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支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第441号より|日本医科大学同窓会 橘桜会

支部・クラス会だより “北から南から” 同窓会報第441号より

長野県支部総会

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 師走とは思えない暖かな12月16日(土)に、4年ぶりとなる長野県支部総会が催されました。かつて長野県支部は、信濃の国の枕詞に因み「みすゞ会」と呼ばれていたそうです。長きに渡り同窓生に引き継がれてきたこの会を再び開くことができました。田中昌彦先生や高木清先生が是非美味しいものを食べようと、ふぐ料理の「一喜宇」を手配して下さいました。

 来賓として、渋谷哲男同窓会長、清野精彦同窓会副会長と弦間昭彦学長が年末のお忙しいなか出席して下さいました。校歌斉唱の後、渋谷会長から現在の同窓会の課題として法人化と大学創立150周年の説明がありました。次に弦間学長から、学生教育の成果や今後の大学の展望についてスライドを使ったお話があり力強い躍動を覚えました。その後、この4年間にご逝去された先生方に黙祷を捧げ支部総会は終了となりました。

 飯島紘栄先生の乾杯の音頭で懇親会が始まり、各々の近況を報告しつつ盃を重ねました。ふぐちりとひれ酒の酔いも手伝い、千駄木での想い出話が尽きないままお開きの時間となりました。清野副会長からまたの再会を期してのお言葉をいただき散会となりました。

 尚、準備をしていただきました高木清先生はご都合により参加できませんでした。改めて感謝申し上げます。

 (小口直彦 記)

 (参加者 敬称略)

 飯島紘栄(S41)、中川真(S44)、池田正憲(S47)、岡野和弘(S48)、沖浜裕司(S51)、山口裕通(S56)、野村忠利(S58)、田中昌彦(S59)、小口直彦(S61)、小野靖(H1)、小野和美(H1)

日本医科大学駒東会

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 日本医科大学駒東会を、11月25日に帝国ホテル「舞の間」にて開催いたしましたのでご報告をさせていただきます。

 日本医科大学駒東会(日医駒東会)は、駒場東邦高校出身で日本医科大学の卒業生、教職員および学生の133名によって構成されております。

 日本医大昭和41年卒で高校1回生の南嘉輝先生を最年長として、各学年に会員がおり、2009年からは定期的に開催されていましたが、コロナ禍により2019年以降の開催は残念ながら見送られておりました。

 今回は、長きにわたり幹事役をお務めいただいている千葉北総病院消化器外科病院教授の渡辺昌則先生(22回生)の再びのご尽力により5年ぶりの開催となりました。私を含め5年生以下の現役学生にとっては初参加となりましたが、先輩方が温かく迎えてくださり、同窓の良さをあらためて感じることができました。

 開会は南和文先生(10回生)のご挨拶と、日医駒東会の歴史や同窓の先生方のご活躍に関するお話で始まり、一気に会場が盛り上がりました。ご来賓の挨拶として駒場東邦中・高校長の小家一彦先生より、母校の近況報告を頂きました。

 耳鼻咽喉科学大学院教授大久保公裕先生(19回生)からは、大学の近況報告と学生への激励のお言葉を頂き、身の引き締まる思いでした。前精神医学大学院教授で現在名誉教授と大学理事の要職にあられる大久保善朗先生(15回生)、前東京医科歯科大学救急災害医学分野教授で本年4月より国立病院機構災害医療センター院長の大友康裕先生(19回生)のお二人からは、大学に残って研究や診療を続けることの醍醐味を伺いました。また数学者としてご活躍の東京理科大学副学長・元本学数学科助教授秋山仁先生(6回生)は、本会設立当時のお話と日本医大卒業生の各方面でのご活躍を称賛されました。

 岩瀬和泉先生(11回生)より乾杯のご発声をいただき、歓談となりました。引き続き恩師とOBの先生方からはご挨拶を、学生は自己紹介で盛り上がり時間を忘れる中、西恵吾先生(11回生)より中締めのご挨拶をいただきました。

 最後は参加者全員で円陣を組んで駒東校歌を、帝国ホテルでは少々はばかられる大きな声で斉唱し、お開きとなりました。

 現在はそれぞれ別の世界でご活躍されている、中学から大学までの12年間同窓の皆様と、上下の分け隔てもなくお話をできる機会はとても貴重な時間でした。これからもこの集まりを通して培った中学、高校そして日本医大への母校愛を以って、益々頑張っていきたいと強く感じる日医駒東会でした。

 参加者(敬称略)

 秋山仁、南和文、岩瀬和泉、西恵吾、大久保善朗、中村洋、大久保公裕、大友康裕、渡辺昌則、小原邦彦、松下晃、佐々木孝、廣本敦之、細矢慶、藪野雄大、菊池友太、田邊智英、原田潤一郎、春名孝洋、渥美裕太、三澤一仁、坂本裕輔、井上諒祐、笠谷峻、中村広一、間光司、伊東謙、山形怜史、山田功太、金俊野、八木智也、栗原一瑛、中里正貴、宮田隆宏、森藤大介、新谷雄太郎、榊原脩太郎、名取啓、髙田慎太郎、瀬尾柚貴、池田悠太、小池弘一郎、大野健吾、渡邉晋ノ介、太田昌明

