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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第419号より|日本医科大学同窓会 橘桜会

支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第419号より

61会同窓会

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令和2年2月15日、帝国ホテルにおいて昭和61年卒の同窓会が開催されました。来賓に同窓会長の渋谷哲男先生、理事長の坂本篤裕先生、学長の弦間昭彦先生をお迎えし総勢55名がこの会に参加いたしました。

吉野君の開会の辞で開宴し、まずは物故者への黙とうを捧げました。ご来賓の挨拶として渋谷会長より心温まるお祝いの言葉を頂戴しました。次に坂本理事長からは、付属病院の現状と武蔵小杉病院、多摩永山病院の今後の展望などもお話しいただき大きく進化していく学校法人日本医科大学を実感できました。さらに弦間学長からは本学の学生教育の改革、研究分野での充実についてスライドを交えお話しいただきましたが、最後には卒年(弦間学長は昭58年卒)が近い我々との学生時代の想い出についても懐かしそうに語って 頂きました。

続いて付属病院病院長の汲田君が挨拶しましたが、普段の病院長の立場とは打って変わった学生時代そのままの軽妙な話に一同大笑いしながら乾杯の発声を上げました。

懐かしい顔ぶれに各々、旧交を温め楽しい時間が過ぎていきました。途中に谷口君による、前回2年前に行われた松山での故郷同窓会報告のスライド供覧や、この日のために最遠方からわざわざ帰国、出席してくれた米国コロンビア大学教授の山田君の挨拶もあり大いに盛り上がった同窓会でした。

付属病院副院長の吉田君による中締め後も興奮冷めやらぬまま大勢が2次会、3次会に突入し昔話に花を咲かせ再会を誓い合いました。

61会同窓会は2年毎の同窓会開催を考えており東京都内と故郷同窓会を交互に行う予定です。次回は令和4年に金沢で行うことが決定しています。

(記:渡 潤)

昭和62年卒業クラス会

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昭和62年卒業クラス会を、令和2年2月15日に品川プリンスホテルで行いました。同日は、1つ上の学年である昭和61年卒業のクラス会が帝国ホテルで開催されており、日本医科大学理事長、学長、付属病院長などの大学関係者をお招きすることが出来ずに残念でした。

最初に、昨年逝去された上平博司先生に黙祷を行ったのち、参加された先生方の近況をお話し頂きました。また、多摩永山病院を除いて、他の3病院で勤務されている先生より、病院の現況のご報告もありました。

卒後32年経ちましたが、計45名の先生のご参加を頂き、学生時代の思い出等、楽しい時間を過ごせました。

参加者(敬称略)青山、秋元、飯田、池崎、池田、石橋、臼杵、内田、江川、大島、柏木、川上、北村、来馬、小林匡、金、斉藤仁子、佐々木、佐藤純彦、佐藤直樹、佐野、千賀、竹内正樹、竹内正人、土居大祐、土居寿子、中沢、中村道郎、野村、藤岡、古田、星野、松井、三島、水谷、南、武藤、師田、八島、山口、山崎昌子、山崎峰雄、山田浩一、横山、吉田

(文責:大島)

診誠会(昭31卒)(会員の米寿を祝う会)

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診誠会(昭31)は平成18年に卒後五十年の記念会を行った後、しばらく途絶えていましたが、平成23年に再開し、それ以後毎年、霞ヶ関ビルのレストラン・ケヤキで集まりを続けてきました。

しかし令和元年に卒後六十三年を経て、その上今年度は会員全員が米寿を迎えるためそれを記念し11月7日に同所で米寿の会を開きました。

会員は全員が高年齢のため家族の同伴者をまじえての参加を促しましたが、さすがに遠方からの参集は難しく会員9名、同伴者3名を加えて開催することが出来ました。

会は短い時間ではありましたが、懐かしかった学生時代の思い出話、参加者の現況報告などをはじめ、更には子供の利き手と親の躾けの関係などの話や、各自の生まれた時代や幼少期のエピソードまで、飛び出し、最後には後期高齢者のレッテルを貼られた者たちにとってはどうしても健康の不安を訴える事が多くなってきたとの話題に傾く反面、今後の生活設計についての明るい話も多く聞くことが出来、全員が和気藹々の内に楽しいひとときを過ごす事ができました。

最後に会員のご健康を祈ると共に、母校日本医科大学の益々の発展を祈念して会を終える事ができました。

参加者(後列左より)伊藤良夫、熊木敏郎、原口亨、高橋錬二郎、金子家和、本田光芳、野呂忠夫、
(前列左より)阿部恒保、結城千草、高橋君夫人、本田君夫人、野呂家内

(野呂忠夫 記)

鳳凰会(昭40卒)

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令和元年の鳳凰会総会・懇親会は令和元年11月3日(日)午後0:15~横浜の「華正樓」本店で行われました。中華街のメイン通りにあり、観光客でごったがえしていますが、店内は豪華にして静寂、ゆったりと落ち着いた会場です。

