラスメイトが集いました。
まずは、日本医科大学同窓会常任理事の五十嵐健人君から日本医科大学同窓会の法人化と日本医科大学創立150周年記念の会のお話、同窓会グッズの宣伝ののち、乾杯のご発声をいただきました。そして参加者の近況報告。大学に残っている者は数人となりましたが、皆各地でご活躍の様子です。特別ゲスト臼田道成君(http://www.michinariusuda.com)は2年生まで本学で一緒に学んだ歌手。ボラーレなど4曲ご披露いただき、その歌声とギターに大喝采でした。
最後には、幹事の宮内靖史君のスマホで東京在住バイアス付きルーレットが回され、次回の幹事が城田・三浦・三品・中塚と決定、盛会のうちにお開きとなりました。
(三品雅洋 記)
昭和60年卒業クラス会
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2023年11月25日(土)に昭和60年卒業生のクラス会を開催しました。我々のクラス会は、昭和54年に一緒に入学したが卒業が遅れた者も正式会員としています。新型コロナ感染が5類感染症となり、対面のパーティーが認められつつある社会状況ではありますが、まだ地方からパーティー参加のために上京するのは難しいという声もあったことから、3年続きのオンラインでの開催となりました。参加者は15名でした。
「フレイル予防の新たな選択肢〜短期集中予防サービスの活用〜」と題して、やわたメディカルセンター理事長の勝木保夫先生の学術講演を拝聴しました。近年、高齢者のフレイル(心身の機能低下)が大きな社会問題になっています。フレイルが進行すれば要介護者に陥ってしまうことから、フレイルを予防することが健康寿命を延ばし要介護者を減らすことにつながります。講演では、石川県小松市で勝木先生を中心にフレイル予防のために展開している「短期集中予防サービス」が供覧されました。行政とも連携しながら採算度外視で地域医療・福祉にかかわるという勝木君の努力に頭が下がるとともに、同級生として誇らしい思いを抱きました。
学術講演の前後の2度にわたって、PCの画面越しに参加者最年長の相原君の音頭で乾杯をあげました。それから順番に近況報告を行いました。
相原君が鼠経ヘルニアに、宇野君が急性心筋梗塞になった経験を話され、患者の体を心配する前に自分の体を心配しなければならない年代になったと痛感しました。同窓会理事の丸山君は、沼津市救急センターの当番医として勤務しながらの参加で忙しそうでした。一方、飯盛君、林久太佳君、師田君は居酒屋に集まって3人で飲みながらの参加で、他の参加者はうらやましく眺めるばかりでした。同窓会理事の坪井君からは、地方での同窓会員減少のため、複数の日本医大同窓会支部が合同して会合を開く動きがあると報告されました。
新型コロナ感染による同級生の訃報は聞かないで済みました。来年こそ対面で酒を酌み交わせるクラス会にしようという事から、次回は新谷君を幹事として2024年11月ごろに都内で開催し対面再会することを約して、Zoomを退室しました。
参加者は以下の通りです。相原康孝、飯盛仁志、宇野嘉弘、勝木保夫、新谷英滋、坪井永保、中石仁、林久太佳、林毅陸、福田達弥、藤本和久、松田潔、丸山和男、三浦雅博、師田哲郎(アイウエオ順)
(松田記)
山梨県支部総会
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令和5年11月18日(土)に同窓会長渋谷哲男先生、理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生をお招きして、甲府市内のホテル談露館にて日本医科大学同窓会山梨県支部総会が開催されました。今年度は、足立好司先生と福冨崇浩先生が初参加されました。
支部長吉川英雄先生の開会の辞に続いて、高橋常和先生の乾杯の御発声と共に支部総会が始まりました。最初に渋谷哲男先生から、創立150周年記念事業などのお話をしていただきました。次に坂本篤裕先生から、大学の財務状況が次年度黒字化する見込みであること、総合大学化に向けた看護学科創設などのお話がありました。続いて弦間昭彦先生より、日本医科大学から世界に通用する医師を輩出するための様々な革新的教育プランなどのお話をしていただきました。どのお話も、母校の輝かしい歴史に基づいた今後の発展を実感出来る素晴らしい内容でした。
その後、食事を摂りながら近況報告などの歓談となり、大いに盛り上がりました。
参加者(敬称略卒年):高橋常和(S30)、吉川英雄(S46)、高橋弘(S50)、松山謙(S50)、武井茂樹(S53)、若杉正清(S58)、露木弘光(S58)、足立好司(S60)、松田潔(S60)、
内藤久也(S63)、岡島史宜(H10)、福冨崇浩(H23)、井出勝彦(H元)。
(記 井出勝彦)
ヨット部創立50周年記念パーティーに寄せて
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ヨット部2代主将 福田純(昭50)
海が好きで大学入学後はヨット部に入ると決めていたが、そもそも母校にはヨット部がなかった。その上、私はそれまでヨットに一度も乗ったことがなかった。そこで一年生の夏休み、琵琶湖のとあるヨット合宿に参加。ヨット帆走の基礎技能・帆走ルール・舟の構造・気象学などを学んだ。
2年生の時はヨットレースに出場しているクルーザー艇のクルーとして波浪注意報の中でも果敢に出廷する猛者に混じって実技を学び、海の厳しさも体験。学1(3年生)になり千駄木の学生会館で運命の出会いが待っていた。「ヨット部員募集」の掲示看板を掲げた1年先輩の篠田さんと遭遇。入れ食い状態で最初の部員になった。ヨット本体もその置き場所も資金もクラブ運営のノウハウも何もない処からの出発で、あるのは少数の部員と彼らが持つ若さと情熱だけだった。
やっと他大学から中古のスナイプ艇を購入。日本医大ヨット同好会初練習は鎌倉材木座海岸。小雪チラつく2月、部員はたった4人だったと記憶している。少ない部員で重たい船体を担ぐには無理があると判断し、当初はスロープのある霞ケ浦を練習の拠点とした。でも部員一同、いつかは「湘南の海でヨットに乗りたい」という夢は持ち続けた。
その後、目的に向かってアイデアを出しあい協力しあう仲間たちの合宿生活。
これが礎となり、翌年から東医体に参加。ヨット部の活動資金集めとして夏はヨットの試乗会、冬はダンスパーティーを開催した。そんなこんなで徐々に部としての体裁が整い、初代メンバーの卒業後、東医体に優勝。全医体にも優勝という実績を積み重ね、伝統あるヨット部が築かれていった。
ヨット部を創ってからよく遊び(部活)良く学び、非常に充実した学生生活を送った。卒後私は第一内科に入局。その後、埼玉県戸田市で開業。介護保険の始まる10年前から訪問診療を行ったのは、これから世の中の吹く風の動向を読み、他より少し舳先を前に動かす 初動の大切さ など、ヨットや部から学んだからでもある。開業医として、人を大切にする事、有機的に働いてもらう事、組織の運営など部活で学んだ事は実社会で大いに役立った。
その後30年を経てリタイヤし、世界自然遺産の屋久島に移住。毎日、目前の海を見ながら、森林浴や自然を取り入れた予防医学の観点からの活動を試みている。
今回50周年記念パーティーに出席し、部員とOB・OGが一体となって、皆が生き生きした笑顔に包まれているのを見て「なんて良いクラブに育ったんだろう!」と感激。部の発足当時を知るものとして「続けていて良かった」を実感。この間、他大学医学部のヨット部が消滅していったのを見聞きする中、我々の後に続いた皆の力の総合力で今の日本医大ヨット部がある事を再認識。これからも伝統校として名を馳せて欲しい、と改めて思っている。
最後に、今は亡き初代部長角尾道夫薬理学教授と大河原孫一初代OB会長に謝辞を表すると共に、かくも盛大な50周年記念パーティーが催された事を報告したい。
2023年霜月
屋久島(凡母親爺;ボンボヤージ)より
(追記:令和5年11月11日(土)、東京ドームホテルにてヨット部創部50周年記念パーティーを開催いたしました。コロナ禍のため1年延期での開催となりましたが、ヨット部のOB・OG先生方及び現役生合わせて88名にご参加いただきました。前部長尾藤博保先生、前顧問南史朗先生への謝恩会、新部長清家正博先生の主任教授就任祝賀会を併せて執り行うことができ、会は非常に盛大なものとなりました。
(3年 ヨット部主将 森本蘭)
全員が傘寿を迎えました 昭和四二年卒 志仁会
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令和五年三月末日をもって我々志仁会は全員が目出度く傘寿を迎えました。とは言え、卒後56年を経過する間に、会員の3分の1に当たる30名が鬼籍に入り、5名の所在安否不明者を加えると現有会員数は56名にまで減っています。
元来、志仁会会員は学生時代から結束力が強く、歴代の学年幹事(現在は静岡県富士市の宮下正雄君)の努力もあり、卒業数年後に開始した同期会は持ち回り幹事の下で、毎年連綿と継続しておりました。しかしながら、さすがの結束力も昨今の嵐の如きコロナ禍には太刀打ち出来ず、3年間は休会の憂き目にあいましたが、流行の終息が見え始めた昨年秋には福井県の関敬信君の世話で北陸の名湯「あわら温泉」で再開しました。
今年は全員が80歳を超える記念すべき会で、地方からの出席者の利便を考慮して「東京駅ステーションホテル宴会場」を早々と予約し、翌日はなかなか予約が取れないことで要望の多かった「迎賓館内部見学」を含む都内観光を企画しました。
令和5年11月11日夕に開始した懇親会では十数年ぶりで出席、これが2回目の参加といった会員もおりましたが、顔を合わせた途端、一瞬にして半世紀以上前の学生時代にタイムスリップし、「ヤアヤア久し振り」と賑やかな会話が弾みました。恒例になっている各自の現況報告では「今でも体も頭も至って健康で開業医を楽しく続けている」、「節目の年に合わせ医業を引退した」とか「子供に継代したが、する事も無いのでボケ防止と健康のため少しだけ手伝っている」と言った時の顔は、先程までの青年の顔から長年の重みを加えた素晴らしいジジ、ババの顔になっていました。年齢に合わせ量は少なくとも質の良いものにグレードアップしたディナーを終え、最後に現在日本でもっとも著名な二胡奏者であるチェンミンに依頼した「傘寿記念ミニコンサート」を全員で楽しみました。
定刻の九時はあっと言うに間に過ぎてしまい「今後、徐々に会員が減るのは仕方がないが、八十歳の日本人の平均余命である男性88歳、女性92歳を目標に健康に留意し、参加者は減っても毎年志仁会総会を開催しよう」と誓い合って散会しました。
(文責 足立憲治)
日本医科大学卒業50周年記念クラス会(余禄会)報告
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美しい晩秋から一気に冬の季節になりました。今はAfter coronaになりつつありますが、健康には気を引きしめなければいけない毎日です。
さて先日の令和5年11月3日祝日文化の日に開催された帝国ホテル東京の蘭の間にての卒業50周年記念のクラス会総会も、余禄会会員のご協力で盛会裡に終えることが出来ました。会は、同伴者のご出席も多く、総計49名でありました。また12名の会員とご家族の皆様は歌舞伎座の観劇を致しました。会は、悲しい別れになった23名の物故者に哀悼の意を込めて黙祷しはじめました。乾杯の発声は、神戸の春日君にお願いし、団結の固い余禄会の話を頂きました。皆は、馬場君担当の昔の懐かしいビデオを見ながら、そして、宴たけなわの頃から出席者の新たな夢と生きがいを込めた近況報告を聞きました。宴も終盤に差し掛かり我々のクラスの余禄会の仲間だからこそ出来る、心豊かな思い出を語り合い、日頃の疲れを癒し会は大いに盛り上がりました。話のつきぬ余禄会会員は、二次会を帝国ホテルバーラウンジのアクアにて行い別れを惜しみました。次の余禄会の予定は、徳島の中西君のもとでの再会とし散会となりました。
この団結力を誇る余禄会は『日本医科大学昭和46年卒業50周年記念誌―余禄会のあゆみー』の小冊子を、作成致しました。
最後に我々余禄会が、卒業50周年を迎えるにあたり、日本医科大学法人より多大なご援助を頂きました事を、ここに心より感謝と御礼を申し上げます。
昭46年卒 志村俊郎、赤上晃
日本医科大学バスケットボール部OB・OG会総会
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この度は、2023年10月28日帝国ホテル東京にて日本医科大学バスケットボール部OB・OG会総会を開催いたしましたのでご報告いたします。
新型コロナ感染症拡大の影響のため、創部90周年の節目の時期に記念の会を開催できずおりました。当部は今年(2023年時点)で創部92年となる長い歴史を有するクラブです。今回、久しぶりの総会開催に当たり、昭和63年卒別所竜蔵先生の千葉北総病院院長就任ならびに教授昇任祝賀会も兼ねて開催する運びとなりました。参加者は故神尾友和元OB・OG会長夫人はじめ東京近郊以外から秋田県や石川県の遠方よりも出席されました。OB・OG51名、現役部員22名でありました。
OB・OG会長の落雅美名誉教授(昭和50年卒)の挨拶で会が始まりました。野見山哲(昭和49年卒)先生の乾杯にて開宴となり、その後参加者の近況や現役時代のエピソードなどの挨拶が披露され和やかで楽しい時間が過ぎていきました。別所先生からは病院長としての抱負やバスケットボール部長として今後の指導と期待を話され、特に、女子部の東医体優勝報告は大変盛り上がりました。当会の益々の結束と一層の発展を願い盛会に終わりました。女子部は全医体でも優勝したことも併せてご報告いたします。今後もその勢いは続き男子部も大いに活躍を期待したいです。
平成7年卒クラス会
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令和5年10月28日パレスホテルにて平成7年卒25周年同窓会が開催されました。実際は28周年でしたが、コロナ禍もあり延期に次ぐ延期でようやく開催することができました。
同窓会には25周年事業として認定して頂き感謝申し上げます。
当日は62名の同窓生が北は北海道、西は岡山から参加いただきました。また坂本理事長、渋谷同窓会長にもご参加頂き誠にありがとうございました。会はまず残念ながら鬼籍に入られた同窓生、猪狩君、金子君、木村さん、矢口さんに対しての黙祷から始まりました。
その後坂本理事長による現在の日本医大の状況をスライドでご説明いただきました。我々が医師になった頃には日本医大は借金が多くとても返済できる額ではないという認識でしたが理事長の説明では来年度にはプラスに転じるとの事、素晴らしい母校の回復力を実感いたしました。また渋谷同窓会長からは同窓会の法人化計画や今後地域での同窓会活動をご説明いただきました。母校のために我々も微力ながら支援していきたいと感じさせられました。
会は非常に盛況で二次会、三次会と盛り上がり日付が変わる頃散会となりました。今、日本医大は力もあり我々にとっても非常に喜ばしいかぎりです。今後益々母校が発展する事を期待しております。
今回は大学同窓会にもご支援頂き誠にありがとうございました。
川崎支部・武蔵小杉病院合同総会を開催して
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令和5年10月22日、日本医科大学武蔵小杉病院5階大講堂にて、川崎支部総会および川崎支部・武蔵小杉病院合同総会を開催しました。
吉松副支部長の司会により、まずは川崎支部総会にて物故者黙祷の後、事業報告、会計報告がなされ、幹事の選任を議題として議論しました。これは各支部でも同じ問題をかかえていると思いますが、新旧同窓会会員を把握し、幹事の若返りを図り、支部会を活発化する目的です。
次に武蔵小杉病院との合同総会に移りました。同窓会長渋谷哲男先生、理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生を来賓にお迎えして、支部会員15名、武蔵小杉病院31名が出席して、総会が開催されました。私の挨拶を皮切りに、渋谷会長よりは、来る2026年4月25(日)日本医大開学150周年記念祝賀会が開催され、それに多くの同窓生が参加されることを求められるご挨拶をいただきました。次に坂本理事長からは、パワーポイントを用い、法人の堅調かつ上向きな経営がなされていること改めてお示しいただきついに黒字基調になったとの力強いお言葉をいただきました。また弦間学長より、学生教育、入試などについての取り組みについて詳細なご報告があり、世界での活躍を期待する新たな日本医大学生像が示されました。
谷合院長のご挨拶では武蔵小杉病院の新任部長のご紹介と川崎市の医療体制の再編が予定されており、益々小杉病院の基幹病院としての重要性が増すというお話がありました。
この日は奇しくも二子多摩川花火大会の日であり、懇親会をそうそうに、皆様屋上に移動し花火観覧に興じました。この屋上の景観も小杉病院の魅力です。ただ、夕方より天候の変化があり、屋上は北風にさらされ、予定時間より早い解散となりました。
武蔵小杉病院のその新しさと機能性は、激変している川崎市医療情勢を担う我々支部会員にとって非常に力強く、その認識をさらに高めた総会になったことを、ご報告いたします。
(支部長:諌山和男)
昭和49年卒 勝遊会 開催報告
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令和5年2023・10・7東京ドームホテル42階シリウスにて昭和49卒業生を中心とした勝遊会が開催されました。会員160名からの返信も113名と多く、出席者は39名、同伴者3名でした。
18時より幹事代表浅野君による挨拶で会が始まりました。前回は2019・5広島でしたがコロナの影響で4年ぶりの開催です。この間に9名の会員が亡くなった旨の報告の後、黙禱を捧げました。ご冥福をお祈りいたします。
その後佐々木君の音頭による乾杯があり、御食事を開始。伊佐治同窓会監事より同窓会の活動につきお話、島田君による大学運営の話がありました。また2021、2022の山形での会が残念ながら中止延期となった件につき幹事の仁科君より経過説明がありました。その後、富士宮の安藤君、小田原の岡村君より近況報告を頂きました。
我々は来年卒後50周年の記念すべき年になります。次期幹事を引き受けてくださった三浦、新君が最後に挨拶をされました。参加者が増えることを考え、東京を中心に場所時期を選定する予定です。
21時に写真室に移動、到着が遅れていた京都の岡部さんも間に合いました。二次会は同じ42階会場で開かれました。今回、同日に学士会館で昭和48年卒の会が開催されていましたが、そこから5名の同窓生が参加され更に賑やかになり楽しいひと時をすごしました。
お忙しい中、遠方から参加されました同窓生とご家族の方には心より感謝申し上げます。
(文責太田)
昭和48年8月卒(四葉会)卒後50周年記念クラス会
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昭和48年8月卒業のクラス会が、2023年10月7日、神保町にある伝統の学士会館にて開催されました。四葉会は、毎年その時の幹事の地元で10月頃に行われておりますがこの2年間は、新型コロナ禍の影響で中止されていました。昨年、東京で加賀一兄先生幹事の元にお茶の水の「山の上ホテル」で再開されましたが、今年は、私が幹事を仰せつかり再び東京で行われることになりました。
今回は50周年記念の為か昨年より多く26名の参加となりました。会が始まる前のウェルカムドリンクの時から暫くぶりで会う皆さんは学生時代の話、大学時代の話、最近の話などに華を咲かせておりました。不肖私の開会の挨拶の後まず直前の9月14日、お亡くなりになった山形県の板垣眞一先生に全員で黙とうを捧げた後、楠(旧姓:村瀬)万佐子先生の会計報告を含めたご挨拶、そして加賀一兄先生の乾杯の音頭で会が始まりました。
学士会館のシェフの腕によりをかけた最高級の数々の料理に舌鼓を打ちつつそれぞれのテーブル毎に楽しそうな話が進む中、宴もたけなわになったところで個人個人にあらためて最近の状況を話して頂きました。話はどうしても最近の体の調子や持病の話、この一年で新しく患った病気のことから、孫の成長、最近行った旅行の話など多岐に及び、仕事はまだ現役で忙しくしている人、縮小している人、悠々自適に過ごしている人、また自分のみならず、子供、孫の自慢話など、様々でしたが皆、元気そうで楽しい時間を過ごしました。
例年と比べ今年は3時間を超える十分な時間とゆっくりと使える部屋を学士会館の方で提供してくれたこともあり、二次会の場所をあえて考える必要がなかったこと、また、同じ日に文京区の東京ドームホテルでS49年卒のクラス会が行われておりそちらに合流する先生方も多かったことなどから、本会はその後、来年の幹事を決めた後、全体の集合写真をとってお開きとなりました。
次回は、栗山大作先生が幹事を引き受けて下さり、大阪で来年この時期に行われることとなりました。S48年卒といっても次第に参集するメンバーが少なくなっていく中、メンバーから「S48年卒」でなく、「S42年入学クラス会」にしたらどうかという意見が出ました。皆さん同感であり反対意見がなかったことからそのように進めていきたいと思っております。
来年から、クラス会はとりあえず次の10年に向かって進む年であり、より多くのS42年入学の同級生を集めてクラス会を盛り上げていくことを誓い合って散会となりました。
最後になりましたが、記念すべき卒後50周年となりましたこの四葉会を開催するにあたり大学から大変貴重なご援助を頂きました。坂本日本医科大学理事長、渋谷同窓会会長をはじめ関係各位に厚く御礼申し上げます。
昭和48年8月卒 清水一雄
五輪会(昭和39年卒)
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数十年にわたり毎年1回開催していた五輪会も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的蔓延のため令和元年5月の卒業55周年記念総会を最後に中断を余儀なくされた。COVID-19の5類感染症への移行に伴い社会生活も平常に復し、コロナワクチンの重症化予防のエビデンスも明らかとなったため、10月7日に帝国ホテルにおいて4年半ぶりに開催した。