 4年 髙田慎太郎

平成2年卒業生クラス会

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 令和5年11月25日(土)、帝国ホテル「雅・錦の間」に於いて、平成2年卒業生クラス会が開催されました。平成26年1月30日の卒後25周年記念クラス会ではオリンピック・イヤーの定期的な同窓会開催を決めたのですが、コロナ禍で延期になっていました。9年ぶり4回目のクラス会に、北は北海道から南は福岡まで全国から46名のクラスメイトが集いました。

 まずは、日本医科大学同窓会常任理事の五十嵐健人君から日本医科大学同窓会の法人化と日本医科大学創立150周年記念の会のお話、同窓会グッズの宣伝ののち、乾杯のご発声をいただきました。そして参加者の近況報告。大学に残っている者は数人となりましたが、皆各地でご活躍の様子です。特別ゲスト臼田道成君(http://www.michinariusuda.com)は2年生まで本学で一緒に学んだ歌手。ボラーレなど4曲ご披露いただき、その歌声とギターに大喝采でした。

 最後には、幹事の宮内靖史君のスマホで東京在住バイアス付きルーレットが回され、次回の幹事が城田・三浦・三品・中塚と決定、盛会のうちにお開きとなりました。

(三品雅洋 記)

昭和60年卒業クラス会

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 2023年11月25日(土)に昭和60年卒業生のクラス会を開催しました。我々のクラス会は、昭和54年に一緒に入学したが卒業が遅れた者も正式会員としています。新型コロナ感染が5類感染症となり、対面のパーティーが認められつつある社会状況ではありますが、まだ地方からパーティー参加のために上京するのは難しいという声もあったことから、3年続きのオンラインでの開催となりました。参加者は15名でした。

 「フレイル予防の新たな選択肢〜短期集中予防サービスの活用〜」と題して、やわたメディカルセンター理事長の勝木保夫先生の学術講演を拝聴しました。近年、高齢者のフレイル(心身の機能低下)が大きな社会問題になっています。フレイルが進行すれば要介護者に陥ってしまうことから、フレイルを予防することが健康寿命を延ばし要介護者を減らすことにつながります。講演では、石川県小松市で勝木先生を中心にフレイル予防のために展開している「短期集中予防サービス」が供覧されました。行政とも連携しながら採算度外視で地域医療・福祉にかかわるという勝木君の努力に頭が下がるとともに、同級生として誇らしい思いを抱きました。

 学術講演の前後の2度にわたって、PCの画面越しに参加者最年長の相原君の音頭で乾杯をあげました。それから順番に近況報告を行いました。

 相原君が鼠経ヘルニアに、宇野君が急性心筋梗塞になった経験を話され、患者の体を心配する前に自分の体を心配しなければならない年代になったと痛感しました。同窓会理事の丸山君は、沼津市救急センターの当番医として勤務しながらの参加で忙しそうでした。一方、飯盛君、林久太佳君、師田君は居酒屋に集まって3人で飲みながらの参加で、他の参加者はうらやましく眺めるばかりでした。同窓会理事の坪井君からは、地方での同窓会員減少のため、複数の日本医大同窓会支部が合同して会合を開く動きがあると報告されました。

 新型コロナ感染による同級生の訃報は聞かないで済みました。来年こそ対面で酒を酌み交わせるクラス会にしようという事から、次回は新谷君を幹事として2024年11月ごろに都内で開催し対面再会することを約して、Zoomを退室しました。

 参加者は以下の通りです。相原康孝、飯盛仁志、宇野嘉弘、勝木保夫、新谷英滋、坪井永保、中石仁、林久太佳、林毅陸、福田達弥、藤本和久、松田潔、丸山和男、三浦雅博、師田哲郎(アイウエオ順)

 (松田記)

山梨県支部総会

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 令和5年11月18日(土)に同窓会長渋谷哲男先生、理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生をお招きして、甲府市内のホテル談露館にて日本医科大学同窓会山梨県支部総会が開催されました。今年度は、足立好司先生と福冨崇浩先生が初参加されました。

 支部長吉川英雄先生の開会の辞に続いて、高橋常和先生の乾杯の御発声と共に支部総会が始まりました。最初に渋谷哲男先生から、創立150周年記念事業などのお話をしていただきました。次に坂本篤裕先生から、大学の財務状況が次年度黒字化する見込みであること、総合大学化に向けた看護学科創設などのお話がありました。続いて弦間昭彦先生より、日本医科大学から世界に通用する医師を輩出するための様々な革新的教育プランなどのお話をしていただきました。どのお話も、母校の輝かしい歴史に基づいた今後の発展を実感出来る素晴らしい内容でした。

