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支部・クラス会だより“北から南から” 同窓会報第446号より|日本医科大学同窓会 橘桜会

支部・クラス会だより“北から南から” 同窓会報第446号より

川崎支部・武蔵小杉支部 合同支部総会

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 令和6年10月26日(土)に、武蔵小杉病院5階大講堂に於いて川崎支部と武蔵小杉支部の合同支部総会が開催された。

 吉松副支部長司会の下、諌山支部長の挨拶、物故会員の先生への黙祷を行った後、令和5年度の事業報告・会計報告がなされ、協議事項として150周年事業への参加、寄付等について話された。

 支部総会の後、同会場に坂本篤裕理事長、鈴木秀典常務理事、弦間昭彦学長、渋谷哲男同窓会長方々を来賓としてお迎えし合同支部総会が開催された。

 坂本理事長からは学校法人日本医科大学の財務基盤の安定、医療健康科学部看護学科の新設、八重洲健診ステーション開設等総合医療系学校法人への発展について、渋谷同窓会長からは同窓会の法人化、地方支部の縮小合併、会員の減少、150周年事業についてのお話があった。鈴木常務理事からは丸子に開設される看護学科の具体的なスケジュールとそれに伴う地元同窓会員への臨床実習支援などのお話があった。弦間学長からは新しいテクノロジーを活用した医学教育システム、個別化層別化教育の発展等により総合力が大学全体の上位レベルにあることが示された。

 谷合信彦院長から武蔵小杉病院の好調な現状、二神征爾先生から内視鏡センター増築による消化器内科患者の増加推移が説明された。

 新任部長の紹介、挨拶の後写真撮影・懇談会となり、約1時間の和やかな祝宴が催された。

 川崎支部の会員数は増加傾向にあるが、支部総会への参加は減少傾向にあり、次回には多くの先生の参加を期待している。

(文責 山口裕史)

五輪会(卒後60周年)総会

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 令和6年10月26日(土)、ホテルオークラ東京において開催された。

 昭和33年4月、市川国府台の進学課程に医学を志して集まった80名も現在は43名に減少した。昨年10月7日の総会から1年の間に4名(三田君、刑部君、中西君、佐野君)が亡くなり、参加者も15名から10名となった。

 近くに東京タワー、遠くにレインボーブリッジを眺望できる41階の部屋で桃花林の美味しい料理に舌鼓を打ちながら会談した。以前は子供、孫の話が中心であったが、最近は自分の体調、病気、老々介護と寂しい話ばかり、会の存続も危ぶまれる。

 同窓会の馬渕理事(準会員)からは、同窓会としても高齢者クラス会の開催にあたっては、お手伝いを考えているとのお言葉を頂戴し、少し元気が出た。

参加者
石津夫妻、小澤父娘、後藤、滝田、田畑夫妻、長澤夫妻、光田、保井、山下夫妻、山本

(長澤記)

日本医科大学病理同門会

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 令和6年10月19日(土)に、日本医科大学の付属病院、武蔵小杉病院、多摩永山病院、千葉北総病院の病理診断科・病理部ならびに解析人体病理学と統御機構診断病理学の現職とOBの皆様が一堂に集まり、第10回日本医科大学病理同門会を行いました。

 日本医科大学の病理関係者が集う会合は、昭和52年(1977年)、昭和56年(1981年)、昭和62年(1987年)に同窓会が、平成17年(2005年)からは病理同門会として1〜2年に1度開催されています。前回の第9回病理同門会は平成30年(2018)年に行われ、次は2020年の開催予定でしたが、2020年1月に国内で初の新型コロナウイルス感染症患者が確認され、コロナ禍で開催を延期していました。