幹事から現在連絡がとれる会員は45名、この4年半の間の物故者が7名(門倉君、土屋(守)君、妻鳥君、松下君、勝井君、福田(誠)君、木曽君)、また、令和3年春、4年秋の叙勲で佐藤君と西脇君の両名がそれぞれ瑞宝双光章を受賞したと、報告された。
高齢(出席者の年齢は83歳から87歳)になると予期せぬ出来事が突然起こり、会直前になり佐中君が尿管結石で入院、箕田君が脳梗塞で入院、山下君が北海道旅行中に脳梗塞で入院と、立て続けに事件が起こった。山下君は血栓溶解療法が著効し、帰京後、脳神経内科、木村教授の承諾をえて、出席することが出来た。
宴会は、同窓会馬渕理事(故原一君長男、五輪会の準会員といっても良い)の挨拶、運良く参加できた山下君の乾杯で始まった。吉兆の懐石料理を楽しみながら、各自1分間スピーチを行った。五体満足の人間は一人もなく、自分の健康状態、老老看護などの話題が主であった。なかには肋骨を6本も折り、肺にも刺さったが元気な人(野原君)、男性の元気をいまだ追い求める人(滝田君)など、猛者もいた。
来年は卒業60周年、開催できるかどうか。皆、頑張って集まりたいものです。
当日の出席者:芦澤、石津夫妻、小澤父娘、滝田、田畑夫妻、塚田、土屋(喜)夫妻、長澤夫妻、野原、福田(俊)、堀家、光田、保井、山下夫妻、山本。
(長澤記)
ミニミニ37会(さんななかい)開催
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開催の発端は令和5年10月1日(日)、元関脇魁聖の断髪式が両国国技館であり、私が上京すると大山君にメールしたことだと思う。そうしたら当日の昼頃ミニミニクラス会を開催すると返信が来た。私は慌てて「1日の断髪式は午前中に終わるかどうか分からないので1日はムリ」と再メールした。そうしたら杉谷君と相談した結果22日(日)に変更するとのメール。
知らせは全員に行ったのか?大山君の選択か?それは知らない。
会は20名を越える出席予定であったが、当日は16名の出席であった(最後に名を記す)。
我々は少なくとも80代後半の者ばかりなので当日欠席もあり、とするしか仕方ない。
前置きが長くなったが場所は東京駅大丸デパートの12階飲食店街銀座アスター。午後1時開始。当日は九州、新潟、金沢等遠方からの出席者もあり楽しい一時を過した。同伴と言うよりは付添い付きで上京された仲間もあったよう。私個人的にはカオの判らない人も若干居たが特に名を秘す。意外に若いなと思った人も居たがこれも秘す。
これも個人的だが、吉岡君を見舞おうと努力したが、なかなか難しく後髪を引かれる思いで帰宅した。残念ながら間もなく訃報が入った。出席者全員、故人になられた友人のご冥福を心よりお祈り致します。
写真は照明不足で不満だが杉谷君の努力に感謝しここに掲載する。
次回は令和6年秋頃開催したいと杉谷君、羽鳥君の弁。出席希望者はご連絡を乞う。
当日の出席者は1:杉谷、2:堀尾、3:町田、4:三浦、5:酒井、6:永野、7:永積、8:大山、9:浅井、10:大岸、11:羽鳥、12:関谷、13:富永、14:吉野、15:朝広、16:与五沢の諸君です。
マイナンバー俺の私生活バレそうな
老いと死は避けて通れぬ今実感
誰だって生きてるウチが花なのよ‼
文責 堀尾豊(昭37卒)
平成8年卒クラス会(平八会)
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2023年9月23日(土・祝)に帝国ホテルにて、卒後25周年記念のクラス会を開催しました。コロナ禍にあったため2年遅れでの開催となりましたが、前回のクラス会から7年ぶりとなり、懐かしい面々がこれまでのクラス会の中では最多の54名、北は北海道、西は岡山県と遠方からも参集しました。坂本理事長、弦間学長、渋谷同窓会長もご出席くださり、日本医大の現在の順調な財務状況や進行中の事業計画、教育システムについて、スライドを交えてお話しくださり、卒後25周年という節目に改めて本大学の卒業生であることに誇りをもって今後も頑張っていこうという思いを新たにしました。
参加者全員からのひと言ずつの近況報告では、同級生たちがそれぞれ責任ある立場に就いていたり開業していたりと、日々頑張って活躍していることをお互いに再確認でき、明日へと繋がる良き刺激となりました。学生時代に仲の良かった人との懐かしい思い出話や、また、昔はあまり話す機会のなかった同級生の新たな一面を知る話などなど、皆、大いに盛り上がり、大変有意義な時間となりました。次回は卒後30年となる3年後にね、と約束しながら散会しました。
(平松久弥子 記)
昭和57年(1982)卒 八二医会(やぶ医会)を開催して
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令和5年9月23日(土曜日、祝日)にコロナ禍のため2019年以来4年ぶりに“オークラ東京41階エトワール”で開催しました。昨年が丁度 卒後40周年 でしたので、今年は 卒後40+1周年 ということで全国からクラスメート34名が集まりました。今回はプレツアーとして9月23日午後に新しい武蔵小杉病院の見学、翌日9月24日にはポストツアーとして河内幹事の取計いで中山競馬場の特別席で競馬観戦という構成でした。
オークラ東京でのクラス会は34名全員が近況報告をしました。さすがに41年間医者をしているので、話は面白いし考えさせられる話も多く、美味しい食事とお酒を頂きながら、皆熱心に聞いていました。
41年ぶりという仲間もいて、「貴方はどなた?」とお互いに言い合って、お互いの変貌ぶりに大笑いしました。あっという間にお開きの時間となりましたが、2次会は同フロアーのラウンジに約20名が移動して遅くまで話に花を咲かせていました。最後は来年元気に再会することを誓ってお開きとなりました。
参加者:赤石健、東光邦、飯田啓、井原ちひろ、大村文敏、川井真、斎藤敏之、坂本勇二郎、佐久間文子、佐藤圭、柴田香織、杉澤裕、鈴木攻、田口克司、田島なつき、田所直子、田所裕之、寺田功一、長江安洋、長谷川博一、八田晋、福田憲昭、前田秀雄、真崎雅和、真鍋辰哉、三樹忍、道又秀夫、森隆夫、山野邉滋晴、横山聡、渡辺(津田)正範、河内重人、萩原万里子、喜多村孝幸
排球部創部70周年記念式典
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去る2023年9月17日帝国ホテル孔雀東の間にて排球部創部70周年及び浅井邦也(S63卒)、谷合信彦(S63卒)、田村秀人(H2卒)、山田佳彦(H4卒)及び村井保夫(H5卒)各先生の医学部教授就任記念祝賀会が開催されました。本会は黒川顕(S45卒)、松倉則夫(S49卒)及び樋口勝美(S54卒)の3先生が発起人となり、医師54名、学生26名の総勢80名が参加し盛大に開催されました。ことにS34卒の鈴木和徳先生、S37卒の板倉純夫先生、S42卒の中根康雄先生、S45卒の杉森忠貫先生には有難いご出席を頂きました。このような祝賀会は2018年に行われた佐藤直樹先生(S62卒)の医学部教授就任記念祝賀会以来5年ぶりであり、それぞれ懐かしい再会に旧交を温めました。
会のはじめに発起人を代表して黒川先生より、1990年作成の排球部誌(白球№5)へ昭和30年卒の玉井先生から寄稿された文章の中に排球部が1950年に創部された旨の記事が紹介され、正確には本年は創部73年にあたるとの説明がなされました。さらに、この間に亡くなられたOBの先生方の御霊に黙祷を捧げました。
その後歴代排球部部長やOB会長からの祝辞に続いて、医学部教授に就任された5先生からの挨拶があり排球部一同から記念品が贈呈されました。我が排球部からこれだけ多くの教授が短期間の間に誕生したことへの賞賛の声が参加者から発せられました。
参加した学生からは男子部及び女子部の主将が近況報告をし、現部長の谷合先生は体育館が無くなり体育館使用料など活動費が増大しているためさらなる寄付のお願いしたいとの追加発言がなされました。
会の最後に排球部歌及び校歌を斉唱し、集合写真を撮影して2時間の会を盛会裡にお開きとしました。
文責 岡島史宜(H10卒)
埼玉県支部総会
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令和5年7月29日、ロイヤルパインズホテル浦和で、同窓会長渋谷哲男先生、日本医科大学理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生を来賓にお迎えして、支部会員23名、地域枠学生8名が出席して、新型コロナ感染拡大のため令和元年以来、4年ぶりの今年度の総会が開催されました。
総会に先立ち、物故会員の先生への黙祷を行いました。
初めに、羽鳥雅之支部長よりご挨拶をいただきました。
羽鳥雅之会長からは、ご来賓の先生、渋谷哲男同窓会長、学生の出席へのお礼述べられ、学術講演の高野先生の紹介、秩父病院の花輪先生からの地域枠の学生の関する話がある旨のご挨拶をされました。
続いて、同窓会長渋谷哲男先生は、「同窓会にお招きいただきありがとうございます。今日は、本当に8人の学生の参加本当にありがとうございます。支部会の活性化、今後の橘桜会の法人化について努力していきたい。埼玉県の同窓会の先生方のご支援ご協力をお願いします」とご挨拶されました。
日本医科大学理事長坂本篤裕先生は、埼玉県同窓会にお招きの感謝を述べられた後、新型コロナ感染症蔓延時の大学病院の診療状況、法人経営状況改善の報告、令和8年度における本学150周年記念事業の話をされ、最後に、「会員、母校のために努力していくので宜しくお願いしします」とご挨拶を結ばれました。
学長の弦間昭彦生は、学長再選のお礼を述べた後、医学教育のテクノロジー改革、他大学との理工連携、学習支援システム、入試、医師国家試験の情報等についてのお話をしていただきました。
意見交換では、秩父病院の花輪峰夫先生(埼玉県の地域医療を守る会代表)から『埼玉県医師育成奨学金・返済免除指定病院の要件変更の提言』の資料をもとに、民間病院でも条件を満たせは、奨学金免除指定病院とする等の提言をされ、会員、本学にもご賛同、協力いただきたいと説明されました。
続いて、日本獣医生命科学大学講師高野貴士先生より「One Word, One Health」についての講演がありました。
狂犬病の症例提示から、人種共通感染症、人の健康と動物の健康と環境の健全性を一つとして捉える One World One Healthの考え方等についての分かり易く解説していただきました。
総会の後、全員での写真撮影に引き続いて、懇親会が行われました。今回は、ご招待の地域枠8名の学生諸君にも出席していただきました。
懇親会は、初めに、若林恒郎先生の乾杯のご挨拶の後、全員の会員の先生方、学生諸君の近況報告等、自己紹介がありました。ご来賓の先生、会員の先生、学生諸君は、遅くまで和気藹々と意見交換をされていました。澁谷純一先生の閉会のご挨拶で、本年度支部総会は滞りなく終了いたしました。
北濱博之 記(昭和56年卒)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第439号より
中野支部総会
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令和5年9月21日(木)、中野区の割烹第二力酒蔵にて日本医科大学同窓会中野支部総会を開催いたしました。中野区内で開業あるいは勤務されている日本医大同窓生13名の先生方が参加されました。コロナ禍のためお互い顔を合わせることがなかなか出来ず、令和初の開催となりました。
支部長である昭和39年卒、野原士郎先生の乾杯のご発声で開会。会の冒頭、野原支部長より次期支部長として昭和51年卒の陳茂楠先生が指名され、満場一致で決定いたしました。そのあとは久しぶりに皆さん食事をとりながらの和気あいあいとした歓談となりました。毎回恒例である各自の近況や思い出話などで会は大いに盛り上がり、改めて日本医大同窓の親密さが感じられたひと時でした。
今回は昭和48年卒、大庭建三先生とご子息で日本医大大学院卒の大庭健史先生が初めてのご参加。大庭建三先生は2013年まで日本医大老年内科の教授であらせられ、参加者の中には学生時代直接先生のご講義を受けた後輩たちもおりました。この度、ご子息が中野で開業され、ご一緒に診療もされております。また、昭和53年卒、石坂公人先生のご子息で平成19年卒の石坂公介先生も初のご参加。お父様と力を合わせて地域医療にご活躍なさっております。さらに、本年5月に中野江古田病院の院長に就任なさった里村公生先生も初参加。先生は昭和53年に日本大卒業後、防衛医科大学でご研鑽を積まれました。このように中野で地域医療を担う同窓の仲間が増えることは大変喜ばしく、皆さん大歓迎で迎え入れられました。コロナ禍で同窓会も長く中断しておりましたが、是非来年も開催し、一人でも多くの先生方にご参加いただき、母校のために大いに盛り上がりましょうと皆さん酔いもまわって話も尽きることなく、あっという間の2時間半、記念撮影の後に閉会となりました。
(参加者、敬称略)
(前方左より)
山田和人(S50)、石坂公人(S53)、野原士郎(S39)、楠俊雄(S46)、大庭建三(S48)、浅野哲雄(S49)(後方左より)
白川毅(H4)、郡司直哉(H3)、横畠徳祐(H14)、石坂公介(H19)、大庭健史(日医院R4)、里村公生(S53)、陳茂楠(S51)(白川毅 記)
日本医科大学開成会総会
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この度、2023年9月9日に日本医科大学開成会総会を開催いたしましたのでご報告いたします。
幹事と総会での司会を務めさせていただきました、日本医科大学第4学年の廣野優介と申します。
コロナで長らく開催できていなかった日医開成会総会を四年ぶりにようやく開催することができました。日本医科大学開成会は開成出身者のうち現在日本医科大学に通っている学生、日医を卒業した先生方、そして日医で働かれている先生方により構成されております。
今回は1〜4年生が初参加であり、幹事学年がみな参加したことがないという異例の事態ではありましたが、会長の伊藤保彦先生(小児科大学院教授、医学教育センター長)をはじめとした多くの方々に支えられ、当会を実現させることができました。心より感謝申し上げます。
今年は9人もの開成出身者が入学してくれたこともあり、先生方や先輩方とともに改めてこの場で彼らの入学を祝福することができ光栄でした。
さらに日本医科大学内の学生団体(学友会)の代表である学友会長の経験者も3代(土屋雄太郎先輩、齋藤琢真先輩、廣野)揃って参加することができ、個人的には嬉しかったです。
日医開成会会長の伊藤保彦先生のみならず、名誉会長の秋元成太先生(泌尿器科名誉教授)、同じく名誉会長の内田英二先生(消化器外科名誉教授)、近藤幸尋先生(泌尿器科大学院教授)をはじめとした15名の先生方に加え17名の学生にもご参加いただき、大盛況を収めました。
会の最中は、運動会の話や学生時代の話で盛り上がり、思い出話に花を咲かせておりました。
ちなみに、秋元先生からのお話しで、代々開成の校医は日医開成会の先生が担当されているというお話しがありました。将来、母校の開成で後輩たちのことを診る日がくることを肝に銘じ、精進して参ります。
今回の総会をもって、伊藤先生が退官されることもあり、会長が交代となります。それを受け、私の方で推薦させていただいた荒川亮介先生(薬理学大学院教授)が次期会長を引き受けてくださることになりました。今後とも引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
また、今回から初めて日医開成会の会旗を作成しました。今後の開成会でも使用してもらえたらと思います。
そして、最後の締めは医学開成会でも振りをされた五十嵐豊先生(救命救急科)の振りによる校歌斉唱で締めくくりました。
最後に、オーナーさんが開成OBというご縁で会場を貸してくださり、開成会用の特別メニューで美味しい中華料理を振る舞ってくださった玻璃家(ボーリージャー)さまに心より感謝申し上げます。
来年度も開催できるよう、次期幹事(鈴木歩くん、近藤将太くんなど)に引き継ぎをしていきたいと思います。よろしくお願いします。
なお、今回は開催にあたり、会員の先生方にはお手紙にてご連絡差し上げましたが、万が届いていない場合にはお手数ですが廣野(20yusuke.h.00@nms.ac.jp)までご連絡ください。
参加者(敬称略)
秋元成太、内田英二、伊藤保彦、近藤幸尋、小野靖、鈴木康友、丸山雄二、後藤修、荒川亮介、中島泰、五十嵐豊、由井俊輔、藤本雄飛、程塚直人、鈴木健太、土屋雄太郎、大野拓也、大泉直登、齋藤琢真、小田邊優吾、孫望、佐藤優樹、廣野優介、鈴木歩、近藤将太、堀口明日翔、小島龍、笠嶋弥采、森龍、奥平将之、永江陽太、齋藤壮司朗
文責:廣野優介
橘桜会 愛知・岐阜支部 合同総会開催しました。
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2023年8月20日、日曜日、11時から、名古屋マリオットアソシアホテルにて、令和5年度岐阜愛知合同支部総会を開催しました。
来賓として、渋谷哲男同窓会長、弦間昭彦学長、猪口正孝同窓会常任理事の3名を迎え、岐阜支部会員4人、愛知支部会員27人加え、今年は三重支部の会員2人また、学生会員としてこの春、日本医科大学に入学された、岐阜出身の、戸部陽太さんと、愛知出身の、伊藤由衣さんの二人が、保護者の方と一緒に出席していただけました。
会に先立ち逝去された2名の会員に哀悼の意を表して、黙祷を捧げました。岐阜支部、愛知支部の順で支部総会を行い、会計報告、監査報告、会務庶務報告を滞りなく行われました。慶事として、岐阜支部の稲川俊文先生(昭和34年卒)と愛知支部の西脇孝先生(昭和39年卒)が、昨年秋の叙勲を受けられました。稲川先生が出席されましたので、中根岐阜支部長より、お祝いの言葉と、心を込めたお祝いの品の、贈呈が行われました。
来賓の挨拶として、渋谷同窓会長より、同窓会の現状、法人化、そして、済生学舎を原点とする日本医科大学同窓会が今年130年の節目であるので、来る140年または、150年のタイミングで、式典を開催したい旨の表明がありました。続いて、弦間学長は、今回出席いただけなかった、坂本理事長に託され、法人としての、日本医科大学の、現在の経営状況、近未来の方針が伝えられた。続いて、学長として、入試改革の効果、医学のみならず、サイエンスが学べる体制の構築、AIを含め、コロナ禍で、アドバンテージを見せたデジタルの活用を、紹介いただきました。来賓の挨拶に引き続いて、支部会員の発言の時間を設け、昭和37年卒の、堀尾豊先生から、「近年、本学卒業の、主任教授の、後継者不足を聞いているが、どんなものですか」と質問がありました。
12時を過ぎたところで、校歌斉唱から懇親会に移りました。特別講演として、昭和52年卒の、社会医療法人宏潤会大同病院名誉理事長吉川公章先生による、「実地臨床に必要な結核の知識」という演題で、現在の結核に対する医療を、大変わかりやすく、話していただきました。旧友との話が盛り上がり、アッという間に、終宴の時間が来ました。
最後に、集合写真を撮影し、終わりました。
文責 愛知支部 庶務 棚橋淳(昭和61年卒)
昭和58年卒クラス会
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令和5年8月5日(土)に開催しました。令和元年8月長岡市で花火大会に合わせての会以来4年ぶりです。会場は同窓会理事の畑三恵子先生(昭和53年卒)がオーナーのオープンカフェ「ぶるーぶるー」(葛飾区青戸)を貸し切りにしていただきました。青をテーマカラーにしたおしゃれな店内で、お心づくしのお料理と飲み物をたっぷり用意していただき、ゆっくり話すことができました。
北は青森県弘前市から南は熊本県八代市まで全国から集まった同級生に加え、同級の弦間昭彦学長、坂本篤裕理事長、同窓会から渋谷哲男会長、畑三恵子理事、萩原万里子理事も含め総勢28名が参加、にぎやかな会になりました。
卒後40年にあたる今年は、最も若い人でも65歳になります。それゆえ久しぶりの話題は、コロナ禍のこと以外に、自身や家族の健康問題、何歳まで働くか(承継を含めて)、などが多かった気がします。また、この日参加しなかった友人を心配する声もあちこちで聞かれました。
あっという間に4時間が過ぎ、話が尽きないままお開きの時間となりました。入念な下見から準備してくれた山口暁理事、吉行俊郎先生に感謝。元気でまた会いたいものです。
(文責 佐々木映子)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第438号より
昭和53年卒クラス会
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2023年7月15日午後6時より帝国ホテルで昭和53年卒業を中心とした同級会が挙行されました。万年幹事をしていただいている坪井成美先生の司会の元、最初に入学当時から今現在までわかっている物故者15名に対する黙とうがあり、乾杯と歓談の後、各々の近況報告が行われました。参加者の多くは第一線を退くか休みの方が多くなるような勤務になっていました。
日本医師会常任理事の釜萢先生からはコロナについての日本医師会の見解として5類になっても同じ5類のインフルエンザとは全く違って感染力が強く油断はならないとのお話があり、日本医大の現経営陣のご努力で業績が大分よくなっているとの説明がありました。
今年の1年生は女性が男性の数を追い抜いたそうですが、その先達を務められた同窓会副会長の前田美穂先生は初代日本医大女性医師・研究支援室長であったとの紹介があり、沸き立ちました。