 その後、食事を摂りながら近況報告などの歓談となり、大いに盛り上がりました。

 参加者(敬称略卒年):高橋常和(S30)、吉川英雄(S46)、高橋弘(S50)、松山謙(S50)、武井茂樹(S53)、若杉正清(S58)、露木弘光(S58)、足立好司(S60)、松田潔(S60)、

 内藤久也(S63)、岡島史宜(H10)、福冨崇浩(H23)、井出勝彦(H元)。

 (記 井出勝彦)

ヨット部創立50周年記念パーティーに寄せて

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 ヨット部2代主将 福田純(昭50)

 海が好きで大学入学後はヨット部に入ると決めていたが、そもそも母校にはヨット部がなかった。その上、私はそれまでヨットに一度も乗ったことがなかった。そこで一年生の夏休み、琵琶湖のとあるヨット合宿に参加。ヨット帆走の基礎技能・帆走ルール・舟の構造・気象学などを学んだ。

 2年生の時はヨットレースに出場しているクルーザー艇のクルーとして波浪注意報の中でも果敢に出廷する猛者に混じって実技を学び、海の厳しさも体験。学1(3年生)になり千駄木の学生会館で運命の出会いが待っていた。「ヨット部員募集」の掲示看板を掲げた1年先輩の篠田さんと遭遇。入れ食い状態で最初の部員になった。ヨット本体もその置き場所も資金もクラブ運営のノウハウも何もない処からの出発で、あるのは少数の部員と彼らが持つ若さと情熱だけだった。

 やっと他大学から中古のスナイプ艇を購入。日本医大ヨット同好会初練習は鎌倉材木座海岸。小雪チラつく2月、部員はたった4人だったと記憶している。少ない部員で重たい船体を担ぐには無理があると判断し、当初はスロープのある霞ケ浦を練習の拠点とした。でも部員一同、いつかは「湘南の海でヨットに乗りたい」という夢は持ち続けた。

 その後、目的に向かってアイデアを出しあい協力しあう仲間たちの合宿生活。

 これが礎となり、翌年から東医体に参加。ヨット部の活動資金集めとして夏はヨットの試乗会、冬はダンスパーティーを開催した。そんなこんなで徐々に部としての体裁が整い、初代メンバーの卒業後、東医体に優勝。全医体にも優勝という実績を積み重ね、伝統あるヨット部が築かれていった。

 ヨット部を創ってからよく遊び(部活)良く学び、非常に充実した学生生活を送った。卒後私は第一内科に入局。その後、埼玉県戸田市で開業。介護保険の始まる10年前から訪問診療を行ったのは、これから世の中の吹く風の動向を読み、他より少し舳先を前に動かす 初動の大切さ など、ヨットや部から学んだからでもある。開業医として、人を大切にする事、有機的に働いてもらう事、組織の運営など部活で学んだ事は実社会で大いに役立った。

 その後30年を経てリタイヤし、世界自然遺産の屋久島に移住。毎日、目前の海を見ながら、森林浴や自然を取り入れた予防医学の観点からの活動を試みている。

 今回50周年記念パーティーに出席し、部員とOB・OGが一体となって、皆が生き生きした笑顔に包まれているのを見て「なんて良いクラブに育ったんだろう!」と感激。部の発足当時を知るものとして「続けていて良かった」を実感。この間、他大学医学部のヨット部が消滅していったのを見聞きする中、我々の後に続いた皆の力の総合力で今の日本医大ヨット部がある事を再認識。これからも伝統校として名を馳せて欲しい、と改めて思っている。

 最後に、今は亡き初代部長角尾道夫薬理学教授と大河原孫一初代OB会長に謝辞を表すると共に、かくも盛大な50周年記念パーティーが催された事を報告したい。

 2023年霜月

 屋久島(凡母親爺;ボンボヤージ)より

 (追記:令和5年11月11日(土)、東京ドームホテルにてヨット部創部50周年記念パーティーを開催いたしました。コロナ禍のため1年延期での開催となりましたが、ヨット部のOB・OG先生方及び現役生合わせて88名にご参加いただきました。前部長尾藤博保先生、前顧問南史朗先生への謝恩会、新部長清家正博先生の主任教授就任祝賀会を併せて執り行うことができ、会は非常に盛大なものとなりました。

 (3年 ヨット部主将 森本蘭)

全員が傘寿を迎えました 昭和四二年卒 志仁会

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 令和五年三月末日をもって我々志仁会は全員が目出度く傘寿を迎えました。とは言え、卒後56年を経過する間に、会員の3分の1に当たる30名が鬼籍に入り、5名の所在安否不明者を加えると現有会員数は56名にまで減っています。

 元来、志仁会会員は学生時代から結束力が強く、歴代の学年幹事(現在は静岡県富士市の宮下正雄君)の努力もあり、卒業数年後に開始した同期会は持ち回り幹事の下で、毎年連綿と継続しておりました。しかしながら、さすがの結束力も昨今の嵐の如きコロナ禍には太刀打ち出来ず、3年間は休会の憂き目にあいましたが、流行の終息が見え始めた昨年秋には福井県の関敬信君の世話で北陸の名湯「あわら温泉」で再開しました。