 今回の病理同門会は、秋元成太先生の開会の辞で始まり、統御機構診断病理学の内藤善哉大学院教授のご退職のご挨拶、大橋隆治大学院教授のご就任のご挨拶を頂きました。福田悠先生の乾杯のご発声につづき、ご歓談を頂きながら病理同門会についてのご説明を杉崎祐一先生から、スタッフ紹介・近況報告として、付属病院病理診断科(大橋隆治部長)、付属病院病理部(寺﨑泰弘部長)、武蔵小杉病院病理診断科(許田典男部長)、多摩永山病院病理診断科(永田耕治部長)、千葉北総病院病理診断科(羽鳥努部長)、解析人体病理学(清水章)、統御機構診断病理学(大橋隆治大学院教授)から頂き、それぞれの部署での現状の把握と今後の展望についての認識を共有しました。その後に集合写真(2度に分けての撮影になりました)の撮影、次回担当の大橋隆治先生の閉会の辞をもってお開きになりました。

 100名ほどの参加者が、老いも若きも大いに盛り上がり、病理学の日常と展望について語り合いました。病院は異なるものの、日本医科大学の同一の土俵で、病理業務に携わる者同士が、時間枠を超えて一堂に会し討論しあい、歴史の重さを実感できる楽しい貴重な病理同門会になったことをご報告させて頂きます。

日本医大昭和58年ごろ卒クラス会

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 令和6年10月12日、永久幹事の山口君の呼びかけに応じて、昭和58年頃に卒業した雑把な同級会が、今年も開催された。会場は京成青砥駅に程近いCafeぶるーぶるー。同窓会副会長畑三恵子先生の、何を食べても美味しいお店である。同窓会会長渋谷哲男先生にもご参加いただき、28名が旧交を温めた。

 同級生である弦間昭彦学長の乾杯の発声で、最近の国試合格率の高さが紹介されて気持ちよく会は進行した。教授職を退官したメンバーからは、現在無所属新人です、と選挙戦に合わせた様な現状報告があった。すかさず渋谷会長から、来年の参議院選挙の日本医師会推薦候補である、同窓のかまやちさとし先生のご紹介があり、58年会もしっかり記名投票して、釜萢先輩を応援していくことを確認した。

 卒業以来、初めてこの同級会に出席し、40年ぶりの再会を果たしたメンバーもいたが、あっという間に昔に戻って全く違和感を感じない。卒業して何年経ってもこの雰囲気の良さが日本医大だ、と改めて実感した。

 寄る年波には勝てず、目が弱った、耳が遠くなった、認知症が始まりました、と報告するメンバーもいた。何より残念なのは、去年のこの会に元気に参加していた、伊藤保彦君が病に倒れ6月に亡くなった事だ。この歳になると、明日はわからない、楽しい今日を積み重ねよう。久しぶりの仲間との温かい交流に感謝して、来年また元気に集まることを約束して散会した。

 昭和58年卒業 鵜浦哲朗

昭和48年8月卒(四葉会)+42年度入学者クラス会を開催して

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 昭和48年8月卒(四葉会)のクラス会は毎年10月初旬にその年の幹事の地元で行われています。今年は、栗山大作先生の幹事の元、京都八条都ホテルで10月12日(土)に開催されました。夜の宴会の前、参加者28人のうち13人が、亀岡から嵐山、渡月橋までの行程2時間の保津川下りを楽しみました。集合は11時20分、京都駅八条口に準備されたバス停の前でしたがここに集まるのに、自力で行く経験のない人が多いためか皆、バス停に集まるのが一苦労で最初から幹事の大変さがよくわかりました。晴天のなか急流もある保津川下りは迫力満点で、悠然とした景色を楽しんだり、沢山の大きな石の合間を下る場面では、その水しぶきをあび、船底に当たる岩の衝撃に歓声、悲鳴も上がる2時間でした。

 夜は全員での集合写真の後、栗山先生の挨拶と乾杯で宴会がスタートしました。今年は48年卒のみならず、42年入学者も参加してもらおうという事になっており、会場では卒業以来初めて会う同級生、また顔は覚えているが名前を忘れた同級生などもいて、お互いに自己紹介などをしつつ宴会は最初から盛り上がりました。