参加者は申し込み時点では28名でしたが急の都合で1人欠席と当日参加で28名でした。元々の欠席者は64名で連絡がつかない者3名で空席のテーブルもありましたが、2時間の懇親会はあっという間に過ぎてしまいました。例年は7月の連休の日曜日に行われてきましたが、連休は私用で出かける方もいるかもしれないとのことで次回は1週間前の土曜日の7月6日に再会することを決めて散会しました。2次会は17階のホテル最上階で行われたようですが私は参加しませんでした。今回の写真の希望者は日本医大同窓会までアドレスをお知らせください。
(星野光治 記 写真の前列左端)
そろそろ古希の同窓会
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同窓会的には昭和55年卒業の同窓会ということになるのでしょうが、昭和49年入学の同窓会という様相でしたということで「そろそろ古希の同窓会」としてみました。令和5年7月16日、帝国ホテルで開催しました。前回が2009年でしたので14年ぶりということになります。
同窓は37名が出席。渋谷同窓会長、坂本理事長、弦間学長も参加してくださいました。はじめに理事長、学長から大学の現状についてのご報告があり、同窓会長の乾杯で会は始まりました。受付の時点で誰だお前は?的な容貌の変貌は多々見られましたが、あっという間に親密になれるのが同窓の良いところです。食べて飲んでの盛り上がりもありますが、それよりいろんな話題であちこち盛り上がっていました。料理はもう少し減らしても良かったかなと思いました。二次会も24名が参加し帝国ホテルのバーの個室で盛り上がりました。年齢を増すごとに日本医大の出身で良かったと思うというコメントが印象に残りました。
(文責 大久保)
昭和63年卒クラス会
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2023年7/22日(土)に帝国ホテルにて、同期の浅井邦也君が循環器内科の大学院教授になったのを祝い昭和63年卒、クラス会を開きました。出席者は下記の43名(敬称略)青木繁政、赤須東樹、浅井邦也、天野康雄、池園哲郎、岩村太郎、潮建司朗、江澤和彦、遠藤幸彦、奥田武志、尾見徳弥、小川博和、小原俊彦、國本健太、島義雄、鈴木達也、田寺長、高木亮、竹中圭、谷合信彦、月村泰規、長尾毅彦、南野光彦、西久保秀樹、西村敏、野村敦宣、橋口宏、別所竜蔵、藤倉輝道、牧野浩司、三宅弘一、持丸博、熊川美代子、古俣香、國本万由美、小西るり子、高木郁代、塚田弥生、南野麻美、福間祐美子、廣田薫、宮武桂子、良田有里子と体育科の武藤先生でした。
皆スピーチがとても上手で、面白く大いに盛り上がりました。出欠のハガキの返信が100名中82名と、このクラスは仲が良く、物故者が一人もいない心身共に健康なクラスだということが卒後35年たち解りました。皆、再度のクラス会を開く約束をして家路につきました。
(持丸博 記)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第437号より
昭和37年卒クラス会
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最近の同窓会新聞を見て丁度、我々37年卒の元気な集まりをしたので、大方の人が、米寿を迎える年令だし、会員名簿も大分前の方になり、お互い医師としての務めを無事に果たして後継者に譲り、しかし俺はまだまだと、地方で地域医療に頑張っている人等々クラス幹事が、先に旅立ってしまい、不肖大山、堀尾、杉谷で下記のミニ・三七会を開催した。
月日 2023年4月15日(土)12時から
場所 東京駅大丸12F日本料理
会費 10、000円
出席者 朝広、遠藤(哲)、大岸、大山、小林、杉谷、清水、田村、冨永、羽鳥、堀尾、町田、吉野、計13名の諸君。当日出席予定がやはり体調不良で、欠席が、クラス歳年長の、兼子博人君、浅井正典君がヘルニアで永積惇君は漢方薬の飲み過ぎで?自分が体調を壊して残念ながら欠席。[実は、大学時代、麻雀仲間で、伊藤修一、遠藤正弘、遠藤哲弘、大野祐司、大山義之、斉藤彰、(通称チンケ)、斉藤喬(通称デカ)、杉浦教明、町田良夫、山野孝史、山城義昭の1グループで卒後も、年に1度は顔を合わせていた。2020年2月1日以来。コロナ禍で中止]
先ずは、最近鬼籍に入られた、斉藤彰、遠藤正弘、愛野孝志、金子勝治、須賀洋、山城義昭、君達の霊に全員で黙とうを捧げました。
その間も、宴の隅から、あいつ誰だ?誰だ?の連発で、今だに、コロナの影響でマスク顔、外してもしばし想い出せずに、考え込んだり、卒業61年ぶりですから無理もなし。すぐに打ち解けて久しぶりに学生時代を思い出して、ささやかにも近況を語り、お互いの奮闘ぶりを讃えあい、外は朝から雨でしたが、心温まる会でした、やはり同級生は気の置けない良い仲間です。
けど、大山またやれ‼には少々時間がかかります。何せ老生も、パーキンソンという難病持ちですから(介護2度です)
最後ですが、気になることがあり、いくら連絡してもなしの礫の吉岡正智君の消息が分かれば連絡下さい。そして板倉純夫、菊池英雄、関谷駿一、中島一巳、福島芳彦の諸君、そして今回、連絡モレした、酒井公範、永野淳二の両君ゴメンナサイ。
次回は、堀尾豊君が計画してくれるらしいです。
乞御期待。安城市で!!!大山 義之 記
080・3126・7359
(ケイタイ) -
支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第436号より
47同期会卒後50周年記念会開催報告
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昭和41年に入学して47年8月に卒業した者たちを中心とした47同期会の卒業後50周年を祝う会が、令和4年11月12日、帝国ホテル東京の孔雀南の間で開催されました。6名の奥様方を含めて35名出席いただきました。
まず早逝した32名の旧友たちの名前を読み上げ、当時のことなどを思い出しながら冥福を祈りました。数年前からの叙勲の受章者である齋藤洪太君夫妻、勝井建彦君、前田武昭君にご挨拶をいただき、令和3年に受賞したものの今回は欠席した松本良信君のことは紹介させていただきました。代表して齋藤君の発声で乾杯したのち宴に入りました。この同期会は20数年前からは毎年の開催のため、乾杯後はみな席を立って大騒ぎになりました。そういえば何年か前には台風上陸のため中止せざるを得なかったこともありましたが、このコロナ禍の中でも毎年開催してきました。
卒業後50年も経つとそれぞれにいろいろあります。
診療所などを閉院してリタイヤした者や、がん治療から復活してきた者、数年ぶりの出席など、しかし皆元気な笑顔を見せてくれました。今後についても毎年の開催を続けることと決まりました。今年の開催は10月28日㈯を予定しております。
出席者は岩佐英之、大坂渥己、岡本晴彦、勝井建彦、木村文哉、小林杏一、五味渕誠、五味渕睦子、齋藤洪太、渋江久、品川洋一、鈴木次夫、荘信治、関根修二、高橋茂喜、西川源一郎、二宮淳一、花輪峰夫、馬場由子、日置正文、日比野眞理子、福永慶隆、本多一義、前田武昭、松村英幸、馬淵是純、水町重範、山田修、山本あつ子(敬称略、あいうえお順)(鈴木次夫記)
昭和59年卒業(昭和53年入学)クラス会
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令和5年2月26日(日)武蔵小杉のトラットリアアペティートにて昭和59年卒業(昭和53年入学)のクラス会が開催されました。コロナ感染症流行に阻まれ、実に5年振りの会となりました。クラス会に先立ち、幹事の尾藤武蔵小杉病院麻酔科部長の案内で新築された武蔵小杉病院の視察ツアーが行われました。尾藤くんの熱の込もった楽しい解説に一同時間を忘れ、予定の時間も大分オーバーしました。屋上ヘリポートの富士山、丹沢、奥多摩、秩父山地、南アルプスなど西側山並み、東京タワー、スカイツリーなど北側の高層ビル群、これらの絶景も感動物でした。協力いただいた病院職員の方々には感謝いたします。続いての会食会には南は徳島、大阪、名古屋、北は長野から、総勢20名が集まりました。還暦も遠に過ぎ、前回からの5年でも何人かの同級生を失いました。彼らに黙祷を皆で捧げクラス会はスタートしました。健康の話、孫の話、趣味の話、時々は診療、学問の格調高い話、あっという間の時間でした。陽の明るい間に閉会解散したのも、さすが還暦過ぎ、皆大人に成りました。参加者は青木孝文、朝倉由美、臼田和弘、大久保公裕、太田雄治郎、大村浩、岡本晢、加藤さき子、神谷達司、黒沢純夫、小林博和、坂本知三郎、関はるみ、関谷隆夫、中溝宗永、尾藤博保、真鍋辰哉、安武正弘、横田明重、渡辺美由紀(敬称略)
(黒沢純夫 記)
群馬県支部総会
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同窓会群馬支部総会は令和5年3月21日ホテルメトロポリタン高崎にて、渋谷哲男同窓会長、坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長をお招きして開催されました。
有賀副支部長の司会により、令和4年度に逝去された長島宏先生(S35卒)、鈴木光男先生(S12卒)、茂木條二先生(S27卒)の3名の先生方へ哀悼の意を表して黙祷を捧げ、続いて正木支部長挨拶、会計報告等が行われました。ご来賓の同窓会長から同窓会発足当時の文献資料に関するご説明があり、改めて本学の歴史の深さを感じました。理事長からは本学の財務状況、事業スケジュールなどについてご説明頂き、特に借入金の返済に関する経緯に一同から驚嘆の眼差しが向けられました。学長は医科大学版テクノロジー革命を推進する一方で、教育では人間性豊かなバランスの取れた人材育成を重要視しているとお話になり、本学の将来性が強く感じられました。講演会は群馬県ご出身の武蔵小杉病院の精神科部長岸泰宏先生をお迎えして、「高齢者の不眠」についてお話して頂きました。
懇親会は4年ぶりに大学本部の先生方をお招きすることが叶った上に、当日はWBC準決勝で日本がメキシコに奇蹟的な逆転勝利を収めたことでさらに盛り上がりを見せ、会員同士の親睦、母校愛をさらに深めることができました。(文責 織田)
出席者(卒業年)
佐藤洋一(S39)、真下延男(S42)、勝田美恵子(S44)、戸塚一彦(S51)、角田隆(S52)、堀越晴男(S52)、若林武雄(S52)、 釜萢敏(S53)、寺田雅弘(S54)、正木高(S54)、有賀長規(S55)、佐藤圭(S57)、織田利光(S58)、乾恵輔(H18)
特別会員
岩切勝彦(S61)、福島正人(H11)互一会
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令和5年4月1日。花吹雪が舞う中、上野公園の一隅に在る趣のある老舗の料亭 韻松亭 に於いて、互一会(昭和51年卒業または昭和45年入学の同級会)が開催されました。
COVID-19の影響をうけ、数年ぶりの開催となったからでしょうか。
40名もの参加者が集い、ガラス窓越しに美しい桜を愛でながら、美味しい日本食を堪能する賑やかな会となりました。
会は、前回のクラス会以降亡くなられた同級生に黙祷を捧げ、校歌斉唱で始まりました。
一人ずつの近況報告では、年齢が近い者同士故、自分の境遇や思いと重なり深く頷きあったり、懐かしい学生時代の思い出話には盛り上がったり笑ったりと…楽しい時間は瞬く間に過ぎました。
同じ志を抱き若き日の6年間を共に過ごし、卒業してから約50年。それぞれに責任を担いながら、医師としての長い道程を歩んできた仲間たちが、春の宵、日常から離れて一堂に会し、お酒を酌み交わし、忌憚なく話すことができるのも、同じ時間を共有した者同士だからこそ、と改めて懐かしく温かい気持ちに包まれました。
次回の幹事と開催の日、場所を即決し、来年の再会を誓い合い閉会となりました。(澁井展子 清野精彦 記)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第435号より
山梨県支部総会
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日本医科大学同窓会山梨県支部総会が令和4年11月19日(土)に同窓会長の渋谷哲男先生をお迎えし、甲府市内のホテル談露館で開催されました。新型コロナの影響で3年ぶりの開催となりました。
会に先立ちまして、11月12日にご逝去されました弦間和仁先生(S61卒)のご冥福をお祈りし出席者による黙祷を捧げました。
集合写真撮影の後、高橋常和先生(S30卒)の開会のご挨拶で会が始まりました。次に渋谷先生から同窓会の起源のお話や150周年記念事業を計画されているお話を伺いました。また野口英世博士を中心とした大学のブランドアップを計画している事、更に単科大学から総合医療大学化の計画があること等もお話いただきました。
その後、懇親会となりました。新型コロナ感染流行第8波に入ったタイミングと重なり、参加者は7名と小人数でしたが、近況報告や大学時代の懐かしいお話など、時間の経つのも忘れて大いに語り合いました。
山梨県同窓会からの出席者は、高橋常和先生(S 30卒)、薬袋正雄先生(S33卒)、松山謙先生(S50卒)、渡辺洋一先生(S52卒)、岡島史宜先生(H10卒)、井出勝彦(H元卒)でした。(会計係 井出勝彦)
昭和60年卒業クラス会
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2022年12月10日(土)に昭和60年卒業生のクラス会を開催しました。我々のクラス会は、昭和54年に一緒に入学したが卒業が遅れた者も正式会員としています。新型コロナ感染が収まらない状況から、昨年に引き続きZoomを用いてオンラインでの開催となりました。参加者は17名でした。
「新型コロナウイルス感染症〜今後の展望〜」と題してイムス東京葛飾総合病院感染制御部(前武蔵小杉病院感染制御部長)の望月徹先生の学術講演を拝聴した後に、PCの画面越しに参加者最年長の山口君の音頭で乾杯をあげました。それから順番に近況報告を行いました。
みんな自宅や診察室など思い思いの場からの参加で、それぞれ勝手にアルコールを飲んでつまみを突っつきながら、コロナ感染予防のことなど気にせずに歓談できました。
そろそろ子どもが独立した者が多い年代で、話題は子供の話が一段落して孫の話が出てくるようになりました。定年後の生活設計や年金の話題も出てくるようになりました。臨床では、やはり新型コロナ関連の話題が多く、それぞれの立場で新型コロナ感染に対応している同期生の苦労を共有しました。
同窓会は地方の会員数が減少傾向で、地方では複数の支部が合同して会合を開くことが必要になって来ていると、出席した同窓会理事(新谷理事、坪井理事、丸山理事)から報告されました。大学のクラブの遠征助成やクラブOB会活動の支援を父母会と連携して同窓会も支援していくと報告されました。
ここ2年半ほど訃報のない学年です。これからも健康に留意しながら、対面で酒を酌み交わせる時が一日も早く再び訪れることを祈りつつ、2時間余りで閉会としてZoomを退室しました。
参加者は以下の通りです。赤石治美、宇野嘉弘、大薗英一、岡本太郎、勝木保夫、新谷英滋、坪井永保、中石仁、林毅陸、福田達弥、藤本和久、松田潔、丸山和夫、三浦雅博、望月徹、山口裕史、輪嶋善一郎(アイウエオ順)(松田記)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第434号より
昭和48年8月卒(四葉会)クラス会
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昭和48年8月卒業のクラス会が、2022年10月8日、お茶の水にある山の上ホテルにて開催されました。四葉会は、毎年その時の幹事の地元で10月頃に行われてきましたがこの2年、新型コロナ禍の影響で中止されていました。今回3年ぶりの会を加賀一兄先生の幹事のもと東京で行われることになりました。
今回は22人の参加となりましたが、会が始まる前のウェルカムドリンクの時から3年ぶりに会う皆さんは昔の話、最近の話に華を咲かせておりました。不肖私の乾杯の音頭で会が始まり、宴もたけなわになったところで個人個人にあらためて最近の状況を話して頂きました。話はどうしても最近の体の調子や持病の話から始まり、孫の話、旅行の話と多岐に及び、仕事はまだ現役で忙しくしている人、縮小している人、悠々自適に過ごしている人、また自慢話など、様々でしたが皆、元気そうで楽しい時間を過ごしました。翌日は個々の予定に任せましたが希望者を募り新しくなった付属病院の見学ツアーを行いました。案内を同窓会事務長の星野さん、付属病院事務部副部長の加島さんに日曜日にも関わらず出てきていただきヘリポートや病院内をくまなく案内していただきました。新病院の素晴らしさ、ふんだんに緑を取り込んだ病院周辺などを目の当たりにして昔の病院しか知らない人達にとっては隔世の感があり、この病院で働ける今の医師をうらやましく思ったりもしました。
来年は、卒後50年の節目の年であり、より多くの同級生を集めて再び東京で行う事を誓い合って散会となりました。
清水一雄(昭48・8)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第433号より
愛知岐阜合同支部総会
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令和4年8月21日に愛知岐阜支部総会を名古屋マリオットアソシアホテルにて開催しました。3年ぶりの対面での開催でした。渋谷哲男同窓会長、坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長をお招きし、岐阜支部3名、愛知支部23名、学生保護者2名の出席がありました。物故会員へ黙祷を捧げ、支部総会に入りました。愛知支部は今年3名の新入生を迎えることが出来ました。ご来賓の先生からは、Web同窓会名簿の活用やコロナ禍の同窓会活動、病院として新型コロナ患者の受入を積極的に行なっていること、4年制看護大学の新設や富士アニマルパークの拡充、大学教育のテクノロジー改革、ICT教材化などについてお話いただきました。
学術講演会は、今回ホテルの同窓会プランを利用したため時間が限られており、藤田医科大学産婦人科学教授関谷隆夫先生(昭和60年卒)から食事をしながらのミニレクチャーという形で行いました。「医療におけるAIとは」という演題で、ともすると敬遠しがちな話題を大変分かりやすくご講演いただきました。今後の支部活動に関して、岐阜支部長中根康雄先生から愛知岐阜支部合併についての提案がありました。平成26年より合同で支部総会を行ってきた経緯や会員減少を鑑み発展的に合併してはどうかとのことです。これについては来年度の総会までに広く意見を募り討議していくこととなりました。
今年は会場も変わり短い時間にぎゅっと盛沢山な内容でしたが、顔を合わせて有意義な時間が過ごせたと思います。これからも母校の発展を祈り親睦協調に努めていきたいです。
(文責 平良亮子S59年卒 愛知支部)日本医科大学硬式野球部先輩会主催による 日本医科大学心臓血管外科
石井庸介大学院教授就任パーティー(画像をクリックすると拡大します)
2022年6月25日、コロナ第7波がまだ来る前、東京ドームホテル『天空』におきまして、日本医科大学硬式野球部先輩会主催による石井庸介先生の日本医科大学心臓血管外科大学院教授就任パーティーを開催致しました。石井教授は2020年にすでに教授就任をしておりましたが、折りからのコロナ禍の影響で開催が延期されており、今回、奇跡的にこの時期に開催する事が出来ました。
当日は、先輩会OB56人、現役部員29人、総勢85人の参加により、会は盛大に開催されました。まず先輩会会長の山崎典之先生(S55)の挨拶に始まり、来賓として参加されました渋谷同窓会会長より温かいご挨拶を頂きました。さらに参加された先輩会最年長であられます堀尾豊先生(S37)から石井教授への感謝と激励のお言葉を頂きました。その後、多くの先輩後輩からのお祝いの言葉と同時に学生時代の懐かしい話などを聞き、野球部先輩会として石井教授を全面的にバックアップしていく事を確認致しました。この3年間コロナ禍の影響により先輩会としてのイベントもなかなか開催出来ていなかった事もあり、多くのOBたちは、学年差を超えて旧交を温めることとなりました。
また当日は、ここ数年開催する事が出来なかった新入部員の歓迎会も兼ねておりました。3年生以下の部員たちの紹介を行い、先輩会OBから、来年の東医体優勝を願う激励の言葉を頂戴致しました。
その後、野球部監督であります宮里和明先生(S56)より閉会のことばを頂き、会は無事終了となりました。その後、参加した多くのOBたちは名残り惜しく、いくつかのグループに分かれ、少人数での二次会へと消えていきました。
最後に、今回のパーティーでコロナ陽性者が出なかった事を報告しておきます。
(平成3年卒 大澤 秀一 文責) -
“教えてください!支部のこと”同窓会報第433号より
世田谷支部
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① 会員数: 支部会員106名
世田谷区在住同窓生383名
計489名
② 最近の活動について: 副支部長の熊川美代子先生と望月弘嗣先生の強力なサポートを得て支部を運営しております。
しかしCovid19の感染拡大後は特に大きな活動は無く、支部総会、決算報告等も滞っている現状です。
なお支部会活動が休止中は会費の徴収は行っていません。
③ 今後の予定: 支部会員、世田谷区在住会員を合わせると、全同窓会員(8813名)の実に5.5%が世田谷区に集中しております。
大変に頼もしい事です。
感染拡大以前は、支部会員や世田谷区在住の先生や学生を含め同窓の親睦を図る目的で、2009年より「世田谷橘桜会」と言う講演会や親睦の会合を開催しております。
また以前のようにこの会が開催できる事を願っています。
④ 写真:2018年6月24日世田谷支部総会
⑤ 同窓会への要望: 同窓会本部より会員への遠心性の発信には大変に感謝しております。
日本医大と同窓生の距離を縮める目的で、全国津々浦々にいる8000人を超える日本医大同窓生の医療機関での生活習慣病等をリサーチし、それを論文化すると言った学術的なトライアルを同窓会が軸となって行なってはどうでしょうか?