 今年は全員が80歳を超える記念すべき会で、地方からの出席者の利便を考慮して「東京駅ステーションホテル宴会場」を早々と予約し、翌日はなかなか予約が取れないことで要望の多かった「迎賓館内部見学」を含む都内観光を企画しました。

 令和5年11月11日夕に開始した懇親会では十数年ぶりで出席、これが2回目の参加といった会員もおりましたが、顔を合わせた途端、一瞬にして半世紀以上前の学生時代にタイムスリップし、「ヤアヤア久し振り」と賑やかな会話が弾みました。恒例になっている各自の現況報告では「今でも体も頭も至って健康で開業医を楽しく続けている」、「節目の年に合わせ医業を引退した」とか「子供に継代したが、する事も無いのでボケ防止と健康のため少しだけ手伝っている」と言った時の顔は、先程までの青年の顔から長年の重みを加えた素晴らしいジジ、ババの顔になっていました。年齢に合わせ量は少なくとも質の良いものにグレードアップしたディナーを終え、最後に現在日本でもっとも著名な二胡奏者であるチェンミンに依頼した「傘寿記念ミニコンサート」を全員で楽しみました。

 定刻の九時はあっと言うに間に過ぎてしまい「今後、徐々に会員が減るのは仕方がないが、八十歳の日本人の平均余命である男性88歳、女性92歳を目標に健康に留意し、参加者は減っても毎年志仁会総会を開催しよう」と誓い合って散会しました。

 (文責 足立憲治)

日本医科大学卒業50周年記念クラス会(余禄会)報告

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 美しい晩秋から一気に冬の季節になりました。今はAfter coronaになりつつありますが、健康には気を引きしめなければいけない毎日です。

 さて先日の令和5年11月3日祝日文化の日に開催された帝国ホテル東京の蘭の間にての卒業50周年記念のクラス会総会も、余禄会会員のご協力で盛会裡に終えることが出来ました。会は、同伴者のご出席も多く、総計49名でありました。また12名の会員とご家族の皆様は歌舞伎座の観劇を致しました。会は、悲しい別れになった23名の物故者に哀悼の意を込めて黙祷しはじめました。乾杯の発声は、神戸の春日君にお願いし、団結の固い余禄会の話を頂きました。皆は、馬場君担当の昔の懐かしいビデオを見ながら、そして、宴たけなわの頃から出席者の新たな夢と生きがいを込めた近況報告を聞きました。宴も終盤に差し掛かり我々のクラスの余禄会の仲間だからこそ出来る、心豊かな思い出を語り合い、日頃の疲れを癒し会は大いに盛り上がりました。話のつきぬ余禄会会員は、二次会を帝国ホテルバーラウンジのアクアにて行い別れを惜しみました。次の余禄会の予定は、徳島の中西君のもとでの再会とし散会となりました。

 この団結力を誇る余禄会は『日本医科大学昭和46年卒業50周年記念誌―余禄会のあゆみー』の小冊子を、作成致しました。

 最後に我々余禄会が、卒業50周年を迎えるにあたり、日本医科大学法人より多大なご援助を頂きました事を、ここに心より感謝と御礼を申し上げます。

 昭46年卒 志村俊郎、赤上晃

日本医科大学バスケットボール部OB・OG会総会

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 この度は、2023年10月28日帝国ホテル東京にて日本医科大学バスケットボール部OB・OG会総会を開催いたしましたのでご報告いたします。

 新型コロナ感染症拡大の影響のため、創部90周年の節目の時期に記念の会を開催できずおりました。当部は今年(2023年時点)で創部92年となる長い歴史を有するクラブです。今回、久しぶりの総会開催に当たり、昭和63年卒別所竜蔵先生の千葉北総病院院長就任ならびに教授昇任祝賀会も兼ねて開催する運びとなりました。参加者は故神尾友和元OB・OG会長夫人はじめ東京近郊以外から秋田県や石川県の遠方よりも出席されました。OB・OG51名、現役部員22名でありました。

 OB・OG会長の落雅美名誉教授(昭和50年卒)の挨拶で会が始まりました。野見山哲(昭和49年卒)先生の乾杯にて開宴となり、その後参加者の近況や現役時代のエピソードなどの挨拶が披露され和やかで楽しい時間が過ぎていきました。別所先生からは病院長としての抱負やバスケットボール部長として今後の指導と期待を話され、特に、女子部の東医体優勝報告は大変盛り上がりました。当会の益々の結束と一層の発展を願い盛会に終わりました。女子部は全医体でも優勝したことも併せてご報告いたします。今後もその勢いは続き男子部も大いに活躍を期待したいです。

平成7年卒クラス会

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 令和5年10月28日パレスホテルにて平成7年卒25周年同窓会が開催されました。実際は28周年でしたが、コロナ禍もあり延期に次ぐ延期でようやく開催することができました。