ご来賓は本学同窓会長渋谷哲男先生(45年卒)。出席は奥様を含め18名です。

代表の町田が開会の辞とご来賓の紹介、主催者の塩原和夫君が挨拶に続き、この1年に他界された4人の友に黙祷を捧げました。現在の会員数は57名です。

渋谷会長のご挨拶は・令和2年1月の新年会でJAXAのproject manager川口淳一郎教授が小惑星探査機「はやぶさ1号」の講演をされる、ご来席を。・会員名簿をwebに変更する方針。・坂本篤裕理事長、弦間昭彦学長の積極的な取り組みにより法人の借財が減少、本学への受験者数は飛躍的に伸びた。・武蔵小杉病院は令和3年に完成予定、寄付をお願いしたい。・同窓会員クリニックへの代診のシステム化を、企画部で検討開始。等々を話されました。

乾杯は本間達志君。今回は4名の友への献杯でした。

待望の食事は「華正樓」ならではの中国料理が次々に現れます。手の込んだ、これ以上は望めない美味を堪能しました。近況報告は奥様を含む全員で。日常の生活や仕事、健康維持方法、1病息災の話がいつも通り続きます。体調不全を述べるにしては、皆さん健啖家ではつらつとしています。記念写真では皆、生気満々。

クラス代表の選出で、クラス代表には塩原和夫君(大学同窓会では予備評議員)、副代表には杉浦和朗君(大学では評議員)を、無理を承知でお願いし、決定しました。

(町田利正 記)

北多摩支部総会

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令和元年11月9日(土)、日本医科大学同窓会北多摩支部総会が新宿京王プラザホテルにて開催されました。北多摩支部には200名を超える会員があるもののその領域は広く、東西方向での患者紹介の核となっていた飯田橋付属第1病院が平成の始めに閉院し、南北方向での交通の便の悪さもあり、この10年ほど総会開催が途絶えていました。しかしこの度、中島米治郎(S48)支部長件橘桜会監事と柏木哲也(H3)橘桜会常任理事のご尽力により開催する事が出来ました。総会では新役員の選出は現執行部に一任され、支部長に柏木哲也先生、支部評議員に田中功一(H5)先生、予備評議員に伊藤敬雄(H3)先生、椎名盟子(H3)先生が後日新らたに選任されました。記念講演では榊原記念病院特任副院長 東京都CCU連絡協議会会長高山守正先生(S52)より「全東京の心血管救急で市民を護る~東京都CCUネットワークの実績とその運用~」をお話し頂きました。都内で心血管障害にて倒れた場合は「CCUネットワークにお願いします。」で、救命率は高く、高山先生を始め日本医科大学旧第一内科の先輩先生方のご尽力に、改めて頭が下ります。懇親会は最年長松村英幸先生(S48)の乾杯で幕をあけ、和気藹々と晩秋の夜を楽しく過ごしました。

出席者は(敬称略)中島米治郎(S48)、松村英幸(S48)、高山守正(S52)、近江禎子(S56)、黒沢純夫(S59)、宮本昌之(S61)、柏木睦美(S62)、柏木哲也(H3)、伊藤敬雄(H3)、椎名盟子(H3)、有井一正(H4)、田中功一(H5)、奥村純子(H8)、神谷信雄(H10)

(文責 黒沢純夫)

川崎支部・武蔵小杉支部合同支部総会

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令和元年11月16日武蔵小杉病院第一会議室内で支部総会が開催された。吉松副支部長の司会の下、諌山支部会長の挨拶の後、物故者加藤剛志先生(S40年卒)の黙祷に続き平成30年度事業報告、会計報告があった。

引き続き、病院内南館講堂において武蔵小杉病院支部との合同総会を開催した。

諌山先生の開会挨拶では、ラグビー部出身の先生らしく、ワンチーム(ONE TEAM)にちなんで、チーム日医の必要性、重要性の話があった。坂本理事長からは日医の現況が報告され、千駄木の経営の順調さ、大学の研究の充実等の話に続き新武蔵小杉病院の建設状況の報告があった。この10月に発生した台風19号の影響で多摩川の越水こそなかったが、この地域にも浸水、冠水被害があった。大学病院も直接の被害はなかったものの冠水の恐れがあったそうで、新病院では地下電源の見直しに加え、コンクリートのかさ上げで災害に強いばかりか災害拠点としての役割を果たせるべく生まれ変わるそうで、2年後を待ち遠しく思う。同窓会小平常任理事より紙媒体からメールアドレスの導入による利便性、問題点をお聞きした。健康管理科の塚田先生からは、健康診断、海外渡航ワクチン接種の事業拡大、消化器外科の谷合部長からは肝臓癌の治療の現状、未来像として腹腔鏡手術からダビンチ手術への展望について、最新医療の熱い思いをうかがうことができた。