世田谷支部 長西 恵吾(昭54)京都支部
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①会員数:15~18名ですが必ず集まるのは10名前後です。
②最近の活動:現在はコロナ禍の為特に何もしておりませんが、時折電話で連絡は取り合っています。
③今後の予定:コロナ禍前は10月の近畿支部会で集まっていましたので、また集まれる時を楽しみにしています。
④写真:市内左京区から東山区に流れる白川と、そこに居た鷺です。
⑤同窓会への要望:日本医大の紺色の布バッグですが、横長のものも有ると嬉しいです。背が低いので引きずりそうです。あとはピンバッジのような何かに付けられるような飾りもあれば良いのでは。京都府支部長 岡部 友子(昭49.8)
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“教えてください!支部のこと”同窓会報第432号より
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第429号より
川崎支部・武蔵小杉病院合同総会
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令和3年12月4日、日本医科大学武蔵小杉病院5階大講堂にて、同窓会長渋谷哲男先生、理事長坂本篤裕先生、理事柏木哲也先生を来賓にお迎えして、支部会員12名、武蔵小杉病院18名が出席して、今年度の総会が開催されました。
昨年はコロナ禍のなか、同窓会開催を見合わせましたが、今年度は、日本医科大学武蔵小杉病院の新棟完成があり、是非、顔合わせをしての総会を行い、合わせて新病院見学を行いたいとの思いから、総会を開催いたしました。
総会は吉松信彦副支部長の司会のもと、支部長挨拶から始まり、事業報告、会計報告などがなされ、来賓挨拶となりました。渋谷先生からはここの所対面での日本医科大学同窓会は開催されていなく、今回の川崎支部総会がコロナ禍以後では初めての対面での会であり、今後の同窓会の活性の皮切りになればとのお言葉をいただきました。坂本理事長からは、パワーポイントを用い、法人の堅調かつ上向きな経営がなされていることを分かり易く示していただき、近々黒字基調になるとの力強いお言葉をいただきました。
その次に、支部の各先生の近況などを報告しあい、場が和んだところで、救急センター長の松田潔副院長より、学術講演「武蔵小杉病院の新型コロナウイルス感染対応〜ダイヤモンドプリンセスから新病院まで〜」があり、最後に、谷合院長より閉会のご挨拶があり、参加者で新病院の見学をいたしました。夕暮れ時のヘリポートも案内していただき、遠くの富士、東京の夜景、小杉の高層マンション群の景観に感動仕切りでした。病室、手術室、外来階を見学し、その新しさと機能性は、谷合院長を始め武蔵小杉病院スタッフの今後活躍が想像されるものであり、日本医科大学付属病院として期待するところであります。
(支部長: 諌山和男)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第428号より
昭和60年卒業クラス会
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2021年12月4日(土)にオンラインでクラス会を開催しました。われわれの学年は、20年ほど前から毎年クラス会を開いてきたのですが、コロナ禍のために昨年11月に予定していた金沢旅行を兼ねたクラス会が中止(石川県在住の牛村君、勝木君が幹事で準備していただき、ズワイガニを腹一杯食べる予定だったのに残念)になりました。今年もコロナ感染が収らないため中止になりそうだったのですが、オンラインで開催する運びになりました。
オンラインWebミーティングのソフトは一般的に普及しているZoomを用いることにしました。Zoomのアカウントを2ヶ月前から何度かメールで流した上で、定刻通り19:00に開始しました。参加者は19名でした。対面で都内でパーティーを開く時には30名前後、地方への旅行では20名前後の参加者数というのが過去の当学年のクラス会の出席実績でしたので、もう少し集まるかと思いましたが、師走に入ってすぐという時期とWebミーティングに不慣れな者もいる(みんな還暦を過ぎています)ことを考えると妥当な参加人数かも知れません。
「新築オープンした武蔵小杉病院におけるCOVID-19対応」について武蔵小杉病院副院長の松田が学術講演をした後に、PCの画面越しに参加者最年長であり日本獣医生命科学大学名誉教授になった大坂君の音頭で乾杯をあげました。それから順番に近況報告を行いました。クリニックや家族の写真を共有画面にアップして供覧する者もいました。コロナ感染症の抗体カクテル療法や小児へのワクチン接種拡大などの話題で盛り上がりました。
USA在住の渡部眞理さんはミズーリ州セントルイスからの参加でした。広島、岡山、石川、岐阜からの参加者もいました。物理的な距離を超えて、会場への移動時間や会場確保の苦労もなく集まれることがWebクラス会の利点です。みんな自宅や職場、宿泊先など思い思いの場からの参加で、それぞれ勝手にアルコール飲んでつまみを突っつきながら、コロナ感染予防のことなど気にせずに歓談できました。そうは言っても顔を合わせて酒を酌み交わしたいという欲望は、同級生の顔を見て一層強くなりました。来年は対面で開催できることを祈って、予定通りの21時過ぎに閉会とし、退席ボタンをクリックしました。
参加者は以下の通りです。相原康孝、足立好司、飯盛仁志、石郷岡聡、今井大洋、宇野嘉弘、大坂元久、岡本太郎、勝木保夫、塚田克也、長尾知之、林毅陸、日江井賢、藤本和久、松田潔、丸山和夫、三浦雅博、輪島善一郎、渡部眞理
(アイウエオ順)(松田記)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第427号より
愛知岐阜支部合同総会
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令和3年8月29日に令和3年度愛知岐阜支部総会を開催しました。新型コロナウイルス感染症の影響で昨年はやむなく中止し、今年は学術講演会を中心としたオンラインでの開催となりました。
講師の山口博樹先生は東京から、座長は岐阜から、愛知岐阜支部長は名古屋のホテル会場からの配信です。オンライン支部総会といっても参加会員が全員画面に映るような完全Web会議ではなく、支部長と来賓挨拶の後に学術講演会を行う形としました。希望者はホテル会場でも視聴できるようにしました。会計報告などは書面決議です。Web視聴が16名ホテル会場で7名合計23名の参加がありました。
初めに愛知支部長松下克己先生と岐阜支部長中根康雄先生が挨拶し、来賓の同窓会長渋谷哲男先生、理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生からはメッセージビデオを頂戴しました。同窓会として部活動ができない学生の支援を考えていること、武蔵小杉病院の新築、大学の先進的な教育など多岐にわたりお話し頂きました。
続いて学術講演会は、本年4月に血液内科大学院教授になられた山口博樹先生(平成5年卒)に「一般診療に役に立つ血算異常の基礎知識〜貧血・赤血球・血小板増多に関して〜」という演題でご講演頂きました。座長は第三内科の後輩にあたる永田和弘先生(平成6年卒)です。貧血や血小板減少等どういう点に注意して診るのか、どのタイミングで専門医へ紹介するのか大変分かりやすくご講演頂きました。質疑応答ではWeb参加の方もご自分のカメラとマイクをオンにして顔を出して質問されました。座長の永田先生が医局時代のエピソードを交えて和気あいあいで進行してくださり、学術的なことだけでなく教室運営やコロナ禍での病院の状況なども聞くことが出来ました。
同窓会は対面に勝るものは無いですが、皆様のご協力により画面越しではあっても少しは同窓会らしく過ごせたと思います。母校発展のためにも、工夫しながら支部活動を続けて行けたらと思います。
(文責 平良亮子S59年卒愛知支部)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第419号より
61会同窓会
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令和2年2月15日、帝国ホテルにおいて昭和61年卒の同窓会が開催されました。来賓に同窓会長の渋谷哲男先生、理事長の坂本篤裕先生、学長の弦間昭彦先生をお迎えし総勢55名がこの会に参加いたしました。
吉野君の開会の辞で開宴し、まずは物故者への黙とうを捧げました。ご来賓の挨拶として渋谷会長より心温まるお祝いの言葉を頂戴しました。次に坂本理事長からは、付属病院の現状と武蔵小杉病院、多摩永山病院の今後の展望などもお話しいただき大きく進化していく学校法人日本医科大学を実感できました。さらに弦間学長からは本学の学生教育の改革、研究分野での充実についてスライドを交えお話しいただきましたが、最後には卒年(弦間学長は昭58年卒)が近い我々との学生時代の想い出についても懐かしそうに語って 頂きました。
続いて付属病院病院長の汲田君が挨拶しましたが、普段の病院長の立場とは打って変わった学生時代そのままの軽妙な話に一同大笑いしながら乾杯の発声を上げました。
懐かしい顔ぶれに各々、旧交を温め楽しい時間が過ぎていきました。途中に谷口君による、前回2年前に行われた松山での故郷同窓会報告のスライド供覧や、この日のために最遠方からわざわざ帰国、出席してくれた米国コロンビア大学教授の山田君の挨拶もあり大いに盛り上がった同窓会でした。
付属病院副院長の吉田君による中締め後も興奮冷めやらぬまま大勢が2次会、3次会に突入し昔話に花を咲かせ再会を誓い合いました。
61会同窓会は2年毎の同窓会開催を考えており東京都内と故郷同窓会を交互に行う予定です。次回は令和4年に金沢で行うことが決定しています。
(記:渡 潤)
昭和62年卒業クラス会
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昭和62年卒業クラス会を、令和2年2月15日に品川プリンスホテルで行いました。同日は、1つ上の学年である昭和61年卒業のクラス会が帝国ホテルで開催されており、日本医科大学理事長、学長、付属病院長などの大学関係者をお招きすることが出来ずに残念でした。
最初に、昨年逝去された上平博司先生に黙祷を行ったのち、参加された先生方の近況をお話し頂きました。また、多摩永山病院を除いて、他の3病院で勤務されている先生より、病院の現況のご報告もありました。
卒後32年経ちましたが、計45名の先生のご参加を頂き、学生時代の思い出等、楽しい時間を過ごせました。
参加者(敬称略)青山、秋元、飯田、池崎、池田、石橋、臼杵、内田、江川、大島、柏木、川上、北村、来馬、小林匡、金、斉藤仁子、佐々木、佐藤純彦、佐藤直樹、佐野、千賀、竹内正樹、竹内正人、土居大祐、土居寿子、中沢、中村道郎、野村、藤岡、古田、星野、松井、三島、水谷、南、武藤、師田、八島、山口、山崎昌子、山崎峰雄、山田浩一、横山、吉田
(文責:大島)
診誠会(昭31卒)(会員の米寿を祝う会)
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診誠会(昭31)は平成18年に卒後五十年の記念会を行った後、しばらく途絶えていましたが、平成23年に再開し、それ以後毎年、霞ヶ関ビルのレストラン・ケヤキで集まりを続けてきました。
しかし令和元年に卒後六十三年を経て、その上今年度は会員全員が米寿を迎えるためそれを記念し11月7日に同所で米寿の会を開きました。
会員は全員が高年齢のため家族の同伴者をまじえての参加を促しましたが、さすがに遠方からの参集は難しく会員9名、同伴者3名を加えて開催することが出来ました。
会は短い時間ではありましたが、懐かしかった学生時代の思い出話、参加者の現況報告などをはじめ、更には子供の利き手と親の躾けの関係などの話や、各自の生まれた時代や幼少期のエピソードまで、飛び出し、最後には後期高齢者のレッテルを貼られた者たちにとってはどうしても健康の不安を訴える事が多くなってきたとの話題に傾く反面、今後の生活設計についての明るい話も多く聞くことが出来、全員が和気藹々の内に楽しいひとときを過ごす事ができました。
最後に会員のご健康を祈ると共に、母校日本医科大学の益々の発展を祈念して会を終える事ができました。
参加者(後列左より)伊藤良夫、熊木敏郎、原口亨、高橋錬二郎、金子家和、本田光芳、野呂忠夫、
(前列左より)阿部恒保、結城千草、高橋君夫人、本田君夫人、野呂家内(野呂忠夫 記)
鳳凰会(昭40卒)
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令和元年の鳳凰会総会・懇親会は令和元年11月3日(日)午後0:15~横浜の「華正樓」本店で行われました。中華街のメイン通りにあり、観光客でごったがえしていますが、店内は豪華にして静寂、ゆったりと落ち着いた会場です。
ご来賓は本学同窓会長渋谷哲男先生(45年卒)。出席は奥様を含め18名です。
代表の町田が開会の辞とご来賓の紹介、主催者の塩原和夫君が挨拶に続き、この1年に他界された4人の友に黙祷を捧げました。現在の会員数は57名です。
渋谷会長のご挨拶は・令和2年1月の新年会でJAXAのproject manager川口淳一郎教授が小惑星探査機「はやぶさ1号」の講演をされる、ご来席を。・会員名簿をwebに変更する方針。・坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長の積極的な取り組みにより法人の借財が減少、本学への受験者数は飛躍的に伸びた。・武蔵小杉病院は令和3年に完成予定、寄付をお願いしたい。・同窓会員クリニックへの代診のシステム化を、企画部で検討開始。等々を話されました。
乾杯は本間達志君。今回は4名の友への献杯でした。
待望の食事は「華正樓」ならではの中国料理が次々に現れます。手の込んだ、これ以上は望めない美味を堪能しました。近況報告は奥様を含む全員で。日常の生活や仕事、健康維持方法、1病息災の話がいつも通り続きます。体調不全を述べるにしては、皆さん健啖家ではつらつとしています。記念写真では皆、生気満々。
クラス代表の選出で、クラス代表には塩原和夫君(大学同窓会では予備評議員)、副代表には杉浦和朗君(大学では評議員)を、無理を承知でお願いし、決定しました。
(町田利正 記)
北多摩支部総会
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令和元年11月9日(土)、日本医科大学同窓会北多摩支部総会が新宿京王プラザホテルにて開催されました。北多摩支部には200名を超える会員があるもののその領域は広く、東西方向での患者紹介の核となっていた飯田橋付属第1病院が平成の始めに閉院し、南北方向での交通の便の悪さもあり、この10年ほど総会開催が途絶えていました。しかしこの度、中島米治郎(S48)支部長件橘桜会監事と柏木哲也(H3)橘桜会常任理事のご尽力により開催する事が出来ました。総会では新役員の選出は現執行部に一任され、支部長に柏木哲也先生、支部評議員に田中功一(H5)先生、予備評議員に伊藤敬雄(H3)先生、椎名盟子(H3)先生が後日新らたに選任されました。記念講演では榊原記念病院特任副院長 東京都CCU連絡協議会会長高山守正先生(S52)より「全東京の心血管救急で市民を護る~東京都CCUネットワークの実績とその運用~」をお話し頂きました。都内で心血管障害にて倒れた場合は「CCUネットワークにお願いします。」で、救命率は高く、高山先生を始め日本医科大学旧第一内科の先輩先生方のご尽力に、改めて頭が下ります。懇親会は最年長松村英幸先生(S48)の乾杯で幕をあけ、和気藹々と晩秋の夜を楽しく過ごしました。
出席者は(敬称略)中島米治郎(S48)、松村英幸(S48)、高山守正(S52)、近江禎子(S56)、黒沢純夫(S59)、宮本昌之(S61)、柏木睦美(S62)、柏木哲也(H3)、伊藤敬雄(H3)、椎名盟子(H3)、有井一正(H4)、田中功一(H5)、奥村純子(H8)、神谷信雄(H10)
(文責 黒沢純夫)
川崎支部・武蔵小杉支部合同支部総会
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令和元年11月16日武蔵小杉病院第一会議室内で支部総会が開催された。吉松副支部長の司会の下、諌山支部会長の挨拶の後、物故者加藤剛志先生(S40年卒)の黙祷に続き平成30年度事業報告、会計報告があった。
引き続き、病院内南館講堂において武蔵小杉病院支部との合同総会を開催した。
諌山先生の開会挨拶では、ラグビー部出身の先生らしく、ワンチーム(ONE TEAM)にちなんで、チーム日医の必要性、重要性の話があった。坂本理事長からは日医の現況が報告され、千駄木の経営の順調さ、大学の研究の充実等の話に続き新武蔵小杉病院の建設状況の報告があった。この10月に発生した台風19号の影響で多摩川の越水こそなかったが、この地域にも浸水、冠水被害があった。大学病院も直接の被害はなかったものの冠水の恐れがあったそうで、新病院では地下電源の見直しに加え、コンクリートのかさ上げで災害に強いばかりか災害拠点としての役割を果たせるべく生まれ変わるそうで、2年後を待ち遠しく思う。同窓会小平常任理事より紙媒体からメールアドレスの導入による利便性、問題点をお聞きした。健康管理科の塚田先生からは、健康診断、海外渡航ワクチン接種の事業拡大、消化器外科の谷合部長からは肝臓癌の治療の現状、未来像として腹腔鏡手術からダビンチ手術への展望について、最新医療の熱い思いをうかがうことができた。
その後懇親会が催され、会員の先生の親睦がはかられ、チーム日医の会も閉会となった。
(文責 山口)
山梨県支部総会
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令和元年11月16日(土)に、ホテル談露館(甲府)にて山梨県支部総会を開催しました。
今回は、山梨県内で勤務している同窓生または山梨県に縁のある同窓生と、同窓会本部から五十嵐健人常任理事・大学本部から弦間昭彦学長に臨席を賜って開催されました。
会は、吉川英雄山梨県支部長挨拶に始まり、続いて今回欠席された会員の情報や訃報の知らせがされた後、学長による付属4病院の現状と研究等大学の業績・多角的見地からの大学評価や大学入試・教育などについての講話がされました。続いて、武蔵小杉病院副院長の松田潔・千葉北総病院内分泌内科講師の岡島史宜の両先生から、台風上陸時における両病院の対応・対処の話や武蔵小杉病院建設に関連した話などをいただきました。総会は午後6時に開会、出席者全員が様々な話題提供をすることで会は盛り上がりつつ午後8時に閉会となりました。
〈写真〉前列左から 田辺陽一(S38)、薬袋正雄(S33)、弦間昭彦 学長、吉川英雄(S46)、松山謙(S50)、
後列左から 井出勝彦(H1)、高橋弘(S50)、松田潔(S60)、五十嵐健人 同窓会常任理事、弦間和仁(S61)、岡島史宜(H10)(弦間和仁 記)
九州・沖縄合同支部総会
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去る、令和元年11月16日(土)、佐賀県担当で日本医大九州ブロック同窓会を開催しました。この九州ブロック同窓会は1年に1度、九州各県持ち回りで行われる九州医学会の時に開催しています。今年は佐賀県が九州医学会の担当県でした。同窓会本部からは渋谷同窓会長と前理事の楠本先生に出席していただき、総勢12名の参加者で佐賀市内の料亭、楊柳亭で開催しました。渋谷同窓会長から大学の近況、同窓会の近況をご報告いただき、また参加者からは各県の同窓会への要望をお聞きいただきました。特に九州各県は同窓の人数が年々減少しており、何とか県の枠を設けては貰えないかとの要望が多く聞かれました。会は1年に1度しか会えない会員同士でよもやま話に花が咲き、渋谷同窓会長、楠本前理事を囲みながら盛会のうちに宵が更けて行きました。
佐賀県支部長 金武良弘
長野県支部総会
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令和元年11月30日(土)
午後四時半から
於 すき楼(長野市)
参加 14名だいぶ寒さが厳しくなり周辺の山々に雪が積もり始めた11月30日に、同窓会長野県支部総会・懇親会が長野市の「すき楼」で開かれました。参加は14名で、長野市や上田、飯田、松本県内各地から先生方にお集まりいただきました。また同窓会本部より同窓会会長渋谷哲男先生、同窓会副会長・学校法人日本医科大学理事清野精彦先生にご参加いただき、総勢16名で和やかに開かれました。
高木清先生(S61年卒)の司会進行で会が始まりました。まずは渋谷会長から、ご挨拶をいただきました。今年は長野にも台風19号による大きな自然災害がありましたが、長野の同窓の先生方の施設には被害がなく幸いでありました。現在同窓会では、WEBによる名簿管理の導入を予定しており、これに伴い紙による名簿の発行は基本的に行わなくなるためご協力をお願いします。また同窓会では、一時的に診療が困難になった背先生へのサポートするシステムを企画しています。また令和2年の同窓会新年会では、JAXAの川口先生に講演をお願いし、帝国ホテルで開きますので、ぜひ多数の方のご参加をお願いします。引き続き清野副会長より、大学の現況と病院の現状をご説明いただきました。坂本理事長就任から2年以上が経過し、昨年の報告よりさらに今年度の病院運営は順調に進んでいて借入金の返済も順調であり、付属病院がグランドオープンしてからますます経営状況は改善傾向です。また学事では、弦間学長のご努力により入学者の質が向上し、文科省科科研費が増加し、論文の数や質も向上し、研究環境も順調に改善されています。以上ご来賓の先生方にご挨拶をいただいた後、支部長の私から会計報告させていただき、ご了承いただきました。次に、支部長交代について会員の皆様にご了承いただきました。次期支部長は、昭和61年卒岡谷市で耳鼻科の小口医院を開業されている、小口直彦先生に決まりました。今後のご活躍を祈念しています。最後に本年6月にご逝去された蟹江孝之先生に黙とうを捧げました。最年長の小島直彦先生(S34年卒)に乾杯の労をとっていただき、待ちに待った懇親会が始まりました。皆様1人ずつ近況報告などしていただき、楽しく談笑していると、あっという間に時間が過ぎ、渋谷同窓会長、清野副会長の帰る時間となり、全員で校歌斉唱を行い、来年の再開を誓いながら会は閉会となりました。
(長野県支部長 田中昌彦 S59年卒)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第417号より
群馬県支部総会
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平成31年3月31日ホテルメトロポリタン高崎におきまして、平成30年度の日本医大群馬県支部総会が開催されました。
平成30年11月に亡くなられた八木礼二先生(S27卒)のご冥福を祈り、黙とうをささげた後に支部総会となりました。
真下延男支部長のあいさつに続きまして、会計報告等、例年通り滞りなく総会は終了しました。
今年度は来賓として渋谷哲男同窓会長、杉原仁学生部長においでいただきました。
まず、同窓会長の渋谷哲男先生より、今年度群馬県で旭日双光章を受けられた真下延男先生、藍綬褒章の釜萢敏先生、文部科学大臣賞表彰の戸田優先生へのご祝辞から始まり、同窓会名簿のweb化や武蔵小杉病院の新築への寄付のお願い等々ご挨拶をいただきました。
次に学生部長の杉原仁糖尿病内分泌内科教授より日本医科大学の現状について、他の在京大学の医学部との競争が激化していること、東京理科大、早稲田大学等との連携を強化していること、学生教育の国際基準をクリア、平成26年度の新入生から新しいカリキュラムを導入していること、国家試験も対策を強化し、今年度は80校中21位まで回復してきていることなど、多方面にわたりご説明いただきました。
今年度の学術講演は学生時代相撲部のエースで消化器外科のエースとなり主任教授となられた、吉田寛先生(S61卒)に「日本医大消化器外科の新たなる挑戦」という演題でご講演をいただきました。
腹腔鏡下のopeが大幅に増えていること、ダビンチの導入を予定していること、内科外科の共同で中と外から同時にopeすることも多くなっていることなど、最先端最新の治療を積極的にとりいれる新しい外科治療のビジョンを熱く語っていただきました。