 同窓会には25周年事業として認定して頂き感謝申し上げます。

 当日は62名の同窓生が北は北海道、西は岡山から参加いただきました。また坂本理事長、渋谷同窓会長にもご参加頂き誠にありがとうございました。会はまず残念ながら鬼籍に入られた同窓生、猪狩君、金子君、木村さん、矢口さんに対しての黙祷から始まりました。

 その後坂本理事長による現在の日本医大の状況をスライドでご説明いただきました。我々が医師になった頃には日本医大は借金が多くとても返済できる額ではないという認識でしたが理事長の説明では来年度にはプラスに転じるとの事、素晴らしい母校の回復力を実感いたしました。また渋谷同窓会長からは同窓会の法人化計画や今後地域での同窓会活動をご説明いただきました。母校のために我々も微力ながら支援していきたいと感じさせられました。

 会は非常に盛況で二次会、三次会と盛り上がり日付が変わる頃散会となりました。今、日本医大は力もあり我々にとっても非常に喜ばしいかぎりです。今後益々母校が発展する事を期待しております。

 今回は大学同窓会にもご支援頂き誠にありがとうございました。

川崎支部・武蔵小杉病院合同総会を開催して

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 令和5年10月22日、日本医科大学武蔵小杉病院5階大講堂にて、川崎支部総会および川崎支部・武蔵小杉病院合同総会を開催しました。

 吉松副支部長の司会により、まずは川崎支部総会にて物故者黙祷の後、事業報告、会計報告がなされ、幹事の選任を議題として議論しました。これは各支部でも同じ問題をかかえていると思いますが、新旧同窓会会員を把握し、幹事の若返りを図り、支部会を活発化する目的です。

 次に武蔵小杉病院との合同総会に移りました。同窓会長渋谷哲男先生、理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生を来賓にお迎えして、支部会員15名、武蔵小杉病院31名が出席して、総会が開催されました。私の挨拶を皮切りに、渋谷会長よりは、来る2026年4月25(日)日本医大開学150周年記念祝賀会が開催され、それに多くの同窓生が参加されることを求められるご挨拶をいただきました。次に坂本理事長からは、パワーポイントを用い、法人の堅調かつ上向きな経営がなされていること改めてお示しいただきついに黒字基調になったとの力強いお言葉をいただきました。また弦間学長より、学生教育、入試などについての取り組みについて詳細なご報告があり、世界での活躍を期待する新たな日本医大学生像が示されました。

 谷合院長のご挨拶では武蔵小杉病院の新任部長のご紹介と川崎市の医療体制の再編が予定されており、益々小杉病院の基幹病院としての重要性が増すというお話がありました。

 この日は奇しくも二子多摩川花火大会の日であり、懇親会をそうそうに、皆様屋上に移動し花火観覧に興じました。この屋上の景観も小杉病院の魅力です。ただ、夕方より天候の変化があり、屋上は北風にさらされ、予定時間より早い解散となりました。

 武蔵小杉病院のその新しさと機能性は、激変している川崎市医療情勢を担う我々支部会員にとって非常に力強く、その認識をさらに高めた総会になったことを、ご報告いたします。

 (支部長:諌山和男)

昭和49年卒 勝遊会 開催報告

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 令和5年2023・10・7東京ドームホテル42階シリウスにて昭和49卒業生を中心とした勝遊会が開催されました。会員160名からの返信も113名と多く、出席者は39名、同伴者3名でした。

 18時より幹事代表浅野君による挨拶で会が始まりました。前回は2019・5広島でしたがコロナの影響で4年ぶりの開催です。この間に9名の会員が亡くなった旨の報告の後、黙禱を捧げました。ご冥福をお祈りいたします。

 その後佐々木君の音頭による乾杯があり、御食事を開始。伊佐治同窓会監事より同窓会の活動につきお話、島田君による大学運営の話がありました。また2021、2022の山形での会が残念ながら中止延期となった件につき幹事の仁科君より経過説明がありました。その後、富士宮の安藤君、小田原の岡村君より近況報告を頂きました。

 我々は来年卒後50周年の記念すべき年になります。次期幹事を引き受けてくださった三浦、新君が最後に挨拶をされました。参加者が増えることを考え、東京を中心に場所時期を選定する予定です。

 21時に写真室に移動、到着が遅れていた京都の岡部さんも間に合いました。二次会は同じ42階会場で開かれました。今回、同日に学士会館で昭和48年卒の会が開催されていましたが、そこから5名の同窓生が参加され更に賑やかになり楽しいひと時をすごしました。

 お忙しい中、遠方から参加されました同窓生とご家族の方には心より感謝申し上げます。

 (文責太田)

昭和48年8月卒(四葉会)卒後50周年記念クラス会

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 昭和48年8月卒業のクラス会が、2023年10月7日、神保町にある伝統の学士会館にて開催されました。四葉会は、毎年その時の幹事の地元で10月頃に行われておりますがこの2年間は、新型コロナ禍の影響で中止されていました。昨年、東京で加賀一兄先生幹事の元にお茶の水の「山の上ホテル」で再開されましたが、今年は、私が幹事を仰せつかり再び東京で行われることになりました。