その後懇親会が催され、会員の先生の親睦がはかられ、チーム日医の会も閉会となった。

(文責 山口)

山梨県支部総会

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令和元年11月16日(土)に、ホテル談露館(甲府)にて山梨県支部総会を開催しました。

今回は、山梨県内で勤務している同窓生または山梨県に縁のある同窓生と、同窓会本部から五十嵐健人常任理事・大学本部から弦間昭彦学長に臨席を賜って開催されました。

会は、吉川英雄山梨県支部長挨拶に始まり、続いて今回欠席された会員の情報や訃報の知らせがされた後、学長による付属4病院の現状と研究等大学の業績・多角的見地からの大学評価や大学入試・教育などについての講話がされました。続いて、武蔵小杉病院副院長の松田潔・千葉北総病院内分泌内科講師の岡島史宜の両先生から、台風上陸時における両病院の対応・対処の話や武蔵小杉病院建設に関連した話などをいただきました。総会は午後6時に開会、出席者全員が様々な話題提供をすることで会は盛り上がりつつ午後8時に閉会となりました。

〈写真〉前列左から 田辺陽一(S38)、薬袋正雄(S33)、弦間昭彦 学長、吉川英雄(S46)、松山謙(S50)、
後列左から 井出勝彦(H1)、高橋弘(S50)、松田潔(S60)、五十嵐健人 同窓会常任理事、弦間和仁(S61)、岡島史宜(H10)

(弦間和仁 記)

九州・沖縄合同支部総会

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去る、令和元年11月16日(土)、佐賀県担当で日本医大九州ブロック同窓会を開催しました。この九州ブロック同窓会は1年に1度、九州各県持ち回りで行われる九州医学会の時に開催しています。今年は佐賀県が九州医学会の担当県でした。同窓会本部からは渋谷同窓会長と前理事の楠本先生に出席していただき、総勢12名の参加者で佐賀市内の料亭、楊柳亭で開催しました。渋谷同窓会長から大学の近況、同窓会の近況をご報告いただき、また参加者からは各県の同窓会への要望をお聞きいただきました。特に九州各県は同窓の人数が年々減少しており、何とか県の枠を設けては貰えないかとの要望が多く聞かれました。会は1年に1度しか会えない会員同士でよもやま話に花が咲き、渋谷同窓会長、楠本前理事を囲みながら盛会のうちに宵が更けて行きました。

佐賀県支部長 金武良弘

長野県支部総会

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令和元年11月30日(土)
午後四時半から
於 すき楼(長野市)
参加 14名

だいぶ寒さが厳しくなり周辺の山々に雪が積もり始めた11月30日に、同窓会長野県支部総会・懇親会が長野市の「すき楼」で開かれました。参加は14名で、長野市や上田、飯田、松本県内各地から先生方にお集まりいただきました。また同窓会本部より同窓会会長渋谷哲男先生、同窓会副会長・学校法人日本医科大学理事清野精彦先生にご参加いただき、総勢16名で和やかに開かれました。

高木清先生(S61年卒)の司会進行で会が始まりました。まずは渋谷会長から、ご挨拶をいただきました。今年は長野にも台風19号による大きな自然災害がありましたが、長野の同窓の先生方の施設には被害がなく幸いでありました。現在同窓会では、WEBによる名簿管理の導入を予定しており、これに伴い紙による名簿の発行は基本的に行わなくなるためご協力をお願いします。また同窓会では、一時的に診療が困難になった背先生へのサポートするシステムを企画しています。また令和2年の同窓会新年会では、JAXAの川口先生に講演をお願いし、帝国ホテルで開きますので、ぜひ多数の方のご参加をお願いします。引き続き清野副会長より、大学の現況と病院の現状をご説明いただきました。坂本理事長就任から2年以上が経過し、昨年の報告よりさらに今年度の病院運営は順調に進んでいて借入金の返済も順調であり、付属病院がグランドオープンしてからますます経営状況は改善傾向です。また学事では、弦間学長のご努力により入学者の質が向上し、文科省科科研費が増加し、論文の数や質も向上し、研究環境も順調に改善されています。以上ご来賓の先生方にご挨拶をいただいた後、支部長の私から会計報告させていただき、ご了承いただきました。次に、支部長交代について会員の皆様にご了承いただきました。次期支部長は、昭和61年卒岡谷市で耳鼻科の小口医院を開業されている、小口直彦先生に決まりました。今後のご活躍を祈念しています。最後に本年6月にご逝去された蟹江孝之先生に黙とうを捧げました。最年長の小島直彦先生(S34年卒)に乾杯の労をとっていただき、待ちに待った懇親会が始まりました。皆様1人ずつ近況報告などしていただき、楽しく談笑していると、あっという間に時間が過ぎ、渋谷同窓会長、清野副会長の帰る時間となり、全員で校歌斉唱を行い、来年の再開を誓いながら会は閉会となりました。

(長野県支部長 田中昌彦 S59年卒)