その後はお待ちかねの懇親会となり、釜萢敏日本医師会常務理事からの報告、各先生方の近況報告等で楽しい時間もあっという間に過ぎて懇親会も終了となりました。
例によって帰らない面々はそのまま二次会へと繰り出しました。
出席者(卒業年)
新井圭三(S35)、佐藤洋一(S39)、真下延男(S42)、勝田美恵子(S44)、戸田優(S44)、土岐文武(S45)、戸塚一彦(S51)、正田弘一(S52)、角田隆(S52)、細井盛一(S52)、堀越晴男(S52)、茂木克彦(S52)、若林武雄(S52)、釜萢敏(S53)、角田守(S53)、星野光治(S53)、寺田雅弘(S54)、正木高(S54)、有賀長規(S55)、高井淳(S56)、織田利光(S58)、沼野藤雅(H9)、乾恵輔(H18)
特別会員
木村真人(S59)、岩切勝彦(S61)、福島正人(H11)
以上26名でした。(正木高 記)
診誠会(昭31卒)(会員の米寿を祝う会)
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診誠会(昭31)は平成18年に卒後五十年の記念会を行った後、しばらく途絶えていましたが、平成23年に再開し、それ以後毎年、霞ヶ関ビルのレストラン・ケヤキで集まりを続けてきました。
しかし令和元年に卒後六十三年を経て、その上今年度は会員全員が米寿を迎えるためそれを記念し11月7日に同所で米寿の会を開きました。
会員は全員が高年齢のため家族の同伴者をまじえての参加を促しましたが、さすがに遠方からの参集は難しく会員9名、同伴者3名を加えて開催することが出来ました。
会は短い時間ではありましたが、懐かしかった学生時代の思い出話、参加者の現況報告などをはじめ、更には子供の利き手と親の躾けの関係などの話や、各自の生まれた時代や幼少期のエピソードまで、飛び出し、最後には後期高齢者のレッテルを貼られた者たちにとってはどうしても健康の不安を訴える事が多くなってきたとの話題に傾く反面、今後の生活設計についての明るい話も多く聞くことが出来、全員が和気藹々の内に楽しいひとときを過ごす事ができました。
最後に会員のご健康を祈ると共に、母校日本医科大学の益々の発展を祈念して会を終える事ができました。
参加者(後列左より)伊藤良夫、熊木敏郎、原口亨、高橋錬二郎、金子家和、本田光芳、野呂忠夫、
(前列左より)阿部恒保、結城千草、高橋君夫人、本田君夫人、野呂家内(野呂忠夫 記)
鳳凰会(昭40卒)
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令和元年の鳳凰会総会・懇親会は令和元年11月3日(日)午後0:15~横浜の「華正樓」本店で行われました。中華街のメイン通りにあり、観光客でごったがえしていますが、店内は豪華にして静寂、ゆったりと落ち着いた会場です。
ご来賓は本学同窓会長渋谷哲男先生(45年卒)。出席は奥様を含め18名です。
代表の町田が開会の辞とご来賓の紹介、主催者の塩原和夫君が挨拶に続き、この1年に他界された4人の友に黙祷を捧げました。現在の会員数は57名です。
渋谷会長のご挨拶は・令和2年1月の新年会でJAXAのproject manager川口淳一郎教授が小惑星探査機「はやぶさ1号」の講演をされる、ご来席を。・会員名簿をwebに変更する方針。・坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長の積極的な取り組みにより法人の借財が減少、本学への受験者数は飛躍的に伸びた。・武蔵小杉病院は令和3年に完成予定、寄付をお願いしたい。・同窓会員クリニックへの代診のシステム化を、企画部で検討開始。等々を話されました。
乾杯は本間達志君。今回は4名の友への献杯でした。
待望の食事は「華正樓」ならではの中国料理が次々に現れます。手の込んだ、これ以上は望めない美味を堪能しました。近況報告は奥様を含む全員で。日常の生活や仕事、健康維持方法、1病息災の話がいつも通り続きます。体調不全を述べるにしては、皆さん健啖家ではつらつとしています。記念写真では皆、生気満々。
クラス代表の選出で、クラス代表には塩原和夫君(大学同窓会では予備評議員)、副代表には杉浦和朗君(大学では評議員)を、無理を承知でお願いし、決定しました。
(町田利正 記)
北多摩支部総会
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令和元年11月9日(土)、日本医科大学同窓会北多摩支部総会が新宿京王プラザホテルにて開催されました。北多摩支部には200名を超える会員があるもののその領域は広く、東西方向での患者紹介の核となっていた飯田橋付属第1病院が平成の始めに閉院し、南北方向での交通の便の悪さもあり、この10年ほど総会開催が途絶えていました。しかしこの度、中島米治郎(S48)支部長件橘桜会監事と柏木哲也(H3)橘桜会常任理事のご尽力により開催する事が出来ました。総会では新役員の選出は現執行部に一任され、支部長に柏木哲也先生、支部評議員に田中功一(H5)先生、予備評議員に伊藤敬雄(H3)先生、椎名盟子(H3)先生が後日新らたに選任されました。記念講演では榊原記念病院特任副院長 東京都CCU連絡協議会会長高山守正先生(S52)より「全東京の心血管救急で市民を護る~東京都CCUネットワークの実績とその運用~」をお話し頂きました。都内で心血管障害にて倒れた場合は「CCUネットワークにお願いします。」で、救命率は高く、高山先生を始め日本医科大学旧第一内科の先輩先生方のご尽力に、改めて頭が下ります。懇親会は最年長松村英幸先生(S48)の乾杯で幕をあけ、和気藹々と晩秋の夜を楽しく過ごしました。
出席者は(敬称略)中島米治郎(S48)、松村英幸(S48)、高山守正(S52)、近江禎子(S56)、黒沢純夫(S59)、宮本昌之(S61)、柏木睦美(S62)、柏木哲也(H3)、伊藤敬雄(H3)、椎名盟子(H3)、有井一正(H4)、田中功一(H5)、奥村純子(H8)、神谷信雄(H10)
(文責 黒沢純夫)
川崎支部・武蔵小杉支部合同支部総会
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令和元年11月16日武蔵小杉病院第一会議室内で支部総会が開催された。吉松副支部長の司会の下、諌山支部会長の挨拶の後、物故者加藤剛志先生(S40年卒)の黙祷に続き平成30年度事業報告、会計報告があった。
引き続き、病院内南館講堂において武蔵小杉病院支部との合同総会を開催した。
諌山先生の開会挨拶では、ラグビー部出身の先生らしく、ワンチーム(ONE TEAM)にちなんで、チーム日医の必要性、重要性の話があった。坂本理事長からは日医の現況が報告され、千駄木の経営の順調さ、大学の研究の充実等の話に続き新武蔵小杉病院の建設状況の報告があった。この10月に発生した台風19号の影響で多摩川の越水こそなかったが、この地域にも浸水、冠水被害があった。大学病院も直接の被害はなかったものの冠水の恐れがあったそうで、新病院では地下電源の見直しに加え、コンクリートのかさ上げで災害に強いばかりか災害拠点としての役割を果たせるべく生まれ変わるそうで、2年後を待ち遠しく思う。同窓会小平常任理事より紙媒体からメールアドレスの導入による利便性、問題点をお聞きした。健康管理科の塚田先生からは、健康診断、海外渡航ワクチン接種の事業拡大、消化器外科の谷合部長からは肝臓癌の治療の現状、未来像として腹腔鏡手術からダビンチ手術への展望について、最新医療の熱い思いをうかがうことができた。
その後懇親会が催され、会員の先生の親睦がはかられ、チーム日医の会も閉会となった。
(文責 山口)
山梨県支部総会
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令和元年11月16日(土)に、ホテル談露館(甲府)にて山梨県支部総会を開催しました。
今回は、山梨県内で勤務している同窓生または山梨県に縁のある同窓生と、同窓会本部から五十嵐健人常任理事・大学本部から弦間昭彦学長に臨席を賜って開催されました。
会は、吉川英雄山梨県支部長挨拶に始まり、続いて今回欠席された会員の情報や訃報の知らせがされた後、学長による付属4病院の現状と研究等大学の業績・多角的見地からの大学評価や大学入試・教育などについての講話がされました。続いて、武蔵小杉病院副院長の松田潔・千葉北総病院内分泌内科講師の岡島史宜の両先生から、台風上陸時における両病院の対応・対処の話や武蔵小杉病院建設に関連した話などをいただきました。総会は午後6時に開会、出席者全員が様々な話題提供をすることで会は盛り上がりつつ午後8時に閉会となりました。
〈写真〉前列左から 田辺陽一(S38)、薬袋正雄(S33)、弦間昭彦 学長、吉川英雄(S46)、松山謙(S50)、
後列左から 井出勝彦(H1)、高橋弘(S50)、松田潔(S60)、五十嵐健人 同窓会常任理事、弦間和仁(S61)、岡島史宜(H10)(弦間和仁 記)
九州・沖縄合同支部総会
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去る、令和元年11月16日(土)、佐賀県担当で日本医大九州ブロック同窓会を開催しました。この九州ブロック同窓会は1年に1度、九州各県持ち回りで行われる九州医学会の時に開催しています。今年は佐賀県が九州医学会の担当県でした。同窓会本部からは渋谷同窓会長と前理事の楠本先生に出席していただき、総勢12名の参加者で佐賀市内の料亭、楊柳亭で開催しました。渋谷同窓会長から大学の近況、同窓会の近況をご報告いただき、また参加者からは各県の同窓会への要望をお聞きいただきました。特に九州各県は同窓の人数が年々減少しており、何とか県の枠を設けては貰えないかとの要望が多く聞かれました。会は1年に1度しか会えない会員同士でよもやま話に花が咲き、渋谷同窓会長、楠本前理事を囲みながら盛会のうちに宵が更けて行きました。
佐賀県支部長 金武良弘
長野県支部総会
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令和元年11月30日(土)
午後四時半から
於 すき楼(長野市)
参加 14名だいぶ寒さが厳しくなり周辺の山々に雪が積もり始めた11月30日に、同窓会長野県支部総会・懇親会が長野市の「すき楼」で開かれました。参加は14名で、長野市や上田、飯田、松本県内各地から先生方にお集まりいただきました。また同窓会本部より同窓会会長渋谷哲男先生、同窓会副会長・学校法人日本医科大学理事清野精彦先生にご参加いただき、総勢16名で和やかに開かれました。
高木清先生(S61年卒)の司会進行で会が始まりました。まずは渋谷会長から、ご挨拶をいただきました。今年は長野にも台風19号による大きな自然災害がありましたが、長野の同窓の先生方の施設には被害がなく幸いでありました。現在同窓会では、WEBによる名簿管理の導入を予定しており、これに伴い紙による名簿の発行は基本的に行わなくなるためご協力をお願いします。また同窓会では、一時的に診療が困難になった背先生へのサポートするシステムを企画しています。また令和2年の同窓会新年会では、JAXAの川口先生に講演をお願いし、帝国ホテルで開きますので、ぜひ多数の方のご参加をお願いします。引き続き清野副会長より、大学の現況と病院の現状をご説明いただきました。坂本理事長就任から2年以上が経過し、昨年の報告よりさらに今年度の病院運営は順調に進んでいて借入金の返済も順調であり、付属病院がグランドオープンしてからますます経営状況は改善傾向です。また学事では、弦間学長のご努力により入学者の質が向上し、文科省科科研費が増加し、論文の数や質も向上し、研究環境も順調に改善されています。以上ご来賓の先生方にご挨拶をいただいた後、支部長の私から会計報告させていただき、ご了承いただきました。次に、支部長交代について会員の皆様にご了承いただきました。次期支部長は、昭和61年卒岡谷市で耳鼻科の小口医院を開業されている、小口直彦先生に決まりました。今後のご活躍を祈念しています。最後に本年6月にご逝去された蟹江孝之先生に黙とうを捧げました。最年長の小島直彦先生(S34年卒)に乾杯の労をとっていただき、待ちに待った懇親会が始まりました。皆様1人ずつ近況報告などしていただき、楽しく談笑していると、あっという間に時間が過ぎ、渋谷同窓会長、清野副会長の帰る時間となり、全員で校歌斉唱を行い、来年の再開を誓いながら会は閉会となりました。
(長野県支部長 田中昌彦 S59年卒)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第416号より
山形県支部総会
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令和元年7月6日(土)、日本医科大学同窓会橘桜会山形県支部・第58回定期総会が大塚茂の司会で東根市温泉町のよし田川別館に於いて開催されました。はじめに校歌斉唱を行いました。今年は6月18日に、山形県沖の日本海東縁ひずみ集中帯を震源にしてマグニチュード6・7、東根は震度3でありましたけれども、鶴岡で震度6弱、強烈な地震に見舞われました。液状化現象などが発生して、微弱ではありましたが津波も観測されました。幸い支部会員の先生方には大きな被害は御座いませんでしたけれども、被災されたみなさんには心よりお見舞い申し上げます。平成30年9月5日に守川勝先生(S20)が、令和元年5月19日には矢口智恵美先生(H7)がご逝去されました。両先生を偲び慎んで黙祷を奉げました。
続いて協議に入りました。事務局が平成30年度事業及び決算報告を行い、鎌塚栄一朗先生、藤田信輔先生より監査報告がなされ承認されました。次いで令和元年度事業計画及び予算(案)について協議がなされ満場一致で議決されました。役員改選については、大塚茂が支部長(五期目)に選出され承認されました。他の役員については後日決定報告する事となりました。次に次回開催地、開催日については東根市医師会前会長の江口儀太先生からより多くの会員が出席できるよう考慮すべきとの提案が有り、これらについては熟慮検討し、後日決定報告する事となりました。
ご来賓の先生方よりご祝辞を賜り、同窓会長渋谷哲男先生からはこの度の地震では大きな被害が無かったとの事であったが被災するような状況になった時には支部長など先生方へ本部から連絡が行くので宜しくお願いしたい。同窓会員名簿については今後4年に1回、紙媒体は一部残すがwebで作成、届ける事になるので早く慣れて頂きたい。会社については選定中である。年6回発行している同窓会報については、北は北海道、南は沖縄、海外までふさわしい記事を募集しているので事務局まで宜しくお願いする。
春の褒章受賞者については支部から本部に連絡してくれるようお願いしたい。現在進行中の小杉病院新築について同窓会は全面的に協力する。会費納入を宜しくお願いする、等お話頂いた。学長弦間昭彦先生からは法人の話も有り財務状況は良好で借入金を3年間で140億減らした事、小杉病院は9階建で2021年竣工である事話された。今、日本医科大学が改革の道筋に乗り今後斬新なイノベーションを続けなければならない状況である事、大切な時期であること話された。学納金の見直し、後期入試導入、さらに国語併用試験を導入し結果受験者数は倍増、旧帝大は除くが国公立にも合格した受験生で日本医科大学を選んだ人が未だかつて無い大人数であったこと、また女性は43%であった事、偏差値が上昇し注目されていること、今後は活躍する卒業生の増加が必要になるであろうこと話された。研究については、他大学との連携などを進め科研費獲得額は上昇傾向だが論文数については教室毎それぞれ分析が必要。教育については昨年、国際認証を受けた事、成績上位者を伸ばし、成績下位者を引き上げる個別化層別化教育を進めている事。テクノロジー革命の一環としてAI、アンドロイドの開発と活用も進めている事また心の教育も重視、信頼される医師の育成に努める事等お話になった。続いて日本医科大学大学院医学研究科消化器外科学分野大学院教授、吉田寛先生に、「日本医科大学消化器外科の新たなる挑戦」と題してご講演頂きました。先生は下館市民病院に派遣中、山形で開催されたべにばな国体の相撲競技に茨城県代表として出場し活躍された事も話され講演は思い出に残る、貴重な大変素晴らしいものになりました。総会を無事終えて記念撮影を行いました。
お二人の先生方のご冥福を祈り慎んで献杯を奉げ懇親会が始まりました。総勢21名での懇親会になりました。山形の米、酒、料理を堪能していただき、和やかな雰囲気が宴会場いっぱいに満ち溢れたころ、参会の先生方お一人お一人に近況報告、思い出の話等お話して頂き盛り上がりました。更に同窓会長、学長、教授を囲んで話は尽きず大変盛り上がりました。たいへん有意義なこの非常に楽しい時間は、あっという間に経過して、山形ロイヤル病院の板垣眞一先生に中締めの挨拶を頂きました。その後お一人も席を立ちませんでした。しばらくして小生の花笠締め(やっしょうまかしょシャンシャンシャン)で会は大盛況の内に閉会となりました。
(大塚茂 記)
埼玉県支部総会
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令和元年7月27日、パレスホテル大宮で、同窓会長 渋谷哲男先生、日本医科大学理事長 坂本篤裕先生、学長 弦間昭彦先生を来賓にお迎えして、支部会員34名が出席して、今年度の総会が開催されました。
総会に先立ちまして、物故会員、井口正美(昭和27年卒)、宗田太郎(昭和29年卒)、後藤修(昭和31年卒)、川島一也(昭和38年卒)、飯島昭(昭和25年卒)、の先生方への黙祷を行いました。
総会は、私の司会で進行しました。初めに、関山達也先生より、会計報告がありました。続いて、羽鳥雅之支部長よりご挨拶をいただきました。
羽鳥雅之会長は、「ご来賓の先生方、渋谷哲男同窓会長には、ご出席を賜りまして、誠にありがとうございます。高齢の先生方の意見もあり、支部の年会費は、85歳以上で免除にしたいと思っています。支部の活性化を図るために、大学に勤務の先生方にも声をかけて参加していただきと思っています。昨年秋には、山崎典之先生、今春には、斉藤洪太先生が、叙勲されました。おめでとうございます。講演は、横山先生に講演をしていただきます。今日は、同窓の親睦会でございますので、時間の許す限り語り合っていただきたいと思います」とご挨拶されました。
続いて、同窓会長渋谷哲男先生は、「同窓会にお招きいただきありがとうございます。同窓会の運営は、順調に運営されています。同窓会の仕事としてお伝えすることは、同窓会名簿発のWEB化、同窓会館の歴史資料館の改修、褒賞等受けられた場合支部からの連絡、令和2年新年会の講演は、はやぶさ元プロジェクトマネージャー 川口淳一郎先生に決まったこと等です。埼玉県の同窓会の先生方のご支援ご協力をお願いします」とご挨拶されました。
日本医科大学理事長坂本篤裕先生は、埼玉県同窓会にお招きの感謝を述べられた後、「法人経営状態は、順調で、借入金の返済も十分にでき、収益も上がっています。これも同窓の先生方のご協力、職員一同が危機感を持って取り組んだお蔭と思っております。財政に関しては、中長期計画を出して立て直しを図っています。最後に、会員、母校のために努力していくので宜しくお願いしします」とご挨拶を結ばれました。
学長弦間昭彦先生は、「イノベーションを続ける」のスライドを提示しながら、本学の直面している問題、医学教育の変革、カリキュラムの国際標準化、医師国家試験の情報・対策、入学試験の情報、等についてのお話をしていただきました。
続いて、同窓会橘桜会常任理事 草間芳樹先生の座長で、横山内科循環器科医院、横山広行先生より「実地医家の立場で心不全パンデミックに備える」についての講演がありました。
総会の後、全員での写真撮影に引き続いて、懇親会が行われました。懇親会は、関山達也先生司会で始まり、初めに阿部恒保先生に乾杯のご挨拶をいただきました。その後、会員の先生方の近況報告等の自己紹介がありました。
ご来賓の先生、会員の先生方は、遅くまで和気藹々と意見交換をされていました。澁谷純一先生の閉会のご挨拶で、本年度支部総会は滞りなく終了いたしました。
(北濱 博之(昭和56年卒) 記)
昭和58年卒クラス会
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昭和58年卒の同期会を令和元年8月3日 長岡市の大花火大会に合わせて催しました。
長岡市は昭和20年8月1日に大空襲で焼け野原となりました(山本五十六元帥の生誕地のため爆撃地にされたとの説もあります)。花火大会は、その2年後に慰霊と復興を祈念する花火として始まりました。そして15年前の中越地震からの復興の願いも合わせ、長さ2キロにわたって打ち上げられる大型尺玉スターマイン「フェニックス」が有名となっています。長岡花火大会は年毎に規模が大きくなり、観覧者も増加傾向のなか、今年は開催日が土曜日にあたり大変な人出が予想されていました。
昨年の同期会の折、長岡の花火が見てみたいとの要望を受け、約半年に渡り準備をいたしました。
同日夕方全国各地から同期18人が長岡駅近くの集合場所に集りました。せっかくの機会ですので最初に長岡の歴史(長谷川泰先生の出身地でもあります)、次に長岡医師会が3年前から関わる「ICTを用いた多職種連携による在宅医療」についてお話しさせていただきました。その後、約1㎞徒歩で信濃川の河川敷観覧席に移動し、尺玉100連発、フェニックス花火、正三尺玉3連発など約2時間のスペクタクルショーを楽しんだ後、深夜まで旧交を温めました。参加者には感動したと言っていただき、観覧入場チケット、ホテルの予約に難渋した甲斐がありました。翌日は希望者で山古志見学をし、地震からの復興した姿を見ていただき、新潟名物のへぎそばを食べ解散となりました。大学や地域で頑張っている同期の姿を見て、話を聞いて、地方の開業医としてマンネリ気味の私にとって、自分の立ち位置を見直せる本当にいい機会でした。この会開催にあたり、日本医大同窓会からお祝いをいただきました。この場を借りお礼申し上げます。
参加者は、石井(竹内)、伊藤(保)、伊藤(上田)、浮谷、鵜浦(夫妻)、梶山、草間、小林(国)、佐々木(横井)、清水(夫妻)、中村、長尾、森末(楠本)森園、山口、吉行の18人でした。
(文責 草間昭夫(S58卒))
新潟県支部総会
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令和元年8月18日(日)に、新潟市で新潟県支部総会を開催しました。最初に、昨年度逝去された、廣川均先生(S34)、樋口博行先生(S40)、諸富武彦先生(S47)への黙祷を行いました。その後堀内貞先生(S48)の乾杯で始まり、渋谷会長のお言葉を賜りました。会長からは、我が母校は、最近世間を賑わした不正入試に一切関わる事も無く、独自の入試改革、千駄木の付属病院の完成などにより、受験生の増加、病院収入の増加など、経営改善が順調に進んでいることを伺いました。母校が再び活性化していることをうれしく思います。その後、佐渡市の北見先生(S40)も加わり、学生時代の話、現在の状況などの話で盛り上がりました。最後に、来年も総会を開催することを決めてお開きになりました。新潟県では卒業生の高齢化と減少で、支部総会の参加者が5名と少なくなっております。しかし、これからも、支部総会を開催して参りたいと思っております。写真は、前列左より、堀内貞(S48)、北見治(S40)、大関正知(S44)、後列左より、草間昭夫(S58)、佐藤雅久(S52)です。渋谷会長を写真に入れず、申し訳ありませんでした。
(文責 佐藤)
福島県支部総会
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令和元年9月1日(日)同窓会福島県支部総会が、同窓会長渋谷哲男先生 理事長坂本篤裕先生 学長弦間昭彦先生をお招きして、郡山市のビューホテルアネックスで開催されました。総会は県支部長 坪井永保先生の司会で開始され、支部長挨拶の後、同窓会評議委員会報告、又、第3回野口英世アフリカ賞の授賞式が8月30日に都内で行われ、受賞者が生家のある福島県猪苗代町を訪問予定であることが報告され、その後の議事は原案通り承認されました。次いで、来賓挨拶となり、渋谷同窓会長、坂本理事長、弦間学長より、大学や同窓会についての最新の情報をご披露いただきました。次に、記念講演として附属病院呼吸器内科部長 清家正博教授による「肺癌薬物療法の変遷~平成から令和へ~」と題して 癌の発生や治療について講義して頂きました。全員で記念写真に納まり、桜井先生の乾杯の音頭で懇親会が始まりました。東医体の話や新丸子の話、わが福島県猪苗代町出身の野口英世博士が日本医大の大先輩であることをPRすべき等話は尽きませんでしたが遠藤正達先生の中締めでお開きとなりました。