 今回は50周年記念の為か昨年より多く26名の参加となりました。会が始まる前のウェルカムドリンクの時から暫くぶりで会う皆さんは学生時代の話、大学時代の話、最近の話などに華を咲かせておりました。不肖私の開会の挨拶の後まず直前の9月14日、お亡くなりになった山形県の板垣眞一先生に全員で黙とうを捧げた後、楠(旧姓:村瀬)万佐子先生の会計報告を含めたご挨拶、そして加賀一兄先生の乾杯の音頭で会が始まりました。

 学士会館のシェフの腕によりをかけた最高級の数々の料理に舌鼓を打ちつつそれぞれのテーブル毎に楽しそうな話が進む中、宴もたけなわになったところで個人個人にあらためて最近の状況を話して頂きました。話はどうしても最近の体の調子や持病の話、この一年で新しく患った病気のことから、孫の成長、最近行った旅行の話など多岐に及び、仕事はまだ現役で忙しくしている人、縮小している人、悠々自適に過ごしている人、また自分のみならず、子供、孫の自慢話など、様々でしたが皆、元気そうで楽しい時間を過ごしました。

 例年と比べ今年は3時間を超える十分な時間とゆっくりと使える部屋を学士会館の方で提供してくれたこともあり、二次会の場所をあえて考える必要がなかったこと、また、同じ日に文京区の東京ドームホテルでS49年卒のクラス会が行われておりそちらに合流する先生方も多かったことなどから、本会はその後、来年の幹事を決めた後、全体の集合写真をとってお開きとなりました。

 次回は、栗山大作先生が幹事を引き受けて下さり、大阪で来年この時期に行われることとなりました。S48年卒といっても次第に参集するメンバーが少なくなっていく中、メンバーから「S48年卒」でなく、「S42年入学クラス会」にしたらどうかという意見が出ました。皆さん同感であり反対意見がなかったことからそのように進めていきたいと思っております。

 来年から、クラス会はとりあえず次の10年に向かって進む年であり、より多くのS42年入学の同級生を集めてクラス会を盛り上げていくことを誓い合って散会となりました。

 最後になりましたが、記念すべき卒後50周年となりましたこの四葉会を開催するにあたり大学から大変貴重なご援助を頂きました。坂本日本医科大学理事長、渋谷同窓会会長をはじめ関係各位に厚く御礼申し上げます。

 昭和48年8月卒 清水一雄

五輪会(昭和39年卒)

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 数十年にわたり毎年1回開催していた五輪会も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的蔓延のため令和元年5月の卒業55周年記念総会を最後に中断を余儀なくされた。COVID-19の5類感染症への移行に伴い社会生活も平常に復し、コロナワクチンの重症化予防のエビデンスも明らかとなったため、10月7日に帝国ホテルにおいて4年半ぶりに開催した。

 幹事から現在連絡がとれる会員は45名、この4年半の間の物故者が7名(門倉君、土屋(守)君、妻鳥君、松下君、勝井君、福田(誠)君、木曽君)、また、令和3年春、4年秋の叙勲で佐藤君と西脇君の両名がそれぞれ瑞宝双光章を受賞したと、報告された。

 高齢(出席者の年齢は83歳から87歳)になると予期せぬ出来事が突然起こり、会直前になり佐中君が尿管結石で入院、箕田君が脳梗塞で入院、山下君が北海道旅行中に脳梗塞で入院と、立て続けに事件が起こった。山下君は血栓溶解療法が著効し、帰京後、脳神経内科、木村教授の承諾をえて、出席することが出来た。

 宴会は、同窓会馬渕理事(故原一君長男、五輪会の準会員といっても良い)の挨拶、運良く参加できた山下君の乾杯で始まった。吉兆の懐石料理を楽しみながら、各自1分間スピーチを行った。五体満足の人間は一人もなく、自分の健康状態、老老看護などの話題が主であった。なかには肋骨を6本も折り、肺にも刺さったが元気な人(野原君)、男性の元気をいまだ追い求める人(滝田君)など、猛者もいた。

 来年は卒業60周年、開催できるかどうか。皆、頑張って集まりたいものです。

 当日の出席者:芦澤、石津夫妻、小澤父娘、滝田、田畑夫妻、塚田、土屋(喜)夫妻、長澤夫妻、野原、福田(俊)、堀家、光田、保井、山下夫妻、山本。

 (長澤記)

音楽部創部70周年記念パーティー

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 箕輪龍雄(昭52)

 10月1日(日)、音楽部ミッドナイトサウンドジャズオーケストラが創部70周年記念パーティーを丸の内コットンクラブで開催しました。

 私は、OB会長を1992年から20年間勤め、今回は元OB会長として最年長でした。

 当日は現役・OB合わせて100人以上が参加し、様々な編成でビッグバンドジャズの曲を12曲熱演しました。

 客席にはご家族も大勢来場し、大いに盛り上がりました。

 