 その後、恒例により各人一人一人が最近の自分の生活状況を中心に挨拶をしてもらいました。暫くぶりで会う皆さんは学生時代の話、医師になりたての大学時代の話から、話題はどうしても最近の体の調子や持病の事、この一年で新しく患った病気の事、自分の服用している薬の自慢話、最近行った旅行の話など多岐に及びました。また、仕事に関してはまだ現役で忙しくしている人、縮小している人、悠々自適に過ごしている人、自分のみならず、子供、孫の自慢話など、様々でしたが皆、元気そうで楽しい時間を過ごしました。二次会が準備されておりましたがほとんどの先生方が出席し皆、話足りなかったことを伝えあいさらに会は盛り上がりました。そして来年のクラス会は「四葉会+42年入学者の会」と銘打って近藤仁先生の幹事の元、名古屋で10月に開催されることになりました。42年入学者を加え更に沢山の方々にご参加頂ける事を楽しみにしております。

 4日後の16日(水)に大学主催のホームカミングデイが橘桜会館で開催されました。コロナ禍の影響から今年は単一学年でなく45、46、47、48、49年卒の複数年が対象でこんな所にもいまだにコロナの影響があるのかと思い知らされました。懇親会では各学年の懐かしい先生方にお会いできましたが、48卒で参加したのは中井先生、塚本先生、水野先生、私の4人でした。4日前の「四葉会+…」の盛会ぶりがこんな処にも感じられたのです。

 今年のクラス会もこのように大変盛会に終わりました。幹事の栗山先生、誠にお疲れさまでした。来年も42年入学者を交えた「四葉会+42年入学者の会」に該当する多くの皆様、10月上旬に名古屋でお元気でまたお会いしましょう。

 (文責:清水一雄)

栃木県支部総会

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 去る10月5日(土)、四年ぶりに栃木県支部総会を開催いたしました。コロナ感染流行の影響により開催を見合わせておりましたが、ようよう皆で集まれる状況となりましたので、久しぶりの再会でありました。

 当日は渋谷同窓会長・小川令形成外科教授(学長代理)の御臨席を賜り、直近四〜五年間の付属病院を中心とした大学全体の様子・学生教育の変化等について詳しくお話を頂戴いたしました。積年の課題でありました経営状況の改善・国家試験合格率の目覚ましい成績・入学制の学力レベルの上昇等、いづれの観点からも喜ばしい結果であるとのお話で同窓生として意を強くした次第です。

 来年(令和7年4月)に、創立150周年記念式典が予定されておるとの事でしたので、同窓生として協力しなくてはならずと感じた次第です。

 総会終了後席を替へての懇親会となり、昔話に花が咲きまたたくまに夜は更けていったのでありました。

 当日の出席者は以下の7名でした。

 中元隆明先生(昭46年卒)・鈴木庄二先生(昭47年卒)・関根啓一先生(昭38年卒)・橋本義孝先生(平7年卒)・天谷健二先生(平1年卒)・増田正徳先生(昭54年卒)・田中豊治(昭50年卒)。

(田中豊治 記)

昭49年卒後50周年勝遊会

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 令和6年秋分の日の9月22日(日)帝国ホテルにて卒後50周年のクラス会を開催致しました。連休初日でしたが前日には能登で無惨にも今年正月の地震被害に追い打ちをかけるように水害被害が発生し、また当日も東京では大雨が予想されるなか幸いにも落ち着いた天気の中で挙行されました。うちのクラス会の誇りは遠方からの方々も含め例年多くの方の出席を頂くことで、今回も51名(内女性10名)の方の参集を頂く盛会でした。出席者の中には大病治療中の方々もおられますが長く続く友情、結束が参集の根底にあり出席してくださるお気持ちには感無量であります。会は先ず物故の方々への黙禱から始まり乾杯を経て懇親の前に全員の自己紹介、卒後の経緯、現在の状況を簡潔にお話しいただきました。皆遠ざかった昔とあまり変わらないお姿でお話しをされ嬉しい限りでした。その後懇親会を経て写真撮影後階上のラウンジで2次会となり、次回開催は来年10月山形でと決定。また今回同様の盛会を期待しクラス会各位の健勝を祈念いたします。

文責 三浦隆正