出席 坪井永保(昭60)遠藤正達(昭44)櫻井正朝(昭44)仁保幸次(昭49)務川 靖(昭58)原口秀司(昭60)安藤真弘(昭63)
(文責 矢吹 康 昭52)
江戸川支部総会
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日本医科大学同窓会江戸川支部を令和元年9月14日 東京芝うかい亭にて渋谷哲男同窓会長(昭和45年卒)をお招きして開催いたしました。出席者は(敬称略)
宇多重員(昭和39年卒)、赤上嘉英(昭和42年卒)、神保勝一(昭和43年卒)、鈴木謙吾(昭和46年卒)、真鍋重人(昭和52年卒)、田島博山(昭和53年卒)、宮里和明(昭和56年卒)、河合尚基(昭和58年卒)、持丸 博(昭和63年卒)、橋本和政(平成元年卒)、小久保豊(平成2年卒)、塚本佐知子(平成2年卒)、来栖宏二(平成4年卒)、山口朋禎(平成6年卒)、渡邉国博(平成6年卒)、田村秀樹(平成6年卒)、赤田信二(平成8年卒)、中鉢久美(平成17年卒)、奥澤次郎(平成22年卒)、海渡由貴(平成27年卒)
の21名の同窓生が参加して頂きました。まずは、20年間支部長を務めて頂きました神保先生から、江戸川支部会の歴史をお話していただきました。宇多先生の合いの手からは、当時は江戸川では消化器の神保か耳鼻科の赤上かと言われていたそうです。次に渋谷同窓会長から現在の同窓会の活動のお話の後、乾杯の御発声を頂きました。昭和39年卒の先生から平成27年卒の先生と年代も違い、科も違う先生たちで、会話が弾むか、支部長としては心配しておりましたが、やはり日本医大の同窓ということで、どこかに繋がりはあり、会は大変盛り上がり2時間という時はすぐに過ぎてしまいました。うかい亭を出ると夜もくれ、東京タワーが赤く我々を照らしてくれました。
(文責 持丸博)
栃木県支部総会
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九月二十八日(土)、鬼怒川温泉ホテルにおいて支部総会を開催しました。今回は渋谷哲男同窓会長にご出席をいただき、荒井龍彦先生(昭55)のお世話により、十一名の会員が参加して開催されました。
開会挨拶・校歌斉唱・支部長挨拶および会務報告・来賓挨拶・会計報告と型の如く進行し総会は終了となりました。渋谷会長の挨拶では、最近の同窓会活動についてのユニークな取り組みと、今後の予定などにつきお話しがありました。
総会終了後、別室で懇親会となり、それぞれ大学時代の思い出話しなどに花が咲き、ついつい酒量が増えてしまったのでありました。前支部長田代先生の中締めの挨拶で、お開きとはなりましたが、皆様そのまま部屋に戻る様子もなく、ひき続き場所を変えての二次会となった次第です。
御出席の皆様は、比企達男(S32)、高田一男(S36)、関根啓一(S38)、田代勝久(S38)、斎藤道雄(S40)、多島信彦(S44)、中元隆明(S46)、亀田幸男(S50)、田中豊治(S50)、荒井龍彦(S55)、橋本義孝(H7)、でした。
(田中豊治 記)
互一会
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互一会は、昭和四十五年度入学または昭和五十一年度卒業の同窓が一堂に会して構成するものです。令和元年の互一会は、大野孝生君(長崎市)が幹事を務め、十月五日土曜日夕方六時半からハウステンボス内のフォレスト・ヴィラレストラン「トロティネ」で開催されました。初秋の好天にも恵まれ、計12名が出席しました。最初に大野君から開催までの経緯について説明があり、次いで清野(筆者、千葉北総病院)から、法人日本医科大学の「オールニチイ」をキーワードに健全・効率化された戦略的運営に伴い、財政が年々明らかな改善を示していること、特に千駄木の新病院をはじめ四病院の医療収支が右肩上がりを示していること、さらに日本医大の大学入試制度変革、つまり学費減額、入学試験(前期・後記試験導入)などにより、入試合格者の偏差値上昇、都内出身者、特に女性合格者(入学者)の増加が明らかな事などが報告されました。一方では、地方の同窓会支部が弱体化していることなどの問題についても言及されました。
その後、イタリアンのフルコースとワインなどを堪能しながら、新丸子プレハブ校舎一回生だった進学課程時代から医学部卒業までのいろいろな思い出について皆で熱く語りあいました。互一会は、春には松井君(愛知)が毎回幹事を務める「熱海麻雀の会」も活発に開催されています。夕闇になり、日本一と絶賛されるハウステンボスの多彩なイルミネーションが輝きだす頃、皆で記念写真を撮り(添付)、隣のホテル・ヨーロッパに席を移し、ピアノやチェロの豊かな演奏が流れるオーセンティックバー「シェラザード」でカクテルやスコッチを堪能しました。ハウステンボスは初めての方が多く、運河クルーズやオランダの家並み、7年連続日本一受賞の光の王国、ウオーターマジック、3Dマッピンッグなどのイルミネーションに、夜が更けるのを忘れてしまいました。
幹事を務めてくれた大野君、参加された皆さんに心行間調整からお礼を申し上げます。来年は令和二年十月十七日(土)に、上野 韻松亭(幹事:中村君、渋井さん、山田さん)で開催です。昭和四十五年入学または五十一年卒業の互一会皆さんのご出席をお願いいたします。
(清野 精彦(昭51卒))
静岡県支部総会
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10月5日土曜日午後に、令和に入り初めての静岡県支部総会が行われました。静岡県支部は、東・中・西部に分かれ、年1回各支部が持ち回りで受け持ち、秋に行っています。本年は中部支部の受け持ちでした。会場は静岡市のクーポール会館で行われました。年々、出席者が減少して淋しい限りだが確りと継続して行く所存です。
出席者は、来賓に渋谷哲男同窓会長(昭和45年卒)、法人より坂本篤裕理事長(昭和58年卒)、大学より近藤幸尋研究部長・泌尿器科教授(昭和60年卒)、が来静して下さり、法人と大学の現在および未来についてお話されました。出席同窓会員一同、話を伺ってホッと胸をなでおろしました。
学術講演は鶴岡秀一腎臓内科教授(平成元年卒)が、「慢性腎臓病の集学的治療」という題で、難しい内容を解り易く話されました。
静岡県支部同窓会の出席者は15名でした。
卒業順に 藤原義倶(昭和38年卒)、野口達也(昭和39年卒)、舟木晋次郎静岡県支部長(昭和44年卒)、佐倉東武(昭和45年卒)、馬渕是純(昭和47年卒)、坂茂樹(昭和48年卒)、大井俊孝(昭和49年卒)、大久保忠俊(昭和50年卒)、水谷彰仁(昭和56年卒)、渡辺正規(昭和56年卒)、勝又俊弥(昭和60年卒)、丸山和男(昭和60年卒)、竹内 司(平成元年卒)、水谷暢秀(平成5年卒)、大磯義一郎(平成11年卒)(敬称略)
総会終了後、学術講演・懇親会と進み、校歌斉唱して来年の再会を約束して終了しました。
(水谷彰仁 記)
世田谷支部総会
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日本医大同窓会世田谷支部総会が、10月6日(日)に開催されました。今回は例年とは趣向を変えて、リニューアルした千駄木の付属病院の見学を目的に会員6名が母校に参集しました。
付属病院事務部副部長の加島直人様にご案内いただき、外来、中央手術室、日帰り手術室、高度救命救急センター、コンシェルジュ付きの病室、医局などを案内していただきました。最先端の設備、医療機器などのハード面だけではなく、患者支援センターやユニバーサル外来、ハイブリッド手術室といった新しいシステムが導入され、母校の着実な発展を各自が実感できる良い機会となりました。
付属病院見学の後、橘桜会館3階ホールで総会懇親会が開催されました。西支部長の挨拶の後、熊川副支部長より、平成30年度の事業および会計報告、平成30年度の事業予定について報告がなされ、全会一致にて承認されました。その後の懇親会では、佐中先生の乾杯の発声に続いて、鮨よしだの大将が握る美味しい鮨に舌鼓を打ちつつ、出席者各自が近況について報告し、旧交を温めました。世田谷区は在住者を含めると約300名の同窓生が所属する大所帯です。会員の交流をさらに進展させてゆくことで意見が一致し、散会となりました。
最後に、休日にもかかわらず、ご協力いただいた事務の加島様に深謝いたします。
出席(着席者、写真左から、敬称略):斎藤正敏(S40)、佐中雅信(S39)、本田治久(S60)、望月弘嗣(H6)、熊川美代子(S63)、西恵吾(S54)
(文責 望月弘嗣)
四葉会(昭和48年8月卒)総会
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令和1年10月13日(日)東京ステーションホテル・陽光で、S48・8卒を主体とするクラス会の四葉会が開催された。12日の台風のため、8名の方が交通機関運休のため、残念ながら欠席となりました。その結果総勢31名の参加者でした。
冒頭に同窓会中島監事から大学、同窓会の報告があり、清水一雄会長の乾杯でクラス会が始まり、コース料理に堪能し、テーブルごとに順番に近況報告しました。医院の跡取りの話や、孫の話、自分の身体状況や疾患の話、現在の仕事の話などが主でした。2次会はバーの方で、日本対スコットランドのラグビーゲームの経過を楽しみながらの飲み会になりました。
次の日は、観光として、当初10名の予定が6名に減りましたが、はとバスで、東京スカイツリー半日ライナーに乗りました。靖国神社にお参りをして、スカイツリーに向かいました。高さ350mの展望台に登りましたが、外はガスが多く、遠望は出来ませんでした。そらまちでのショッピングを楽しみ、東京駅にもどり、解散しました。
出席者は、飯島カツ子、井阪直樹、五十嶋一成、伊藤誠二、太田正、太田千秋、太田眞夫、大庭建三、岡田一芳、加賀一兄、上笹貫志賀子、楠万佐子、清水一雄夫妻、高木修、田中啓治、塚本順、中島米治郎夫妻、中村賢夫妻、馬場俊吉、葉山正陽、平田ひろ子、古川清憲、古川雅子、松本二朗、水野杏一、村瀬孝雄夫妻、渡邊榮二の諸先生でした。
来年は、東京駅のこのホテルで加賀先生の世話人で秋の10月17日(土)に開催することとなった。
(五十嶋一成 記)
関西支部合同総会
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今回の関西支部合同総会は奈良県が担当で京都の都ホテルにて会員19名、来賓2名の計21名参加で行なわれました。合同総会では来年10月京都にて弦間学長が会長でされる『日本癌治療学会』に合わせて10月24日(土)京都都ホテルでの支部総会開催が決定。清野副会長、清家学長代行の御挨拶のあと、講演会は来賓の清野精彦名誉教授に「刷新される心不全実地診療―超高齢社会を迎えて」と題して御講演頂き質疑応答も行なわれました。
そのあと同ホテルにて懇親会を大阪支部の原田繁先生の乾杯御発声で開始。波多野先生のクラリネット演奏から始まり、プロのジャズピアニストとベーシストのデュオでの生演奏のB・G・Mで、又、奈良から来た3人の美人コンパニオンを交えて楽しい和やかな会となりました。
来年度当番の大阪支部長栗山大作先生の中締め挨拶で再会を誓い散会となりました。
(奈良県支部長 勝井建彦)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第415号より
54‐60同期会
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令和元年6月8日(土)に日本医科大学昭和54年入学昭和60年卒業同期会(54-60同期会)が武蔵小杉病院近くの銀座洋食三笠会館で開催されました。今回は、教務課を平成31年度末でご退職された、星野聡さん、神﨑(荻野)良隆さんにも特別ゲストとしてご参加いただきました。会に先立ちミニツアーと銘打って、建て替え予定の武蔵小杉病院屋上から旧新丸子校舎跡地に建った小杉小学校と新病院杭打ちが始まった旧グラウンドを臨む企画を行いました。40年ほど前に体育の授業や部活に励んでいた頃を思い出し、また、再来年には竣工される新病院の姿を、武蔵小杉病院副院長の松田君の名解説で思い描きました。また、旧新丸子校舎は立派な小杉小学校となり、既に授業も始まっているため、学校を外から眺めるのみに止め、校舎敷地内の北側にある綺麗に整備された小杉公園(病院のパンフレットでは「いだい公園」)を散策し、昔日を懐かしみました。本会は病院近くに新しくできた川崎コンベンションセンター1階にある銀座洋食三笠会館で開催されました。総勢30人が集合し、まず松田君から「武蔵小杉病院の将来展望」についてのスライドを用いた講演を聴き、新たな武蔵小杉病院の姿に夢を膨らませることができました。料理に舌鼓を打ちながら、星野さん・神﨑さんを交えて、学生時代の楽しく、中にはアブナイ思い出話に花が咲きました。参加者が皆、適所で大活躍している自己紹介もあり、星野さん・神﨑さんへの感謝の気持ちを新たにしました。来年はオリンピック時期を避け、牛村・勝木君の幹事で金沢でカニの時期に同期会を行うことを約し、一次会を終わりました。飲み足りない、話したらない参加者のために二次会をJR駅近くのビストロ・ランタンで行い、半数が参加しました。とても楽しい時間を過ごせました。ご参加いただいた皆様に感謝いたします。
(文責、足立好司)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第414号より
平成5年卒クラス総会
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―卒後25周年記念―
平成31年2月17日、東京ドームホテルにおいて平成5年卒の卒後25周年記念同窓会が開催されました。来賓に理事長の坂本篤裕先生、学長の弦間昭彦先生、同窓会長の渋谷哲男先生をお迎えし、総勢55名がこの会に参加いたしました。
最初に坂本理事長よりお祝いの言葉を頂戴いたしました。さらに新しくなった付属病院の現状と、武蔵小杉病院・多摩永山病院の今後の展望などもお話しいただき、大学全体の改革が進んでいることを強く実感いたしました。また弦間学長からも心温まるお言葉とともに、本学の現状につきお話しいただきました。特に、昨年度からの学費値下げや後期試験導入などの入試改革により本医大に優秀な人材が多く集まっているということを、スライドを交えて解説していただきました。さらに渋谷同窓会長からもこの会のお祝いのお言葉を頂戴し、乾杯の御発声をいただきました。
ほとんどの先生が久しぶりに再会するにも関わらず、終始和気あいあいとした雰囲気で交流を深め、あっという間に時間が過ぎました。さすがに25年が経過すると、学生時代と全く同じというわけにはいかず、私も含め頭部や体重に変化が見られる先生など様々ですが、みなさん非常に元気に活躍している様子で感激いたしました。会の後半には二次会に参加できない先生方から現状報告をしていただき、最後の写真撮影となりました。
二次会は銀座のパーティルームに場所を移して行われましたが、ほとんどの先生方が参加されました。日曜の明るい時間帯ではありましたが、大変盛り上がった会でした。
最後に、この会の開催にあたり場所や日程、連絡など多くの労をとっていただいた血液内科の山口博樹先生にこの場を借りてお礼申し上げます。
(田原 重志 記)
五輪会総会
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―卒後55周年記念―
令和元年5月11日、帝国ホテル東京にて開催。定刻に集合、記念撮影。幹事の事務報告(現会員数、年会費納入者、物故者など)があり、昨年の総会後に亡くなられた前田君、西尾君、堀家君夫人のご冥福を祈り黙祷を捧げる。
山下君(常務理事)の司会で開宴。同窓会を代表してご出席賜った馬渕理事のご挨拶、クラス最年長、堀家君の音頭で乾杯の後、洋食のフルコースを楽しんだ。美食家が多く肉料理は不評。国産牛を和牛に変更すべきであった、と反省。食事の合間に芦澤君、海老原君、西脇君、野原君、宮田君、保井さんの近況報告があった。場所をインペリアルラウンジに移しての二次会はほぼ全員が参加。馬渕理事は同級生の故馬渕原一君の長男で彼の乳幼児期を知っている人も多く、時を忘れて思い出を語りあった。お祝いには、大学周辺を思い出してもらいたく、老舗「一炉庵」の和菓子を用意したが、好評であった。
来年は、福田(俊)君のお世話により長崎での開催を予定している。
参加者:芦澤、石津夫妻、海老原、大屋、小川、小澤父娘、加藤夫妻、桑原夫妻、佐中夫妻、滝田、田畑夫妻、塚田、土屋夫妻、長澤、西脇、野原、福田(俊)、堀家、松下夫妻、箕田、光田夫妻、宮田、保井、山下夫妻、山本、吉岡。
(長澤 記)
無二会(昭38)
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幹事役を引き受けた私は、1月23日今なお老体に鞭打って診療をしている学友や既に引退し趣味に余生を過ごす同窓の61名に次のような案内状を送った。
平成もあとわずかで終止符を打とうとしています。新しい元号になると昭和初期に生まれ国民学校へ通っていた我々は、手帳の年齢早見表から明治が消えてしまったように間もなく若者から忘れ去られてしまうでしょう。
今日は、日本医科大学を卒業して56年、傘寿を過ぎた無二会の皆さんにぜひ湖国で会ってもらいたいと思い案内状をしたためています。よく考えてみると80才を過ぎ、薬の飲み友達は増えましたが、体力を使う遊び友達は減る一方です。いま無二会の皆さんに会っておかないと、いつ川の向うからお呼びが掛かるか分からないし、会っていても友の顔が分からなくなっているかもしれないと思う今日この頃です。以下省略。
こんな書き出しで始まった案内から4か月後の令和元年5月18日夕方、京都駅八条口へ続々となつかしい顔が集まってきた。その夜の宴会は、前もって編纂しておいた昭和32年から38年までの市川や千駄木時代の懐かしい写真集や50名から寄せられた近況文を見ながら思い出話に時は流れた。また、そこではいま床にあり病魔と闘っている友の近況報告も忘れられてはいなかった。宴会の後、夫人を含むしゃべり足りない面々はラウンジで、はたまた布団の中で雑談、あるいはベランダにある露天風呂につかり夜景を眺めながら琵琶湖畔の宿の初日は過ぎた。
2日目の19日の観光は、今はなき学友西川僚一君の故郷である近江八幡市の水郷巡りと時代劇のロケ地などでお馴染の八幡堀をガイドさんの名案内で約2時間散策した。また、昼食は高価ゆえに腹いっぱいとはいかないがワインや地酒で近江牛を味わった。1年後輩の保井(田中)亮子さんも加わり、瀬底(大竹)洋子さんらと数十年ぶりの会食を楽しんだ。
このように短い再会であったが、たいへん楽しい時の流れに身をゆだねることが出来た。それぞれの年齢は異なり兄貴もいれば弟もいる。大病院の院長もいれば医大の名誉教授もいる。しかし、土産物も買い、京都駅までのバスの中で別れが近づいてくると「おい、○○君(あるいは○○と呼び捨て)、次回も元気で会えるといいなぁ。身体をいたわり無理するなょ」。もちろん、いま床にある学友への見舞いも忘れずに行ってくれよと託して、それぞれが新幹線で西へ東へと消えていった。
(岡村喜明 記)
よろこぶ会
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―(昭和46入学から52卒までのクラス会)―
令和元年6月1日、ロイヤルパインズホテル浦和において開催されました。
参加者は30名で、まず初めに「脳卒中治療の進歩と対策基本法」について、浦和高校出身で成田リハビリテーション病院長の小林士郎君に講演していただき、脳卒中における初期治療の重要さを改めて認識させられました。また、小林君は千葉北総病院開院当初より脳神経外科部長として同院に赴任され、今日のように発展するまでの様々なエピソード、苦労話についても熱く語られ、大変有意義で興味深い講演でした。
懇親会では埼玉県医師会副会長の利根川洋二君の発声で乾杯したのち、箕輪龍雄君、桑原哲夫君の参加する生バンドをバックにバイオリン演奏のもと全員で校歌斉唱を行い、フレンチディナーを楽しみました。また、吉田雄一郎君のボーカル、井出道也君のキーボードの弾き語りも披露され、プロ顔負けの上手なことには大変驚かされ、とても盛り上がりました。話も尽きず、2次会はホテル19階のラウンジにおいて、さらに旧交を温めました。翌、6月2日は浦和ゴルフ倶楽部で24名参加によるゴルフコンペを行い、正田弘一君が優勝、曽我龍紀君が準優勝でした。
昨年は東京湾の屋形船、今年は埼玉でクラス会を行いましたので、来年度は、関西方面で開催する事をお願いし閉会となりました。
参加者、荒木重平、井出道也、井原徹太、岩崎孝一、小川泰史、小畑清一郎、賀屋茂、北島米夫、北見彰、桑原哲夫、小林士郎、坂西良彦、佐藤健、佐藤雅久、関山達也、高山守正、武井裕、谷本光保、鄭廣模、利根川洋二、二宮宣文、葉山修陽、平井道子、堀越晴男、箕輪龍雄、矢島純、吉田雄一郎、吉森勝、若林武雄、渡辺寧、他ゴルフ参加、飯塚和弘、正田弘一、曽我龍紀、中田誠介、野津原崇、藤沢裕志
(文責、関山達也)
昭和45年卒クラス会の記録
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法人理事 黒川 顕
昨日梅雨入りした東京だが本日6月8日はまずまずの空模様で、会場の京王プラザホテル44階から東京スカイツリーがくっきり見えた。幹事の中島信子さんの開会の辞に続き、この1年に亡くなられた3君に黙祷を捧げた。そして同窓会長の渋谷君による乾杯の発声から宴席が始まった。
フランス料理に舌鼓を打ち、それぞれ好みの飲み物を飲みつつ行った近況報告の一部を紹介したい。私は法人の昨年度の決算で収支は大きく黒字になり、借入金は順調に減少してきたこと、来年は入学式に卒後50年の我々が招待されるので出席しようと述べた。平岡君は前立腺核出術の機器改良に情熱を注ぎ続けていること、土岐君は息子のクリニックで上部消化管内視鏡などをして給料を貰っていること、岩久君は3人の子供が医師で活躍中だが自分は一人で頑張っていること、庄野君は趣味のゴルフでボールがどこへ飛んだか見えず探すのに苦労していると皆を笑わせた。向島君は健診結果に気をよくして秋田から駆け付けたこと、森田君は院長候補が育つまで院長に返り咲いたこと、渋谷君は同窓会長や院長としての業務で多忙を極めていること、和歌山からの味八木君は午後休診日にもゴルフに励んでいること、平間君は長年の地域社会での禁煙運動が実ったこと、吉野君は電カルが導入されたが自分は口述で秘書がすべて打ってくれるとご満悦だった。トリの中島さんは来年も幹事をして下さるとのことで、感謝の大きな拍手が起こった。
デザートまでおいしくいただいた後、来年の再会を祈念し散会した。
足立支部総会
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令和元年6月8日に上野伊豆滎本店にて足立支部総会を開催しました。目澤支部長の開会挨拶後、活動報告や会計報告を行い承認され、その後懇親会に移りました。内山同窓会副会長の挨拶では、今年は同窓会名簿を発行し、同窓会紙をカラー化し、今後名簿のWeb化を考慮中とのことでした。女性医師のプロデュースする健康セミナーの予定等のお話しをいただいた。弦間学長の挨拶では、武蔵小杉病院を着工する。前期後期入試試験をはじめ、学費を安くし、国際認証も取り、偏差値も上がり、世界大学ランキングによると日本の私立医大中でトップなど評価が上がっている。今後AI開発など教育にさらに力を入れていくとのことでした。呼吸ケアクリニックの日野所長の挨拶では、呼吸器ケアクリニックは今回リニューアルされ、就労者に受診し易い体制を整えている。喘息や咳喘息の診療に必要な呼吸器検査を効率よく出来るようにし、特発性間質性肺炎の抗線維化薬、肺癌の維持化学療法などにも力を入れていくとのことでした。岡田先生に乾杯の発声をいただき、伊豆榮の鰻料理に舌鼓を打ちつつ各々の近況報告を行いました。最後に渡辺先生の閉会の挨拶でお開きとなりました。
出席者:
大学より:内山喜一郎同窓副会長、弦間昭彦学長、日野光紀呼吸ケアクリニック所長
足立区:飯野晴彦(元腎内教授)、渡辺寧(S52)、朝日良一(S54)、田中邦夫(S55)、目澤朗憲(S55)、岡田憲明(S60)、駒場祐一(S60)、谷口泰之(S61)、三宅一昌(S61)佐野哲孝(東医卒 救命センターで勤務)、長田祐二(H3)、榊原桂太郎(H8)、岡田哲也(H15)練馬支部総会