ミニミニ37会(さんななかい)開催

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 開催の発端は令和5年10月1日(日)、元関脇魁聖の断髪式が両国国技館であり、私が上京すると大山君にメールしたことだと思う。そうしたら当日の昼頃ミニミニクラス会を開催すると返信が来た。私は慌てて「1日の断髪式は午前中に終わるかどうか分からないので1日はムリ」と再メールした。そうしたら杉谷君と相談した結果22日(日)に変更するとのメール。

 知らせは全員に行ったのか?大山君の選択か?それは知らない。

 会は20名を越える出席予定であったが、当日は16名の出席であった(最後に名を記す)。

 我々は少なくとも80代後半の者ばかりなので当日欠席もあり、とするしか仕方ない。

 前置きが長くなったが場所は東京駅大丸デパートの12階飲食店街銀座アスター。午後1時開始。当日は九州、新潟、金沢等遠方からの出席者もあり楽しい一時を過した。同伴と言うよりは付添い付きで上京された仲間もあったよう。私個人的にはカオの判らない人も若干居たが特に名を秘す。意外に若いなと思った人も居たがこれも秘す。

 これも個人的だが、吉岡君を見舞おうと努力したが、なかなか難しく後髪を引かれる思いで帰宅した。残念ながら間もなく訃報が入った。出席者全員、故人になられた友人のご冥福を心よりお祈り致します。

 写真は照明不足で不満だが杉谷君の努力に感謝しここに掲載する。

 次回は令和6年秋頃開催したいと杉谷君、羽鳥君の弁。出席希望者はご連絡を乞う。

 当日の出席者は1:杉谷、2:堀尾、3:町田、4:三浦、5:酒井、6:永野、7:永積、8:大山、9:浅井、10:大岸、11:羽鳥、12:関谷、13:富永、14:吉野、15:朝広、16:与五沢の諸君です。

 マイナンバー俺の私生活バレそうな

 老いと死は避けて通れぬ今実感

 誰だって生きてるウチが花なのよ‼

 文責 堀尾豊(昭37卒)

 

平成8年卒クラス会(平八会)

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 2023年9月23日(土・祝)に帝国ホテルにて、卒後25周年記念のクラス会を開催しました。コロナ禍にあったため2年遅れでの開催となりましたが、前回のクラス会から7年ぶりとなり、懐かしい面々がこれまでのクラス会の中では最多の54名、北は北海道、西は岡山県と遠方からも参集しました。坂本理事長、弦間学長、渋谷同窓会長もご出席くださり、日本医大の現在の順調な財務状況や進行中の事業計画、教育システムについて、スライドを交えてお話しくださり、卒後25周年という節目に改めて本大学の卒業生であることに誇りをもって今後も頑張っていこうという思いを新たにしました。

 参加者全員からのひと言ずつの近況報告では、同級生たちがそれぞれ責任ある立場に就いていたり開業していたりと、日々頑張って活躍していることをお互いに再確認でき、明日へと繋がる良き刺激となりました。学生時代に仲の良かった人との懐かしい思い出話や、また、昔はあまり話す機会のなかった同級生の新たな一面を知る話などなど、皆、大いに盛り上がり、大変有意義な時間となりました。次回は卒後30年となる3年後にね、と約束しながら散会しました。

 (平松久弥子 記)

 

昭和57年(1982)卒 八二医会(やぶ医会)を開催して

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 令和5年9月23日(土曜日、祝日)にコロナ禍のため2019年以来4年ぶりに“オークラ東京41階エトワール”で開催しました。昨年が丁度 卒後40周年 でしたので、今年は 卒後40+1周年 ということで全国からクラスメート34名が集まりました。今回はプレツアーとして9月23日午後に新しい武蔵小杉病院の見学、翌日9月24日にはポストツアーとして河内幹事の取計いで中山競馬場の特別席で競馬観戦という構成でした。

 オークラ東京でのクラス会は34名全員が近況報告をしました。さすがに41年間医者をしているので、話は面白いし考えさせられる話も多く、美味しい食事とお酒を頂きながら、皆熱心に聞いていました。

 41年ぶりという仲間もいて、「貴方はどなた?」とお互いに言い合って、お互いの変貌ぶりに大笑いしました。あっという間にお開きの時間となりましたが、2次会は同フロアーのラウンジに約20名が移動して遅くまで話に花を咲かせていました。最後は来年元気に再会することを誓ってお開きとなりました。

 参加者:赤石健、東光邦、飯田啓、井原ちひろ、大村文敏、川井真、斎藤敏之、坂本勇二郎、佐久間文子、佐藤圭、柴田香織、杉澤裕、鈴木攻、田口克司、田島なつき、田所直子、田所裕之、寺田功一、長江安洋、長谷川博一、八田晋、福田憲昭、前田秀雄、真崎雅和、真鍋辰哉、三樹忍、道又秀夫、森隆夫、山野邉滋晴、横山聡、渡辺(津田)正範、河内重人、萩原万里子、喜多村孝幸