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練馬支部は現在35名の同窓が在籍しており、昭和50年代からあまり大きな変化はありません。そのころから年に2回の総会と忘年会を続けております。令和元年第1回の総会が6月15日、池袋東武百貨店、湖南料理 華湘にて開催されました。今回は同窓会から渋谷哲男会長と北濱博之理事にご出席をいただきました。川満正夫幹事の発声で開会し、まず支部長の私から5月に開催された同窓会評議員会総会の報告をした後、同窓会長の渋谷先生から同窓会の現状と将来、また大学の様子などについてお話いただきました。当日最年長の安藤賢治先生の乾杯で開宴となりました。特別料理に舌鼓を打ちながら、他大学と比較しながらの白熱した議論は、お酒の勢いもありいつものように口角泡を飛ばしての大激論になって、あっという間にお開きとなりました。当日の出席者は以下のとおりです(卒業年)。
安藤賢治(S30)木村好秀(S32)山本鼎(S39)鈴木浩之(S44)本多一義(S47)山田修(S47)木内博之(S47)鈴木次夫(S47)浅野哲雄(S49)井口俊(S51)小山寿雄(S52)川満正夫(S54)神野悟(S56)忽滑谷直孝(S59)菅隼人(H1)
(文責 鈴木次夫)
北支部同窓会総会を開催して
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北区支部長 加藤 隆司
梅雨空の下、六月二十二日(土)に、池袋東武デパートのスパイス14階のバンケットホールで、北支部総会を開催しました。大学からは、渋谷哲男同窓会長、坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長、汲田伸一郎付属病院長を、お迎えして 小室陽一先生の乾杯の発声で、大いに旧交を温めました。また呼吸器ケアクリニックをリニューアルした日野光紀先生と、北保健所の所長になられた前田秀雄先生から御挨拶がありました。
理事長からは、新病院全面開院以後、順調に患者も増加し上々の経営状態であり、借財も予定より早く返済できそうであるとの事でした。また最上階の、コンシェルジュ付きのVIPルームの紹介もありました。学長からは、昨今の入試騒ぎにも、巻き込まれる事もなく、世界的な大学ランキングも上位にランクされ、偏差値も往年の輝かしい時に回復し、他大学との提携も入れたイノベーションを、実践しているとの事でした。
その後、出席者それぞれにお話を頂き、和気相々の中、吉田光順先生の中締めの挨拶で、お開きになりました。御出席の皆様は、小室陽一(S29)、皆川彰(S35)、髙木繁(S39)、吉田光順(S46)、五十嶋一成(S48)、加藤隆司(S50)、坂口文雄(S53)、金子清志(S55)、栗山純一(S58)、代田利明(S58)、奥田武志(S63)、大久保隆志(H1)、小平祐造(H1)、石井新哉(H4)でした。
(文責 加藤隆司)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第413号より
八二医会(昭57(一九八二)卒)
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平成30年11月3日(土曜日、文化の日)~4日(日曜日)の連休を利用して、平成30年度の八二医会(やぶ医会、昭和57(1982)年卒)を京都で開催しました。八二医会は卒後5年毎の周年(20周年、25周年、30周年など)は東京で開催し、その間の4年間は東京以外で地元の幹事が開催することになっています。今年は大阪の坂本勇二郎君が幹事となって開催されました。坂本君は学生時代からユニークな発想で周りを驚かせることが度々ありましたが、今回は思い出に残る八二医会にしようということで、2日間で京都の真髄を体験しようということになりました。そのために京都の御寺と庭、そして京都の食を堪能する会となりました。11月3日10時に詩仙堂の山門前に集合してスタートです。詩仙堂の庭は柔らかく、穏やかな庭でした。次に四条河原町に移動して、「志る幸」で京弁当の腹ごしらえ。次に大徳寺に向かいました。大徳寺では詩仙堂とは対照的な、禅寺の枯山水を堪能しました。次に隣の今宮神社までぶらぶら歩いて、炙り餅で一服。さらに西に向かって妙心寺を拝観。ここは、狩野元信の作った絵画的な庭です。
お腹が空いたところで夕食は京都最高の料亭「嵐山吉兆」です。(食事代は例年の会費のなんと約5倍!にもかかわらず23名も参加しました!!)皆約40年前の学生時代に瞬時にタイムスリップして、各自の楽しい近況報告を肴に、最高の京懐石と美酒を堪能しました。その後祇園に移動して一杯。さすがに皆年齢を考慮して常識的な時間にホテルに戻りました。翌日は瓢亭で「朝粥」をいただき、その後、散歩がてらに東福寺を拝観。そして、祇園に戻って「白碗竹快樓」でランチです。気のおけない仲間と「京都の真髄(寺、庭、食)を体験する」という所期の目的を十二分に堪能できたことを、幹事の坂本君に皆で感謝し、来年の再会を約束して解散しました。
参加者:東光邦、飯田啓、石川理、井原ちひろ、大池澄孝、川井眞、河内重人、喜多村孝幸、斎藤敏之、坂本勇二郎、柴田香織、杉澤裕、永島幹夫、萩原万里子、長谷川博一、八田晋、服部祥明、福田秀基、真崎雅和、前田秀雄、道又秀夫、山口哲顕、結城禎一
(文責 喜多村孝幸)
秋田県支部総会
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今年の秋田の雪どけは早い。秋田キャッスルホテルの日本料理店車屋にて、平成31年3月16日土曜日、小泉純一郎先生のご発声にてビールで乾杯、平成24年に40年ぶりに開催されてより、第8回目の秋田支部の同窓会が開宴致しました。今年は向島偕先生のご尽力により、日本医科大学同窓会会長渋谷哲男が大宮から新幹線を乗り継ぎ、ご参加頂けました。千駄木の新病院の近況や丸子校舎のグランドに高層階の新病院が建設されるというお話に一同、懐かしい昔に想いを馳せながら耳を傾けました。秋田らしく2杯目からは日本酒、鮑のやわらか煮に舌鼓を打ちながら、「高清水」をお猪口に満たし合いました。
昭和33年卒の小泉純一郎先生は、30年間の耳鼻科開業後、現在は老人保健施設を管理、お孫さんが宝塚に入学したと目を細めていらっしゃいました。
昭和34年卒の最上栄蔵先生は、ご子息にお譲りした有床診療所で今でも外来診療、「外来を手伝っているのか邪魔しているのか、わかりません!」とのコメントに一同大笑い。
昭和45年卒の向島偕先生は「昭和49年の秋田の学会では猛吹雪で皆遅れてしまい、学会発表はできなかったのに、何故か皆、懇親会には間に合いました!」と場が和んで行きました。
昭和46年卒の小山田雍先生からは、「科学に国境はないが、科学者には祖国がある。」という昔の偉人が語った言葉を頂き、「故郷に骨を埋めるつもりです。」と温かいコメントを頂きました。
昭和51年卒の澤口博先生からは、渋谷先生が卓球部の大先輩であり学生時代からお世話になっていることや、小児科の同窓会に久し振りに参加、名誉教授で卓球部の先輩でもある福永慶隆先生のお元気な姿を嬉しく思いましたと報告頂きました。
昭和57年卒の真崎雅和からは、酒量と体重の単調増加に相変わらず悩まされていますが、腰も回復したのでゴルフを再開して、今年こそ減量に励みたいと思っておりますと前向きなご意見を頂きました。
平成元年卒の川原聡樹先生は、半年でバスケ部の先輩と後輩が2人も主任教授に就任、祝勝会に参加、30年が過ぎても助け合える医学部体育会の人間関係の素晴らしさを私達に教えて頂きました。
平成17年卒の谷合久憲先生は在宅患者さんからの緊急callに7月の「第1回日本在宅医療連合学会」と「日本医療マネジメント学会」での2週連続のランチョンセミナーについて告知し、目の前の主菜の秋田錦牛のしゃぶしゃぶを惜しみつつ、涙を浮かべて退場されました。
3次会が終わったのは午前0時を過ぎていました。来年の同窓会での再会を固く誓い散会、まだ肌寒い川反から家路につきました。
千葉県支部総会
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平成三十一年四月十三日土曜日、日本医科大学同窓会 千葉県支部総会が渋谷同窓会長をお招きして船橋市の 将泰庵 はなれ で開催されました。
昭和三十年卒 大村益一先生に乾杯のご発声をいただき、千葉県支部同窓の皆さまと和気あいあい美味しいお肉料理を堪能しました。今回は平成年度卒の先生方や日本医科大学看護学校卒業で病院立ち上げのときから千葉北総病院で勤務していている看護師も参加し活気のある会となりました。
開催地である船橋市医師会内だけでも二十五名の同窓の先生がいらっしゃいます。筆者が大学を離れたのは十五年以上前ですが、ひとりで診療をしていますと信頼できる同窓の先生が近くにいらっしゃるのはとても心強いものです。千葉県にお住まい、お勤めの先生方、次回のご参加を心よりお待ち申しあげます。
参加者
大村益一(昭和三十年卒)武井節雄(昭和三十六年卒)清川正章(昭和四十一年卒)吉野重利(昭和四十五年卒)森 秀樹(昭和四十九年卒)古谷清久(昭和五十一年卒)坂本文夫(昭和五十二年卒)齋藤 彰(昭和五十七年卒)伊藤加寿子(昭和五十八年卒)浮谷勝郎(昭和五十八年卒)山口 暁(昭和五十八年卒)今井大洋(昭和六十年卒)三橋 清(昭和六十二年卒)窪谷 潔(平成三年卒)熊谷正也(平成三年卒)吉田順子(平成五年卒)茆原弘光(平成七年卒)(文責 吉田順子(千葉県支部評議員平成五年卒))
愛知岐阜支部合同総会
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平成31年4月27日、愛知岐阜支部合同総会が名鉄ニューグランドホテルにて開催されました。例年支部総会は学生会員が帰省する8月に開催しておりますが、今年は愛知県にて於いて日本医学会総会が行われたため、平成最後の土曜日に日本医科大学同窓会中部大会と同じくして開かれたのでした。
17時より支部総会・学術講演会を行い、19時より同窓会役員、他支部会員をお迎えして日本医科大学同窓会中部大会という段取りです。
愛知より31名、岐阜より6名が出席しました。開会に先立ち、昨年の総会以降ご逝去のお知らせを頂いた丸井逸郎先生(S29年卒)田中清隆先生(S34年卒)西尾豊彦先生(S39年卒)近藤満江先生(S47年8月卒)に黙祷をささげました。その後、愛知支部長松下克己先生、岐阜支部長中根康雄先生の挨拶から総会が始まり、愛知支部岐阜支部の順に会計、監査、庶務報告など議事が進みました。
学術講演は循環器内科准教授の高野仁司先生(H3年卒)による「冠動脈疾患患者の消化管潰瘍対応」でした。座長は同級生の小出恭裕先生です。ご専門の心臓カテーテル治療を中心に日本医科大学循環器内科の取り組みや治療実績について、親しみある逸話を交えお話されました。特にカテーテル治療後に2剤3剤併用の抗凝固療法が必要となり、消化管潰瘍の予防は重要であるとのことでした。
19時からは同窓会本部主催の中部大会となりました。パーティでは愛知支部恒例、堀尾豊先生の軽妙な小咄に伊佐治文朗先生の華麗なマジックと余興を披露し、久し振りに旧交を温め愉快に過ごす事が出来ました。
(文責 平良亮子 S59年卒 愛知支部)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第412号より
静岡県支部総会
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平成30年9月29日、ホテル・クラウンパレス浜松にて、第61回同窓会静岡県支部総会が開催された。
会に先立ち、平成29年9月以降に亡くなられた伊藤満先生(S24)、本田龍三先生(S27)、荒巻公輝先生(S27)に黙祷をささげた。
舟木晋次郎支部長の挨拶の後、来賓の渋谷哲男同窓会長より、富士宮市立病院に勤務されていた頃の思い出話や西日本の災害で被害を被った同窓生のことなど、また伊藤保彦医学部長より、入学試験、国家試験など大学の最近の状況についてお話をうかがった。
舟木晋次郎支部長より庶務報告、大久保忠俊副支部長より会計報告があり総会は終了となった。
続いて、元日本医大武蔵小杉病院認知症センター特任教授の北村伸先生に、「認知症への武蔵小杉病院の活動」という演題でご講演いただいた。
懇親会では、各先生方の近況報告等で楽しい時間を過ごすことができた。
出席会員は、内山昭司(S25)、白井正夫(S28)、兼子喜男(S31)、牛田昇(S31)、長田純男(S36)、杉谷正東(S37)、谷口和利(S38)、野口達也(S39)、坂口高義(S42)、遠藤徹郎(S44)、舟木晋次郎(S44)、馬淵是純(S47)、坂芳樹(S48)、大井俊孝(S49)、大久保忠俊(S50)、竹下力(S53)、水谷彰仁(S56)、丸山和男(S60)、竹内司(H01)
(大久保忠俊 記)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第411号より
四葉会
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平成30年10月7日、8日、毎年の四葉会を、今年は、広島で開催しました。
週末の台風接近で、やきもき致しましたが、台風一過、遠くは山形、岩手県より、総勢28名が広島に集合しました。
7日、希望者は、まずお昼前に集合、広島のお好み焼きを堪能、午後、皆が広島駅に集合、平和公園、おりずるタワー等見学、その後、宮島に渡り、島内のホテルに宿泊しました。
夜は、まず、同級生の清水一雄日医大名誉教授による、「放射能汚染と甲状腺癌―チェルノブイリから福島へ」の講演を聞き、宴会となりました。皆一人ずつ近況報告し、学生時代の話や孫たちの話に花をさかせました。
宮島は、この時期、大潮で、丁度午後8時過ぎが満潮となり、宴会後、厳島神社を、船で海から参拝し、ライトアップされた大鳥居を船でくぐり、その大きさに圧倒され、皆大感激しました。
翌日は、暑いくらいの天候にめぐまれ、厳島神社を参拝し、昼食は、対岸の石亭に場所を移し、お庭をめでつつあなご懐石をいただき、解散となりました。久しぶりに会えた同級生と旧交を温めた2日間でした。
(四葉会平成30年度幹事 平田ひろ子)
青春グラフィティ“互一会”報告
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平成最後の年となる平成30年10月13日に東京駅丸の内南口内の東京ステーションホテルで2018年度の互一会が行われました。我々の学年は世界中で吹き荒れた大学紛争(東大入試が中止となった)真っ盛り学年であり、上の学年からさ迷ってきた先輩や下の学年に流されていった友人も多く、とりあえず日本医大に1970年入学したクラスに籍を置いたことがある人はどなたでも互一会入会資格があります。従って、互一会会員の人数は決して少なくないはずですが、どういうわけか毎年互一会の集合人数はいまいち、昔の授業風景を思い出すような同級会を繰り返してきました。さて、今年の互一会はどうだったのでしょうか?
まずは、一部の有志約10名が日本医大病院に集合し事務部副部長加島直人様の引率で病院屋上のヘリポートで記念写真撮影。引き続いて特別病棟を中心に見学。加島様の熱のここもった説明に、一同思わず日本医大病院特別病棟に入院したくなりました。
18時半にはステーションホテルで本番、40人以上が集まりおよそいつもの顔ぶれによる互一会が開始されました。内田第一外科名誉教授と、日医大北総病院院長の清野名誉教授の講演を聞いた後、互一会会員のうち勲章を授与された日本の政治家(医師もしている)西島君、医師会と公安委員会で活躍中の利根川両君の授賞講演。さらには全員で乾杯。酒・食を楽しんだ後、集合写真。その後、再来年の互一会幹事を決め、有馬君から互一会会計の説明を受け、20時30分定刻通り御開きと致しました。
互一会は互一会。結局、いつも同じの同級会でこれが“青春グラフィティ”であることを再確認した一日でした。
(筆責 可世木久幸)
関西支部総会
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京都駅前の新都ホテルで10月20日に開催し、近畿6府県から24名の会員が集まり、例年より多くの参加者で盛大な会となりました。今年度は滋賀県支部が担当で水原誠一支部長の挨拶で会は始まり、同窓会長の渋谷哲男先生、大学理事長の坂本篤裕先生の御挨拶をいただき、学部長の伊藤安彦先生より新病院の紹介、大学の新カリキュラム、国家試験、入学試験の現状等につきお話をいただきました。
会場からも地方同窓会として会員の減少と高齢化により支部としての活性化が望めない悩みもきかれました。引き続き講演会に移り「紙芝居と街の電気屋さん」の演題で谷田昌蔵さんにお願いしました。元俳優で流暢な語り口で昔なつかしい紙芝居を演じながらの講演で、会員一同幼少の頃の思い出に浸りながら聞き入っていました。
講演会終了後、懇親会に入り奈良県の福井義晃先生の乾杯の音頭で会は始まり、祇園の綺麗どころも交えて、会員同士で旧交を温め、楽しいひとときを過ごしました。日本医科大学のますますの発展を願いつつ、来年の再会を約束し散会しました。
(文責 久我正文)
43クラス会―卒後50周年記念―
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43クラス会は弦間昭彦学長、前田美穂同窓会副会長をお迎えし、平成30年10月20日、帝国ホテルにおいて祝賀会を行った。祝賀会の前に付属新病院を見学した。新装の大学棟と綜合診療・救急医療センターを中心に疾患別診療科など新規機能を完備した院内を案内された。全員が50年前と比べ、本学が充実・成長した姿を知り、隔世の感を覚えた。その思いが一層増したのは屋上ヘリポートから、澄みきった大空の中に立ち、東京の街全景を一望に見下ろした時であった。新病院見学後、祝賀会前に亡くなったクラス会員14名のご冥福を祈った。祝賀会は桑名壮太郎君の司会で始まり、弦間学長は大学法人の現況と将来の展開を、前田副会長は同窓会活動をさらに交流・親睦を深めるために電子化が必要と、ご挨拶された。乾杯は桑原和則君が、学校法人・同窓会・クラス会のさらなる発展と健康を祈って杯を高らかに上げた。参加者は23人であったが、活力をもって医療に貢献している日常活動を、各自代わるがわる披露した。全員意気軒高であり、楽しい、落ち着いた、お祝いの会であった。幹事の桑名壮太郎君と比企健夫君、本当にご苦労様でした。
(文責、高野照夫)
川崎支部・武蔵小杉支部合同支部総会
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平成30年10月27日、武蔵小杉病院内第一会議室内で開催された。安室副支部長の司会の下、武井支部長の挨拶の後、物故者、横瀬陽康先生(S25年卒)、堀内和孝先生(S59年卒)の黙祷に続き、平成29年度の事業報告、会計報告があった。承認事項として新支部長に諌山和男先生(S56年卒)、副支部長に吉松信彦先生(S56年卒)が就任された。
引き続き、病院内南館講堂に於いて、武蔵小杉病院支部との合同総会を開催した。尾藤博保副院長の司会の下、武井支部長の挨拶後、同窓会新会長渋谷哲男先生より、同窓会名簿の発刊を4年に一度にする旨や各地で被災された同窓生への支援などの報告があった。
武蔵小杉病院支部長の田島廣之病院長より『新病院建設プロジェクト』と題し、病院建設のスケジュール、イメージパース、断面構成などのスライドによる説明があった。3年後の開院が待ち遠しい限りである。
続いて、10月から始まった総合診療科の塚田弥生先生から『総合診療科の役割と今後の展望』という演題で講演があった。
新任部長の紹介として消化器外科の谷合信彦先生が紹介された。
その後、懇親会が催され、会員の先生の親睦がはかられ、閉会となった。
(文責 山口)
鳳凰会(昭40)総会
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平成30年度鳳凰会総会・懇親会が平成30年11月10日(土)午後6:30~ホテルオークラ東京ケンジントンテラスで行われました。12階の落ち着いた綺麗な会場です。ご来賓は本学前同窓会長越野立夫先生。出席者は、総数22名。
現在の会員数は61名。この1年間全員が健在!!。極上の喜びです。
幹事(クラス代表)町田が開会の辞と会計報告並びに一般報告。了承。
前同窓会長のご挨拶で、法人は坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長の精力的な取り組みにより、運営業績が飛躍的に進展してきた。新病院の各施設は、設備も整い本年1月からフル稼働している。同窓会は、渋谷哲男氏(45年卒)が5月に新会長に選任されて職務を遂行、会務は、会員の協力を得て順調な歩みをしている。
社会問題化の入試は、文科省から男女比1・12であり、同窓子弟の不適正入学はないと認められている。名簿作成は4年に1回と変更等々を述べられました。
乾杯は本間達志君。クラスの殆どが傘寿を迎えますが、トップランナーとして発声を依頼、仲間の平穏な日常と健康を願い杯を挙げました。
ディナーはオークラ自慢の料理が並びます。今年も和食系から消え、皆のお腹に収まりました。近況報告は奥様と共に全員で。日々の生活や家庭環境、仕事ぶり、健康維持法、1病息災の話が濃密に続きます。記念写真では皆、生気満々。
新クラス代表、鳳凰会総会を協議しましたが、現代表が継続、副代表はスーパーサブとして塩原和夫君が決定。次年度の鳳凰会の会場は未定、期日は10~11月を予定。二次会は、ホテルのバー。10人が残り、尽きぬ話に時を忘れました。
(町田 利正)
山梨県支部総会
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平成30年11月10日(土)に、ホテル談露館(甲府)にて山梨県支部総会を開催いたしました。今回の会は、山梨県内で病院勤務・開業をしている同窓生と山梨県に縁の深い同窓生が集い、同窓会本部から会長の渋谷哲男先生、学校法人から理事長の坂本篤裕先生に御臨席を賜り開催されました。
会は山梨県支部長の吉川英雄先生の挨拶で始まりました。続いて渋谷同窓会長から同窓会全体と各地の同窓生の話を賜り、坂本理事長からは付属4病院と研究等大学の業績・入試や教育等の話を丁寧に面白くいただきました。武蔵小杉病院副院長の松田潔・千葉北総病院内分泌内科講師の岡島史宜の両先生からは、其々の病院近況をお聞かせいただきました。会の途中、全員で記念撮影をいたしました。出席者から様々な話題が提供され会は大変に盛り上がりました。午後6時に開会、午後8時に閉会いたしました。
前列左から 若杉正清(S58)、松山謙(S50)、坂本篤裕 理事長、渋谷哲男 同窓会長、田辺陽一(S38)、吉川英雄(S46)、渡辺洋一(S52)、後列左から 井手勝彦(H1)、弦間和仁(S61)、松田潔(S60)、露木弘光(特別会員)、岡島史宜(H10)
(弦間 和仁 記)
九州・沖縄合同支部総会
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毎年11月の九州医学会に合わせ、各県持ち回りで九州ブロック同窓会が行われます。今年は鹿児島県が担当で、8年ぶりの開催でした。11月17日城山ホテル鹿児島に渋谷哲男新同窓会長、弦間昭彦学長をお招きし、九州の同窓生にご参加をお願いしました。「西郷どん」効果を期待していたのですが、出席は14名でした。來仙隆洋先生(平5)の司会で開会。先ず今年2月に亡くなられた肥後光春先生(昭47・前鹿児島支部長)をはじめ、ご逝去された同窓生に黙祷後、私の歓迎挨拶、渋谷会長に今後の抱負などをお聞かせいただきました。渋谷先生には、第一病院で10年間大変お世話になり、26年ぶりの再会に感激しました。池田琢哉鹿児島県医師会長(昭46)に乾杯をお願いし、懇談。暫くすると弦間学長が、ご多忙の中駆けつけられ、少し喉を潤してから、大学の現状、方針、将来構想などを詳しく説明していただきました。最近地方からの学生が減少し、九州同窓会と大学との距離が遠くなった印象を持っていましたが、学長のお話や、学長と同期の坂本篤裕理事長の経営理念、実績なども伺い、少し安堵しました。同級生がタッグを組んで頑張っておられることをとても頼もしく思いました。お二人とも翌朝が早いにもかかわらず2次会までお付き合いいただきました。学年が違っても同窓生はいいものです。ご参加いただいた先生方と会長、学長と共に、とても楽しい時間を過ごすことができました。理事長と学長の学年は、同期にヨット部の5人の後輩がいるのでとても親近感があります。
是非頑張っていただきたい。九州ブロック同窓会も、人が減りつつありますが、可能な限り盛り上げたいと思います。ご参加いただいた同窓生に感謝!来年は佐賀でお会いしましょう。
(鹿児島支部長 花牟禮康生(昭57))
昭和58年卒クラス会
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平成最後の昭和58年頃卒業の同窓会が広島県のベラビスタ福山という瀬戸内海が見下ろせるとても風光明媚な場所で行われました。我が学年は教授になった優秀なものが多く、今でも学内で要職についておりますが、坂本理事長、弦間学長の両巨頭が所要のため欠席、福山出身の杉原教授も欠席で開催も危ぶまれましたが、伊藤医学部長、高橋副院長の出席を得て15名の同窓生と5名の家族の20名で開催されました。
岡山の長尾君が同窓会初参加で懐かしい顔を見せてくれた一方、北海道から来るはずの一人が来年のことと勘違いしてたとかわけのわからん理由で当日ドタキャンするという暴挙もあり混乱する場面もありました。
温泉につかり、美味しいフランス料理を食べた後、一部屋に集まり広島の地酒で旧交を温めました。
翌日曜日はゴルフ組と紅葉がきれいな尾道観光組に分かれて楽しんだのち、来年の長岡花火大会に合わせての同窓会での再会を約束して、新幹線、飛行機で帰路につきました。
(梶山正治)
長野県支部総会
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例年になく穏やかな日和が続き、好天に恵まれた11月24日に、同窓会長野県支部総会・懇親会が長野市の「すき楼」で開かれました。すき楼は市内にある、こじんまりしたしゃぶしゃぶ屋ですが、おいしい肉を食べさせていただくことができるので、無理を言って、開店前の四時から店を開けてもらい、行うことができました。参加は10名で、例年より少なかったものの、長野市や飯田、松本など県内各地から先生方にお集まりいただきました。また同窓会本部より今年新たに同窓会長に就任された、同窓会会長 渋谷哲夫先生、学校法人日本医科大学理事長 坂本篤裕先生、日本医科大学学長 弦間昭彦先生にご参加いただき、総勢13名で和やかに開かれました。
私の司会進行で会が始まりました。まずは渋谷会長から、新たに会長になられたご報告をいただき、今年は大きな自然災害があり、同窓の先生方の施設にも被害が出て同窓会としてお見舞いを送ったことをご報告いただき、またこのような被害が同窓会としてなかなか把握できないことが多く、ぜひとも同窓会にご連絡をいただきたいといったご要望をお話しいただきました。また国家試験対策として同窓会も協力をしているといった報告もいただきました。引き続き坂本理事長より、大学の現況と病院の現状をご説明いただきました。新理事長就任から1年以上が経過し、昨年の報告よりさらに今年度の病院運営は順調に進んでいて借入金の返済も順調であり、付属病院の改築改装も順調に進行し、他の付属病院も老朽化が進行しているので、今後はこちらの対策も考慮していく予定で、順調に進めばさらに経営改善が見込まれるとのことでした。続いて弦間学長より学事のご報告をいただき、優秀な学生を得るため、学費の値下げを行い、また大学スタッフのご努力により、文科省科科研費が増加しているなどの報告をいただきました。最後に支部長の私から、会計報告をさせていただきました。一番遠方より来ていただいた野口修先生(S50)に乾杯の労をとっていただき、待ちに待った宴会が始まりました。また楽しいお酒とおいしい食事のおかげで、普段はなかなか聞くことのできない本音ベースの話もしていただきました。楽しく談笑していると、あっという間に時間が過ぎ、渋谷同窓会長、坂本理事長、弦間学長の帰る時間となり、来年の再開を誓いながら会は閉会となりました。
平成30年11月24日(土) 午後四時から 於 すき楼(長野市) 参加 10名
(長野県支部長 田中昌彦 S59年卒)
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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第410号より
昭和60年卒クラス総会
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6月2日に都内永田町のザ・キャピトルホテル東急において、クラス会を開催しました。今回は、昨年、日本医科大学武蔵小杉病院脳神経外科教授に就任された足立好司君をお祝いする会であり、記念講演として「神経疾患に対する音楽療法について」をお話いただきました。貴重な知見を共有することができ、同窓生としても誇らしく感動しました。
パーティーは、最年長の坂本君が音頭で乾杯を挙げ、出席者一人一人が近況を報告して、同期の絆を強くすることができました。出席者は、昭和54年入学または60年卒業の同窓生のうち以下に挙げる総勢29名(相原、青木、赤石、足立、石川、石郷岡、岩原、大坂、大薗、岡田、梶尾、勝又、小池、坂本、塚田、坪井、原口、林(久)、林(毅)、深澤、藤本、松田、丸山、三浦、師田、山口、山下、山室、輪嶋)で、一堂に会し、旧交を温めました。それぞれが卒後33年という長い年月を過ごしてきた証を持ち、語るには時間が足りず、その後、2次会はキャピトルバーへ移動しても、さらに遅くまで会話が弾みました。また、翌日は成田ヒルズカントリークラブでゴルフコンペを開催しました。
(山下 浩二 記)
五輪会(昭39)総会
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6月10日から12日の2泊3日、仙台市在住の箕田君のお世話で東日本大震災の被災地を宮古から仙台まで旅した。
盛岡駅に集合し、宮古で地酒男山とお寿司で腹ごしらえ、田老地区へ。語り部に震災前と現在の街の説明を受け、17メートルの津波に襲われ、6階建ての4階まで浸水した津波遺構「たろう観光ホテル」を見学した。予約していた我々のグループに、たまたま当地に取材で来ていた有働さん(元NHKキャスター)が紛れ込んだ。1泊目は部屋からの眺めが素晴らしい浄土ヶ浜パークホテル、海の幸を堪能した後、二次会では全員強制的にカラオケを歌わされる羽目に。受けたのは山下君(常務理事)の「さざんかの宿」、特に「ああ他人の妻」という歌詞であった。
2日目は我々が卒業した当時、厚生大臣であった鈴木善幸氏(医師免許証で確認、元総理大臣)の出身地山田町、大槌町、奇跡の一本松の陸前高田と、大きな被害を出した地域をまわり、気仙沼で昼食。その後、南三陸町のさんさん商店街でお土産を買い、本日のハイライト、大川小学校跡へ向かう。冷たい雨の中、校門近くにあるモニュメントの鐘を鳴らし、手を合わせた。学校のすぐ裏に小高い山があるのに何故と、残念でならない。本日は松島が眺望できるホテル大観荘泊。昨夜同様、ご馳走、カラオケと休みなし。
最終日、塩釜へ、市場で買い物をした後、箕田君の長い付き合いのフレンチの名店、シェヌーで美味しいシャンパン、ワインとランチを楽しみ、名残を惜しみつつ仙台駅で解散した。
被災地を回り、目立つのは地盤のかさ上げと防潮堤の工事ばかり、公共事業も人手不足で先が思いやられ、復興は未だ未だとの感がした。現地では、「つなみてんでんこ」と、津波の際には、てんでんばらばらに、遠くではなく、高いところに逃げて、自分の命は自分で守ろうという、防災教育をしているが、その通りだと思う。(かさ上げ、防潮堤工事より大切。)
なお、卒業55年にあたる平成31年度の総会は、5月11日に東京の帝国ホテルにおいて、開催する予定である。
参加者:田畑夫妻、土屋喜哉夫妻、長澤夫妻、箕田夫妻、山下夫妻、佐中、堀家、山本、吉岡夫人。
(長澤 紘一 記)
北支部総会
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六月二十三日、梅雨空の下、北区赤羽の銀座アスター赤羽賓館で、北支部総会を開催しました。同窓会副会長の内山喜一郎先生、理事長の坂本篤裕先生、学長の弦間昭彦先生をお迎えして、栗山純一先生の司会で和気あいあいに開かれました。同窓会からは、今年度から会長が渋谷哲男先生に代わられたことなどが紹介され、理事長からは、本院の新病院の全面開院後の経営情況が今迄にない程、好転しつつあるとの説明を受け、一同安堵と歓喜に包まれました。学長からは、学費の減額により学生のクオリティの向上も見込まれ、嘗ての名門の栄誉が回復してくるであろうという話でした。お二人の話から、我らが日医の将来は明るいと確信致しました。
また今回の春の叙勲に際して、前支部長の五十嶋一成先生が瑞宝双光章の受章の栄誉を受けての御挨拶と、花束の贈呈がありました。
吉田光順先生の乾杯の発声で、北区同窓生の和やかな近況報告が続き、楽しい一時を過ごし、坂口文雄先生の中締めでお開きとなりました。
御参加の先生は、皆川彰(S35)高木繁(S39)吉田光順(S46)五十嶋一成(S48)加藤隆司(S50)滝沢英夫(S50)滝沢優子(S50)小湊秀久(S51)坂口文雄(S53)金子清志(S55)井原ちひろ(S57)栗山純一(S58)代田利明(S55)奥田武志(S63)大久保隆志(H1)小平祐造(H1)小野瀬裕之(H2)でした。
(加藤 隆司 記)
山形県支部総会
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平成30年7月7日(土)午後4時より日本医科大学同窓会橘桜会山形県支部第57回定期総会が大塚茂の司会で東根市温泉町のよし田川別館に於いて開催されました。
はじめに校歌斉唱を行いました。続いて協議に入りました。事務局が平成29年度事業及び決算報告を行い、鎌塚栄一郎先生、藤田信輔先生より監査報告がなされ承認されました。次いで平成30年度事業計画及び予算(案)について協議がなされ満場一致で議決されました。次に日本医科大学同窓会橘桜会山形県支部定期総会の次回開催地については後日決定の上報告、開催日については平成31年7月6日(土)予定となりました。
ご来賓の先生方よりご祝辞を賜りました。日本医科大学同窓会第13代会長渋谷哲男先生からは、今は懐かしい飯田橋の日本医科大学付属第一病院に居られたことなど自己紹介頂きました。新役員一致協力して活動を続けて行くことお話しになり、年6回発行する同窓会報はカラー印刷、透明な封筒に学校法人日本医科大学広報誌One Healthを同封して届けられること、そして紙面の充実を図って行くことなど話されました。会費納入率の更なる向上に努められるなどもお話されました。
学校法人日本医科大学理事長坂本篤裕先生は、今年も山形に来れて良かったと話され、昨年度日本医科大学付属病院新病院棟が完成した事、広報誌One Healthを発行した事、武蔵小杉病院、多摩永山病院のこれからの事、また日本医科大学看護専門学校が97周年を迎えたことを話され、寄付についても少し触れられました。また何よりも基本3方針のもと、付属病院が大きく黒字に転換した事、借入金の大幅な削減が出来たこと、財政安定化、健全経営状況を力強く話されました。特別ご招待でご参加頂いた解剖学・神経生物学分野大学院教授小澤一史先生からは、今年の国家試験の成績は不良であったが、今後は入学試験の前期・後期での実施、学費の値下げなどがその成績向上に繋がっていくことを話されました。理事長のアクティビティーを見て取る事が出来る状況、その発展を見て取る事が出来る状況の中、今大学は理事長を中心として、未だ無い頂をみんなの力で見よう、実現しようと動いていると話されました。続いて、日本医科大学大学院医学研究科眼科学分野大学院教授、高橋浩先生より「身近な眼の成人病」と題して思い出に残る素晴らしい内容で大変解りやすいご講演をして頂きました。質疑応答もなされ盛り上がりました。また先生は、現在大学では一生懸命やる事が当たり前となって大学全体の状況も変わり入局者が増えて来ていることも話されました。
総会を無事終えて記念撮影を行いました。
宴会場に移動し副支部長仁科盛之先生の乾杯のご発声で懇親会が始まりました。総勢20名での懇親会となりました。山形の酒、山形の米、山形の料理を堪能していただき、和やかな雰囲気が宴会場いっぱいに満ち溢れたころ、参会の先生方お一人お一人に近況報告、思い出の話等お話して頂き盛り上がりました。更に同窓会長、理事長、教授を囲んで話は尽きず大変な盛り上がりようでありました。たいへん有意義なこの非常に楽しい時間は、あっという間に経過して、常任理事で評議員の江口儀太先生に中締めの挨拶を頂き、会は大盛況の内に閉会となりました。
坂本篤裕理事長には新幹線で、高橋浩教授には飛行機で日帰りして頂きました。渋谷哲男同窓会長、小澤一史教授にはお泊り頂き山形の温泉も堪能して頂きました。
(大塚茂 記)
昭和53年卒クラス会
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―卒後40周年―
7月15日(日)帝国ホテルで、昭和53年卒、卒後40周年のクラス会が開催されました。ついに私達は、卒後40年もたっているのかと感無量でした。毎年、坪井先生が全員に連絡をして下さって感謝です。遠方から参加した先生も多く、昔の学生時代にタイムスリップして、とても楽しい時間を過ごしました。さすがに卒後40周年となると、いくつもの病院の理事長や名誉院長になって活躍をしている人がいれば、まだ可愛い1歳の子供がいる人など、人には様々な人生があるのだと感じました。日本医師会でご活躍の釜萢先生は、同級生一同の自慢です。村澤先生は5年前に膵臓癌の手術をして、命の大切さを話されました。またクラスで一番元気だった野手先生が、頚椎の手術をしたことも驚きました。坪井先生には、今後も毎年クラス会をして欲しいと何人かの先生がお願いしていました。
出席者は、有高、井伊、家所、石原島、井野、井上、釜萢、神戸、汲田、呉橋、坂口、真田、菅原、竹下、土屋、角田、坪井、津村、富安、野手、野村、畑、羽鳥、比賀、星野ご夫妻、本田、前田(美穂)、孫田、増島、宮下、村澤、八木ご夫妻、山口、吉田の36名でした。
(畑 三恵子 記)
埼玉県支部総会
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平成30年7月28日、パレスホテル大宮で、同窓会長 渋谷哲男先生、日本医科大学理事長 坂本篤裕先生、教務部長 杉原仁先生を来賓にお迎えして、支部会員28名が出席して、今年度の総会が開催されました。
総会に先立ちまして、物故会員、大川共一(昭和28年卒)、鈴木忠雄(昭和23年卒)、米島秀夫(昭和33年卒)、田中知昭(昭和34年卒)、田中茂夫(昭和38年卒)、渡辺廣(昭和42年卒)、の先生方への黙祷を行いました。
総会は、私の司会で進行しました。初めに、関山達也先生より、会計報告がありました。続いて、羽鳥雅之支部長よりご挨拶をいただきました。
羽鳥雅之会長は、「ご来賓の先生方、渋谷哲男同窓会長には、ご出席を賜りまして、誠にありがとうございます。今年は、埼玉県から新入生が8名入学して、今日は、三上君、豊田君の2名の方に出席していただいています。講演は、塩谷先生にさいたま市民医療センターのご紹介をしていただきます。今日は、台風の中、同窓の親睦会でございますので、時間の許す限り語り合っていただきたいと思います」とご挨拶されました。
続いて、同窓会長渋谷哲男先生は、「同窓会にお招きいただきありがとうございます。今年の5月の総会において会長に選任されました。同窓会の運営は、順調に運営されています。西日本豪雨災害では、会員の災害状況を調べました。被災された先生には、同窓会としてお見舞いを差上げました。同窓会の仕事としてお伝えすることは、同窓会名簿発刊は今後4年に一度で検討しています。今年は、2年に一度の年なので、発刊します。埼玉支部は私の故郷なので、埼玉県の同窓会の先生方のご支援ご協力をお願いします」とご挨拶されました。
日本医科大学理事長坂本篤裕先生は、埼玉県同窓会にお招きの感謝を述べられた後、「昨年は、法人経営を黒字にすることができました。借入金の返済も十分にでき、過去最大の収益を上げることができました。これも同窓の先生方のご協力、職員一同が危機感を持って取り組んだお蔭と思っております。武蔵小杉病院は来年の4月に着工が決定です。多摩永山病院も新しい病院にするよう検討しています。千葉北総病院は、ドクターヘリが順調で、全国の救命救急センターの中でも黒字の経営を行っています。最後に、会員、母校のために努力していくので宜しくお願いします」とご挨拶を結ばれました。
教務部長杉原仁先生は、本学の直面している問題、医学教育の変革、カリキュラムの国際標準化、医師国家試験の情報・対策、平成31年入学試験の情報、等についてのお話をしていただきました。
続いて、さいたま市民医療センター塩谷猛副院長より「開設来年10年 更なる飛躍を目指して」についての講演がありました。病院の沿革、特徴、診療実績、手術実績、学会発表、食道がんの手術のビデオ、外科の将来像、地域連携の強化等についての分かり易く解説していただきました。
総会の後、全員での写真撮影に引き続いて、懇親会が行われました。懇親会は、関山達也先生司会で始まり、初めに金子家和先生の乾杯のご挨拶の後、会員の先生方の近況報告等の自己紹介がありました。今回は、ご招待の新入生、豊田晟大君、三上佑基君の2名の学生諸君にも出席していただきました。
ご来賓の先生、会員の先生方、新入学生諸君は、遅くまで和気藹々と意見交換をされていました。利根川洋二先生の閉会のご挨拶で、本年度支部総会は滞りなく終了いたしました。
(北濱 博之 記)
愛知・岐阜合同支部総会
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平成30年8月19日、名鉄ニューグランドホテルにて、愛知岐阜支部合同総会が開催されました。同窓会会長の渋谷哲男先生、大学理事長の坂本篤裕先生に御出席頂き、愛知支部24名、岐阜支部5名、学生会員1名、学生保護者3名の参加と大変盛況な会となりました。遠方から来られる先生のご負担軽減を考え、昨年から開始時間を早め午前10時30分からの開催となっています。
総会は愛知支部長、松下克己先生(S49卒)、岐阜支部長、中根康雄先生(S42卒)の挨拶で始まり愛知支部、次いで岐阜支部の会計、監査、庶務の報告が行われ、共に全員一致で承認されました。
次いで御来賓の挨拶となり、渋谷先生、坂本先生から大学の現状説明、財政、国家試験対策などお話をたいへん興味深く聞かせて頂きました。ある予備校の資料では今年の受験者数は右肩上がりで、前年比1・16倍、前々年比1・75倍の伸びとなっています。新病院完成、学納金引き下げ、特待生枠拡大など魅力ある材料がそろい来年はさらに人気が高まりそうです。
学術講演は神経内科の石渡明子先生に「認知症は予防できるのか?―生活習慣病から認知症を考える―」の演題でご講演頂きました。血糖値変動、インスリン抵抗性、心房細動による認知症リスク上昇など大変わかりやすくお話頂きありがとうございます。同世代くらいの先生の御活躍する姿を見るのは喜ばしく、眩しくさえ感じました。
予定通り13時過ぎ集合写真を撮り終え、懇親会は、乾杯の後に校歌斉唱をおこない始まりました。堀尾豊先生の小咄には今年も笑わせて頂きました。伊佐治文朗先生のマジックショーは何度拝見してもタネや仕掛けが解らず素晴らしかったです。
久しぶりにお会いする諸先輩方と歓談していると時間もいつの間にか過ぎ去り、15時30分閉会となりました。
来年は医学会総会に合わせ、名古屋で大きな規模の同窓会が開催されると聞きました。皆様にお目にかかるのをお楽しみにしております。
福島県支部総会
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9月2日福島県郡山市の郡山ビューホテルアネックスで恒例の日本医大同窓会福島県支部総会が開かれました。会場はここ数年同じ場所です。
12時半から坪井永保支部長の進行で副支部長、地区幹事などの幹事会を開き、ここ1年間の県内同窓の様子を話し合い、そして総会の打ち合わせをしました。
総会には大学から坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長、山下精彦常務理事が、また、同窓会から新会長の渋谷哲男先生がおいでくださりました。
昨年亡くなった志賀柳一先生に黙とうした後、支部長があいさつされ、出席された同窓会評議員会の様子が報告されました。越野立夫先生がおやめになり渋谷哲男先生が新同窓会長に選ばれた、と報告され、新執行部の役員が掲載された同窓会報のカラーコピーが配られました。
議事では庶務事項、会計、幹事会などの報告がなされたあとおいでくださった来賓の各先生方がご挨拶されたあと、消化器外科部長の吉田寛教授から「肝硬変の合併症対策」と題した先生の専門の話を拝聴しました。学問的な話の中に出身の石川県輪島の話や小学生の時から大学での相撲の話、多摩永山病院での話がちりばめられており、先生のおチャメな部分を垣間見た感じがして同窓とはいえ大学の教授なのに偉そうにはしない先生なのだな、と身近な感じを受けました。
出席者全員での記念撮影後大きな楕円形のテーブルを囲んで大学の様子や昔話に花が咲きました。筆者の席は坂本理事長の隣でした。これはいい機会だと思い、理事長は大変なんじゃないか、などぶしつけな質問をしましたが、筆者が第二外科にいたときに麻酔科に半年研修させてもらっていましたので、近しい感じを持っていたせいでした。
さらに、新同窓会長は第二外科の先輩で、教室時代には後輩の不手際をはっきり指摘、しかりながらも暖かく見守ってくださる先生です。
理事長や同窓会長に筆者が大学時代にお世話になった先生がたが就任され、これからの日本医大を導かれるのか、と感慨深いものを感じた同窓会支部会でした。
(昭和57年秋卒 三宅 弘章)
栃木県支部総会
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平成30年9月29日(土)、ホテル・サンルート佐野におきまして、同総会栃木県支部総会を開催いたしました。
本年度は、来賓として同窓会副会長内山喜一郎先生、大学理事長坂本篤裕先生にご臨席頂き、例年の如く大学および同窓会の近況につきお話しをいただきました。
今年度の出席会員は写真の如く総勢14名で、それぞれ各自の近況報告などを語り予定の2時間はあっという間に終宴の時刻となってしまいました。
翌日に予定されていたゴルフ親睦会は、折りからの台風24号(猛烈な台風で甚大な被害がでました)接近の報により、残念ながら中止と相成りました。
尚、今年度から前支部長田代勝久先生にかわり私、田中豊治(昭50年卒)が新支部長となりました。
よんいち会
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―昭和41年卒業クラス会―
平成30年10月6日、京都ホテルオークラにて開催されました。
本会は隔年で行われていますが、ここ数年は東京での開催が続いたため東京を離れて秋の京都での開催となりました。
台風の影響で交通状況が懸念される中、開会予定の6時には全員集合し出席者は同伴夫人を含めて26名となり盛会となりました。
集合写真撮影の後、前会以降に亡くなられた高橋厚君、宗像純司君への御冥福を祈っての黙祷が捧げられました。
小島茂嘉君の再会を喜ぶ乾杯の挨拶に始まり、京料理の会食、歓談となりました。出席者の近況報告では共通の関心事である日々の生活、仕事、健康、家族の事などが報告され、また今回の欠席者の消息についても情報交換が行われました。
次いで今年と2年前に叙勲された吉田延君、山本紘世君の挨拶が行われました。よんいち会から2人もの叙勲者が輩出されたことは同級生にとって大変嬉しい事であり、両君は出席者からの祝福を受けました。
3時間ほどで閉会となり、その後ホテル17階のラウンジでの二次会では京都の夜景を眺めながらの談笑を楽しみました。
翌日はバスを仕立ての観光で、醍醐寺拝観と澤野道玄氏が修復を手がけた国宝 唐門の自身による解説と案内、真珠庵拝観の後京料理を代表する料亭 なかむらでの丁重なもてなしで一子相伝の京料理を堪能して解散となりました。
出席者は青木夫妻、飯島、江帾夫妻、清川、小島夫妻、琴寄、沢江夫妻、清野夫妻、竹内、中田夫妻、比企、細田、森、矢野、山中、山本夫妻、吉田、吉野 以上。
次回は森君の幹事で東京での開催予定です。
(幹事 江帾・青木 記)