 

排球部創部70周年記念式典

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 去る2023年9月17日帝国ホテル孔雀東の間にて排球部創部70周年及び浅井邦也(S63卒)、谷合信彦(S63卒)、田村秀人(H2卒)、山田佳彦(H4卒)及び村井保夫(H5卒)各先生の医学部教授就任記念祝賀会が開催されました。本会は黒川顕(S45卒)、松倉則夫(S49卒)及び樋口勝美(S54卒)の3先生が発起人となり、医師54名、学生26名の総勢80名が参加し盛大に開催されました。ことにS34卒の鈴木和徳先生、S37卒の板倉純夫先生、S42卒の中根康雄先生、S45卒の杉森忠貫先生には有難いご出席を頂きました。このような祝賀会は2018年に行われた佐藤直樹先生(S62卒)の医学部教授就任記念祝賀会以来5年ぶりであり、それぞれ懐かしい再会に旧交を温めました。

 会のはじめに発起人を代表して黒川先生より、1990年作成の排球部誌(白球№5)へ昭和30年卒の玉井先生から寄稿された文章の中に排球部が1950年に創部された旨の記事が紹介され、正確には本年は創部73年にあたるとの説明がなされました。さらに、この間に亡くなられたOBの先生方の御霊に黙祷を捧げました。

 その後歴代排球部部長やOB会長からの祝辞に続いて、医学部教授に就任された5先生からの挨拶があり排球部一同から記念品が贈呈されました。我が排球部からこれだけ多くの教授が短期間の間に誕生したことへの賞賛の声が参加者から発せられました。

 参加した学生からは男子部及び女子部の主将が近況報告をし、現部長の谷合先生は体育館が無くなり体育館使用料など活動費が増大しているためさらなる寄付のお願いしたいとの追加発言がなされました。

 会の最後に排球部歌及び校歌を斉唱し、集合写真を撮影して2時間の会を盛会裡にお開きとしました。

 文責 岡島史宜(H10卒)

 

埼玉県支部総会

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 令和5年7月29日、ロイヤルパインズホテル浦和で、同窓会長渋谷哲男先生、日本医科大学理事長坂本篤裕先生、学長弦間昭彦先生を来賓にお迎えして、支部会員23名、地域枠学生8名が出席して、新型コロナ感染拡大のため令和元年以来、4年ぶりの今年度の総会が開催されました。

 総会に先立ち、物故会員の先生への黙祷を行いました。

 初めに、羽鳥雅之支部長よりご挨拶をいただきました。

 羽鳥雅之会長からは、ご来賓の先生、渋谷哲男同窓会長、学生の出席へのお礼述べられ、学術講演の高野先生の紹介、秩父病院の花輪先生からの地域枠の学生の関する話がある旨のご挨拶をされました。

 続いて、同窓会長渋谷哲男先生は、「同窓会にお招きいただきありがとうございます。今日は、本当に8人の学生の参加本当にありがとうございます。支部会の活性化、今後の橘桜会の法人化について努力していきたい。埼玉県の同窓会の先生方のご支援ご協力をお願いします」とご挨拶されました。

 日本医科大学理事長坂本篤裕先生は、埼玉県同窓会にお招きの感謝を述べられた後、新型コロナ感染症蔓延時の大学病院の診療状況、法人経営状況改善の報告、令和8年度における本学150周年記念事業の話をされ、最後に、「会員、母校のために努力していくので宜しくお願いしします」とご挨拶を結ばれました。

 学長の弦間昭彦生は、学長再選のお礼を述べた後、医学教育のテクノロジー改革、他大学との理工連携、学習支援システム、入試、医師国家試験の情報等についてのお話をしていただきました。

 意見交換では、秩父病院の花輪峰夫先生(埼玉県の地域医療を守る会代表)から『埼玉県医師育成奨学金・返済免除指定病院の要件変更の提言』の資料をもとに、民間病院でも条件を満たせは、奨学金免除指定病院とする等の提言をされ、会員、本学にもご賛同、協力いただきたいと説明されました。

 続いて、日本獣医生命科学大学講師高野貴士先生より「One Word, One Health」についての講演がありました。

 狂犬病の症例提示から、人種共通感染症、人の健康と動物の健康と環境の健全性を一つとして捉える One World One Healthの考え方等についての分かり易く解説していただきました。

 総会の後、全員での写真撮影に引き続いて、懇親会が行われました。今回は、ご招待の地域枠8名の学生諸君にも出席していただきました。

 懇親会は、初めに、若林恒郎先生の乾杯のご挨拶の後、全員の会員の先生方、学生諸君の近況報告等、自己紹介がありました。ご来賓の先生、会員の先生、学生諸君は、遅くまで和気藹々と意見交換をされていました。澁谷純一先生の閉会のご挨拶で、本年度支部総会は滞りなく終了いたしました。

 北濱博之 記(昭和56年卒)